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すずめの戸締まり見た。感想と考察

ネタバレあり

大晦日に見に行った。
君の名や天気の子も自分的に刺さらなくて今回のも期待してなかったし予告見てもあんまり何も思わなかったのに別のメッセージ性を感じたので見に行った。ダイジン可愛かったし。
見終わったらこの映画のことしか考えられず眠れずに元旦を迎えたのでノートに書き起こそうと思う。
あけましておめでとうございます。

私はやりすぎ都市伝説などが好きで2024、5年がやばいという話も当然見聞きしている。新海さんは天気の子の時も水害予言しているという噂があり今回もこのタイミングで映画をリリースしたことにも意味があるのだろうと思っている。

小説版があるらしいが私は映画をまだ一回しか見ていないためうろ覚えの箇所もあるのは申し訳ない。

基本的な設定



すずめの戸締まりは日本神話「岩戸開き」から着想を得ているため
主人公が岩戸鈴芽となった。
「すずめ」は天照を外に出すために裸踊りをしたアメノウズメから。

ここから考察



閉じ師の「宗像草太」の名前は天照大神と素戔嗚の間の儀式で生まれた「宗像三女神」と、素戔嗚が八岐大蛇を退治した際に見つけ天照に献上した「草薙剣」から。ミミズが分裂するのは八岐大蛇の姿。
椅子の足が3本しかないのはこの「三女神」の3柱という意味で、ロン毛で女性っぽいキャラデザなのも女神だからかもしれない。
草太が最初に左腕を怪我して使えなくなったのも椅子の足と同期してる。

「交通の神様」

おばの環は環状線。車と電車ではるばるやってくる。
芹沢は赤い服にタバコは赤丸、車も赤で赤色が特徴であり、赤天狗の原型と言われる導きの神猿田彦をモデルにしていそう。
草太の宗像3女神は海の神、海上交通の神様であるため、夢や要石になっている時の草太の目の前には海が広がっている


「要石」


映画の要石は地下のミミズの頭と尻尾を東西で抑えて地震を防いでいる役割。
現実にある要石も同じ役割である。
鹿島神宮や香取神宮など4ヶ所にあり、東西で地震を起こす巨大なナマズの頭と尻尾を抑えていると言われている。
作中でダイジンが草太を椅子にしてしまい、要石にするしかない状況になってしまったが、草太は最初から要石になるためにあの廃墟に訪れた。
ダイジンは痩せ細った子猫で、鈴芽にも簡単に引っこ抜くことができた。
草太を助ける時は抜くのがかなり大変だったのにそれは何故か。
要石の限界が来てしまい、草太は自分が要石になるために廃墟へ向かった。
病室で爺さんが言った「孫はしくじったのか」という言葉は、草太が要石になりそこねたことを指している。
草太の代わりにダイジンを抜いてしまった鈴芽に要石の役割がうつったため、ダイジンは呪いで草太を椅子に変えて要石の役割を鈴芽から草太へと移した。
要石とは、神様が最初に降り立って座った岩、つまり「椅子」。
椅子が大事な形見として登場し、幸薄イケメンを椅子に変えてまで登場させ続けた理由はこれしかない。
草太のモデルの草薙の剣。要石もまた「剣」として描かれる。

環と芹沢も「要石」

ダイジンと鈴芽が同じことをしている。
親を失った4歳の鈴芽=ダイジン
拾われ、うちの子になる?と言われ、地元を離れ、「何が目的なの?」と聞かれても答えない、「あんたなんか!」と怒られる流れまで同じことをやっている。
鈴芽を追いかけてきた環を「重い」と言い放った。
鈴芽を宮崎に縛り付けていた環という要石だった。
芹沢も、東京で草太の心配をして探しにきてくれる草太の要石だった。
本来は4つあるはずの要石は作中で2つだったが、草太と鈴芽と環と芹沢の4人が協力している。


