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古民家再生のこと

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家族所有の古民家を部分解体、改修、そして再生ワークショップに至るまでをまとめています。
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古民家再生工事 ひとまず完了

いよいよ古民家再生工事も残すところあと少し。 今回は最後の仕上げ工事を中心に、ご紹介していきます。 木材の塗装工事外壁は杉の羽目板貼りで仕上げて頂いたのですが、杉の色そのままだと、余りにも新しすぎて落ち着きが出ないので、DIYで塗装をすることにしました。下の写真は1回目の塗装作業風景。 2回塗りなので、もう一度同じ色を重ねて塗ります。古民家の色調に合うように色を選んだので、見た目が少し落ち着きました。 屋根の下地や垂木なども新しく交換して頂いたので、塗装をしていないと新

再生工事その後

前回までの記事で修繕工事の内容を記録しましたので、今回はその後の進捗写真を載せていこうと思います。 ケラバ新設・壁下地組み 納屋との取り合いで、土壁がむき出しになった壁に板を貼るための下地組みと、ケラバ新設。下地板なども古く傷んでいる部分は交換をしてもらって、新たに屋根をやり直してもらいます。 また、窓がなくて真っ暗だった台所を少しでも明るくするため、一か所明り取り用の窓を作ってもらうことにしました。 室内から見るとこんな感じです。山が見えている枠の所に、窓を設置しても

再生工事のはじまり その2

前回の記事でどのような修繕工事をするのかを、ざっと書き出しましたが、おさらいの意味で再掲します。 ① トイレの新設工事 ② 解体納屋と屋根を共有していた箇所の修繕工事 ③ 雨漏り部分の修繕工事 ④ 外壁の一部新設工事 ⑤ 解体後外壁扱いとなる土壁への化粧工事 前回は①から③までを詳しく書きましたので、今回は④と⑤について。 外壁(一部)新設工事記事トップの写真、むかって右手にポカっと穴があいている所があります。ここはもともと納屋と母屋の通路になっていたので、建物の解体に

再生工事のはじまり その1

解体工事と片づけが終わったら、いよいよ再生工事が始まります。 予算がふんだんにあるわけでもなく、また住居として使うわけでもないので、最低限の修繕工事にとどめます。やってもらった大工工事は、以下の通りです。 ① トイレの新設工事 ② 解体納屋と屋根を共有していた箇所の修繕工事 ③ 雨漏り部分の修繕工事 ④ 外壁の一部新設工事 ⑤ 解体後外壁扱いとなる土壁への化粧工事 トイレの新設工事 この家が築何年経っているのか記録は残っていませんが、おおむね江戸時代後期ではないかと想像

解体から再生へ

躯体の解体竹小舞(土壁の下地)を構造材(柱や梁・桁など)から切り離したあとは、構造材自体をどんどん刻んで解体していきます。この工事は、あいにく見に行くことが出来なかったのですが、約2日で2棟の建物がバラバラに。 写真を見てもらうとわかるのですが、木材と竹と土以外の素材はほとんど見当たりません。ゴミになると感じたのは、プラスチック製の雨樋だけ。こうやってほぼ全て自然に還るものであっても、解体ゴミとして申請し、処分場で処分する必要がある事には、少し違和感を覚えます。 母屋の隣

解体工事開始

いよいよ解体工事へ解体前の片づけが完了し、いよいよ解体工事の開始です。 今回解体するのは、写真左側の納屋、そして写真右手赤さび屋根の母屋の裏にある建物、合計2棟です。 鉄砲狭間みたいな窓は、納屋に付属のトイレ窓。 納屋の屋根に葺いてある瓦は本瓦で、この建物の古さを物語ってくれたのですが、残すだけの予算がなく、鬼瓦だけを残すことにしました。 解体する納屋から外はこんな風に見えました。 左のドアは母屋、右のドアが納屋の入り口です。 解体してしまったら、もう二度と見ることはない

古民家の解体工事

家族所有の古民家を、部分解体することに決めてから、解体工事に至るまでのことを簡単にまとめておきます。 工事の見積もりまずは、当たり前ですが、誰に解体を依頼するかを決めるため見積もりを取りました。我が家の古民家は、増築を重ねていたので建物同士が屋根や壁を共有していましたので、壊しすぎると余分な修繕費が発生してしまいます。そこで、業者さんを選定して相見積もりを取りました。 相見積もりは建築業界ではよくあるシステムですが、業者さんによって工事の考え方・方法が違うので、単純にいく

古民家ワークショップ前夜

私の住む兵庫県は、比較的古い民家が多く残る地域です。 姫路市安富町の古井家住宅(民家としては日本で一番古い建築様式ともいいわれる)や、神戸市の箱木家住宅(庄屋さんの住宅として、現存する最古の建築)など、「千年家」として知られる有名な建築以外にも、現役バリバリの茅葺民家も多く残ります。 そんな地域柄、わたしの家族も茅葺民家を所有しています。建築年は不明。一度火事にあって焼失したという口伝が残っているので、今現存の建物はたぶん江戸時代の終わりくらい・・・。しかし、住居として使