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もう一つの「ごめんなさい」 (4/6)セクシー田中さん問題

「人の命」と「続作の完成」が永遠に失われる事になったセクシー田中さん事件。最後の言葉「ごめんなさい」を受けた、両社の「こちらこそごめんなさい」の一言が必要だと、前回述べました。

最後の言葉の投稿(1/28)と同時に削除した原作者投稿(1/26)でも、明確に謝罪しています。これは原作者自身が書いたドラマオリジナル展開(9話、10話)についてです。

・「9話、10話の脚本にご不満をもたれた方もいらっしゃるかと思います。どのような判断がベストだったのか、今も正直正解が分からずにいますが、改めて、心よりお詫び申し上げます」(原作者ブログより引用)

これが、もう一つの「ごめんなさい」です。「ベストな正解」を考察するために、これまでの「ドラマ制作」から、今後は「作品自体」へ焦点を移します。そこでまず、「朱里」というキャラに起きた改変を両報告書から取り上げます。

本作の朱里は、可愛い外見ですが、内面に生きづらさを抱えた23才です。朱里の「可愛い」は、幼い日のトラウマの遠因であり、その市場価値にはモテまくるからこそ気付かされ、派遣OLの現在では安定職「主婦」になるための武器で、しかし将来の劣化が不可避です。そういう朱里に、TV側は「友達と一緒に制服がかわいい私立校に行きたかった」エピソードを創作します(TV局報告書p.61)。このポジティブに憧れる「可愛い」は、「原作と真逆!」とツッコまざるを得ない。

また朱里の学歴を「短大から専門学校」に改変する理由について、「近時の10代,20代としてはリアリティがある」(TV局報告書p.60)と説明します。たしかに専門学校の方が学生数は数倍多いため理解のある視聴者は多いでしょう。しかし原作者は「ジェンダー問題を意識して取り上げているのに」(出版社報告書p.24)と反論しています。世代でない方に補足すると「男なら四大、女子は短大で十分」という古い(*)考えがあり、この考えが「生きづらくしていた」要素が作品に必要で、作中のキャラと辻褄が合う。

* 短大の女性比率は依然高いようです(武庫川短大男女比率 https://www.mukogawa-u.ac.jp/~kyoken/data/17.pdf 2024年閲覧)

他に「原作エピソードの順番入れ替え」など含め多数の改変が報告されていましたが、問題はそれらが改善(上手なアレンジ)と改悪(ツッコミ&辻褄合わない)かで、原作者は後者だと明言します。

脚本家へ向けた想い〈修正について〉:『ドラマは媒体が違うので、ドラマ用に上手にアレンジするのがベストであることは理解している。全てお任せして「ああなるほどそうくるのか!面白い!」と思える脚本が読めるなら、一番良いが、「ツッコミどころの多い辻褄の合わない改変」がされるなら、しっかり、原作通りの物を作ってほしい』(出版社報告書p.34,一部はTV側報告書p.23)

原作者は、原作部分は修正指示が可能でも、ドラマオリジナル展開(9,10話)で「収拾つかなくなっちゃうんじゃないかと、不安に感じてます」と担当編集者に述べ、担当編集者はTV局側に伝達し、TV局側は脚本家にも伝達しますが、後日脚本家は聞いていないと回答しています(出版社報告書p.25)。これまで散々述べた「意思疎通の断絶」が、このクランクイン約2ヶ月前(6月中旬)でも起こっている。最後には結局、原作者の不安は的中して収拾はつかなくなり、新脚本家と共に原作者が脚本を書く方針が両社間で確定(出版社報告書p.46)します。

一方、「青天霹靂のことであり驚愕した」脚本家に対しTV局Pは「自分も大変憤っている」と伝えます(11月1日 TV局報告書p.31)。しかし、これはTV局側も承知した約束で、証拠メールもあります。

・TV局Pのメール(6月10日14時)「ドラマオリジナル展開に関して『原作者』の方から脚本もしくは詳細プロットの体裁でご提案して頂く点も承知しました」(出版社報告書p.22の実名を『原作者』に改変し引用)