「大事な仕事は見えない方がいい」


この映画を予告で見ようと思えなかったのはおそらくこの扉を閉じる動作があまりにも地味すぎるからだと思った。
祝詞を唱えて鍵をかける。おわり。だからなんだ。
映画を見なければ意味がわからなかった。
こんな誰にも知られない地味な作業が人の命に関わるほど大事な神事で、現実にもこんなことはいっぱいある。
地震でぐちゃぐちゃになった鈴芽の部屋を、草太は何も言わずに片付けた。
草太が礼儀正しい綺麗好きの青年だからではなく、それが大事なことだからだった。
新海誠がこの映画を通して伝えたいのは「やりっぱなしにするな」ということ。
人間は神から借りた土地を好き勝手にして、そのままにして捨てる。
供養されなかった土地の想念がやがてミミズになり、地震を起こす。
放置されている廃墟がこの映画の中で描かれるが、もっと作中にある。
「言いっぱなし」である。


「口は災いの元」


忘れ去られた場所、寂しい場所に後ろ戸は現れ、災いがそこからやってくる。
「後ろ戸」は「口」。
閉じ師が後ろ戸に鍵をかける時、その土地の声を聞いてから祝詞を唱えて土地を神にお返しする。
鈴芽は音の鳴る「鈴」という漢字が使われているのに、自分の言いたいことを最後まで言わない人だった。そのため学校では友達に「最後まで言いなよ気になるじゃん」と言われたり、環さんに「何がしたいのかも言えんで!連れて帰るよ!」と怒られる(うろ覚え)
草太も自分のことを語らなかった。
会ったばかりの鈴芽のことを突き放し、自分のことを詳しく話そうとしない。椅子になってからも頼ろうとしなかった。
大学の同期の芹沢にも内緒だった。
教師になりたいと語ったのに教員試験を簡単に諦めたように見えたのは、自分が要石になる定めだと本当は分かっていたからだ。
しかし鈴芽は愛媛で出会った同い年の女の子との出会いで変わる。
彼女は鈴芽と違って家族が生きており、何でもペラペラ開けっぴろげに喋る女の子で、「聞きたい?」と確認をとる程。
彼女とのガールズトークで鈴芽は自分の話をするようになり、椅子のまま草太はその話を聞いている。
本音を言うのと同じくらい、聞くことも大事なことだった。
鈴芽は環の電話やラインを無視しまくった。
環は鈴芽への自分の本音を押し殺したまま生きていて、同じ職場の男の話を「あんたと同じにしないでくれる?」と冷たくあしらって聞かなかった。
鈴芽はダイジン、環はサダイジンとなって、鈴芽と環が口論をすると同じように二匹の猫も喧嘩をした。
「うちの子になってって言ったのはそっちじゃん」
「そんなこと覚えてない!」
これが言いっぱなし、つまり後ろ戸。
鈴芽もダイジンを自由にし、「うちの子になる?」と言ったのに、後から「あんたなんか大嫌い」と言ってしまう。
鈴芽の一言でダイジンは弱ったり元気になったりする。
ダイジンは「邪魔」と一言言っただけで草太を椅子に変えられる力を持ち、「うるさい!」と喋って環と芹澤を驚かせてしまい、車が事故る。
ダイジンのネガティブな言霊は災いの元で、本音を隠すこと、聞かないことも災いの元。
だから、閉じ師は土地の声を聞いてから鍵をかける。
「すずめのだいじ」という缶のように蓋をする。
あの缶は予告に1つ登場し、物語の最後にも登場するので2つある。
まず缶を開けて、日記を取り出して、塗りつぶした幼い頃の記憶を思い出す。
鈴芽のモデルのアメノウズメは本来、開ける側の役割を持っている。
開けたら4歳の頃の自分を自分で励まし、大丈夫だよと声をかける。
その後に戸を閉めて鍵をかける。
今まで見ないふりをしていた、ほったらかしだったインナーチャイルドと向き合って対話し、決着をつけた。
草太は、目を背けていた要石になる定めを見つめ直し、改めて「生きたい」と本音を口に出した。
最後の戸締まりの時の祝詞は、鈴芽と草太、それから当時そこで生活をしていて理不尽に亡くなった多くの命の「もっと生きたい(生きたかった)」を代弁している。私はぼろぼろ泣いた。それでも全く滲まないヒロインメイクのマスカラが優勝。


芹澤


巻き込まれ体質のチャラ男。
どうして草太と連んでるんだと不思議で仕方ないくらい真逆のキャラ。
彼はボロボロの安オープンカーを気に入っていて、修理しながら使いづづける。そして懐メロばかり流した。音痴。
草太のことを「自分の扱いが雑なんだよ」と言い、草太に借りた2万円が気になって仕方ない。
「死ぬのが怖くない」命知らずの鈴芽。平気で廃墟に上がり込み、水たまりに躊躇なく足を突っ込む。
鈴芽と草太は自分を大事にしていない、どこか違うところを見ている生きる廃墟だった。
芹澤は草太と鈴芽を心配していた。「借りっぱなし」の2万円。
それを口実に動いてくれる男。「闇が深い」「空気が重い」と言いながら環と鈴芽を見捨てないで限界まで送り届けた。
福島原発を眺めながら「綺麗な場所」と言って鈴芽の反感を買った、彼こそがこの作品のベストアンサーである。
パーキングエリアでそれなりに満喫しているシーンが描かれるのも、そこが廃墟にならないようにという監督の思惑。
わざわざオープンカーだったのは正に空いた扉という意味で、最後はちゃんと直って閉まるというオチつき。
オンボロオープンカーの次にその辺に捨ててあったオンボロな自転車に乗り換える環のシーンも重要。


ダイジン

理不尽に親を亡くした鈴芽と同じように、理不尽に要石にされてしまった存在だと考える。
まだ幼いオスの猫。
彼が行くところは繁盛し、廃墟とは程遠い。招き猫。
そして別に人間に見えているとかそういうわけじゃないと思う。
サダイジンとセットで陰陽を表している。
白猫のダイジンが巨大化すると黒猫になり、黒猫のサダイジンが巨大化すると白くなった。
左目は太陽神、右目は月神を表す。常世は夜の満月と業火が印象的だが、ダイジンが見つかった場所は真昼間の水の中だった。
昼と夜、火と水、白と黒、開けるウズメと閉じる鈴芽、という反転が描かれている。
要石は冷たく、椅子になった後の草太はそんな姿でも「暖かい」。

ダイジンを自由にした鈴芽がまたダイジンを要石に戻すのが戸締まり。
「すずめが終わらせて」「人の手で始めたことは人の手で終わらせろ」
とダイジンとサダイジンが言う。
戦うサダイジンかっこよかった。


まとめ


タイプのイケメンが椅子になっちゃったから助けるね〜
ドア開いてやばいから閉めるわ☆
みたいな簡単な話じゃなかった。
ところどころ出てくる蝶々=死者の魂とか、
双子の意味深な太陽と月のマークの服とか、
お下がりとか、自分を心配してる人とか、住んでる土地や思い出の場所とか
本音とか、傷ついたままの過去の自分とか、
そのままで良いんか?そこに愛はあるんか?まぁあなたは愛されてますけどね、みたいな話だった。
側から見たら家出のよく分からん椅子持った女の子を家に泊めてくれる優しい家庭があること。そこで家業を手伝うことの意味、人々の生活を考えた。
そして魔女の宅急便。
見たのが大晦日だから直前まで部屋を掃除していて、ふいに私はルージュの伝言を歌い出した。作中でそれが出てきた時は笑った。
そして私が地元を離れ一人で遠くに働きに出る前、友達がくれたのが偶然にもキキの紅茶缶だった。
あれも結構古い作品だけど、私も新海誠も同じように女の子の旅と魔女宅を結びつけて記憶しているんだと思った。
何見ても大体泣くけどこれはバチくそ泣いた。
言いたいことは全部同じなんだけどちょっとずつ視点を変えながら巧妙に織り交ぜてる感じがすごい。
一見災いを防ぐ話っぽいけど、結局要石に戻ってしまいあんまり報われなかったダイジンのように、あの震災のように、犠牲が出るときは出る。そうなった後に生き残った人たちが、どう乗り越えて生きていくかっていう話。
自分の大事ってなんだろう。
ああ、大臣みたいなダイジンじゃなくて「大神と大事」をかけてんのか。
2つある理由分かったね。
じゃあ「鈴芽の子になれなかった」は「鈴芽の大事になれなかった」(草太を選んだから)ということかな。
ヤダ!!!!!!!!


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