このメールがあった6月上旬は原作者の視点でのドラマ化許諾時期で、事実6月15日から両社の契約書締結交渉が開始されます(TV局報告書別紙1)。それまでの準備段階で既に「脚本家の脚本を信頼できない(出版社報告書p.20)」原作者にとって、原作者脚本の約束はドラマ化の大前提です。約束を行使すると、脚本家は驚愕し、TV局Pは憤慨しました。出版社報告書p.26でTV局に「不誠実な対応もあった」と表現しますが、これは正しいと思います。例えば原作者がキャストに難色を示しているとTV局に伝達された6月6日(出版社報告書p.19)の前に、キャストのダンスレッスンは開始されています(開始日5月15日 TV局報告書別紙1)。交渉中の契約書案の「改変は出版社と原作者双方の合意が必要」という記載を、TV局側は出版社のみの合意で改変できるよう修正提案します(9月26日 出版社報告書p.43)。この点、出版社は誠実に「原作者の許諾は不可欠」とTV局の修正提案を拒絶して送り返します。すると放送終了までにTV局から契約書案は戻ってきませんでした(同p.43)。しかも、この事実は、TV局報告書p.20では隠匿しています。これらTV局P、TV局契約担当、TV局報告書作成チームの「不誠実」が主に相手側企業からしか明らかにされない理由は、組織は人を犠牲に『保身』するものだからです。全ての登場人物を守るためにこそ、組織を罰する第三者報告が必要なのです。

ところで、完成した9,10話の脚本クレジットは原作者のみでした。どうやらTV局側社員が新脚本家を入れず自分で脚本家の役割をしたようです(出版社報告書p.31)。この新脚本家がいなくなった経緯は調査不足で、第三者報告がない限り、原作者の言う「ベストな正解」は考察できない現状です。

以上の経緯を踏まえると、9,10話の全責任を脚本著作者として一人で背負い「心よりお詫び」した原作者の誠実さが分かります。原作者投稿(1/26)では、(脚本家として)「素人の私」、「私の力不足が露呈する形となり反省しきり」、「相当短い時間で(中略)推敲を重ねられなかったことも悔いてます」と綴っています。この反省と懺悔を語る序文に、原作者の「想い」が記されていますので引用します。

・「何とか皆さんにご満足いただける9話、10話の脚本にしたかったのですが…」(原作者ブログより引用)

この想いに寄り添う新脚本家が用意できれば、と私は思います。ネット炎上も変わったかも知れません。準備段階で提示された脚本家候補6名(出版社報告書p.13)や、4月5日の脚本候補者2名の内の本件脚本家以外の別の1名(出版社報告書p.14)に、再交渉出来れば良かった。ただ、本件脚本家が主演女優と同じプロダクションという事実もあり、キャスティングについての「ベストな正解」は第三者報告でも考察すべきかと思います。

以上、原作者のもう一つの謝罪を考えました。この謝罪は、原作者のドラマ脚本に不満を持った視聴者に向けたものでした。ただし、大前提として、例えば恋愛成就エンドを期待して本ドラマに不満を持ったような視聴者を否定してはいけないと思います。しかもこれは、この問題の本質だと思います。こういう期待をする視聴者を「満足」させるために、脚本家が改変した可能性は否定できず、逆に全視聴者を満足させる事で原作者の想い(皆さんにご満足いただける脚本)を叶える可能性はあり、原作改変こそ「ベストな正解」である可能性はある。ただしその可能性は現状の報告書からは読み取れない。この意味でも第三者報告が必要です。

「セクシー田中さん」は、最初は好きになれないキャラ達を、どんどん好きになっていく作品でした。同じです。この事件も。我々は「ネット」で、この事件を「読んで」きた。9,10話賛否と脚本家投稿の12月末、原作者を好きになれない「ネット読者」がいて、そして報告書を読み込むに従い、原作者をどんどん好きになっていく。そうやって敬愛した今だからこそ、「ごめんなさい」で終わった原作者の最後が悲しすぎる。「こちらこそ、ごめんなさい」は、我々ネット読者こそが先生に言うべき言葉ではないでしょうか。

でも何を詫びればよいのか分からない。だからこそ、最後に「著作人格権」を学びたいと思います。

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