おしゃべりとそのおわり

出血表現があります。

 陽菜ちゃんの肩にもたれながら言った。
「うちらが夫婦だったらさ、そんなことしないよね。」
陽奈ちゃんは一瞬戸惑ったような顔をして、あははと大きく笑った。
「絶対しないね。」
冷たくなったカイロを意味もなくパタパタと振った。こっちは結構真面目に言ったのに、と少し俯く。陽奈ちゃんのお母さんとお父さんは仲が悪く、喧嘩ばかりしているらしい。離婚しちゃうかもと陽菜ちゃんは心配しているけど、聞くかぎり、そんなでもないと思う。カレーの中辛をお父さんが買ってきて、お母さんが、陽菜ちゃんが食べれないじゃないの、と怒った。お母さんもお母さんで、保護者会はお父さんに行かせて、家でだらけている。そんな話だった。陽菜ちゃんは多分、ドラマの見すぎだと思う。陽菜ちゃんは続けた。
「だからさ、私、今度言おうと思って。喧嘩やめてって。」
まだ言ってなかったんだ。陽菜ちゃんは確かに少し臆病で内気なところがある。
「頑張れ。陽菜ちゃんならできる。応援してる。」
話がつまんなくなってきて、適当に締めようとした。
「でも出来るかな?お父さんもお母さんも言い合いになっちゃうと止められないかも。」
「うんうん、わかる。」
変な形の石ころを見つけた。
「この間はさー、私が寝てる時もなんか喧嘩しててさー、すぐに静まったけど私起きちゃって━━━」
カイロに視線を戻す。カイロの熊の柄は、後ろの席のみなちゃんが描いてくれた。あんまりかわいくないけど、真っ白よりは映えてよかった。ぎゅうと握りしめると、中の塊がほろほろと崩れるのが分かった。砂場で遊んでいる時にたまに出てくるやつみたいだと思った。陽菜ちゃんとは仲が良いけど、砂場で遊んだことは無かったな、と思い返していた。
「ねえ。」
「え?」
「えじゃなくてさちゃんと聞いてよ。」
「聞いてるよ、お母さんとお父さんが夜喧嘩してる話でしょ。」
ひのきの交差点が見える。陽菜ちゃんとの分かれ道だ。通学路のほとんどを喧嘩の話でうめつくした陽菜ちゃん。
「そうだけどさー。」
すこし憎いけど、友達でいなきゃいけない。陽菜ちゃんにはうちしか仲良くできる人が居ないんだから。思えば、1年生の時からうちにいつもべったりだった。うちが他の子とお喋りしてると、あとで会った時に、そっちで遊びなよ、私なんかいらないんでしょとぶつぶつ言う。うちは仕方なく仲良くしているという感じだけど、本人は本気でうちと友達でいられて嬉しいと思っている。なかなか切れない縁。そんな陽菜ちゃんは黙っていて、歩く速さが遅くなったのが分かった。カイロの隅の塊を爪で砕きながら話を聞いていたうちは、悪い予感がしてぱっと陽菜ちゃんの顔を覗き込んだ。陽菜ちゃんは、手首で瞼をぐいとこすりながら、鼻水をすすった。言葉が出ずにいると、突然地面に座り込み、嗚咽を漏らしながらその顔を小さい手で覆った。うちは思わず駆け寄る。
「どうしたの。」
ドクドクと鳴る心臓の音が聞こえる。胸の辺りの熱がどんどん広がっていく。陽菜ちゃんが泣いちゃう。足を半分引きずりながら、うちは陽菜ちゃんにもう一歩近づいた。陽菜ちゃんは鼻水を袖でぬぐいながら、濡れた目で私を睨んだと思うと、急に立ち上がってうちを押し飛ばした。うちの視界はぐらりと歪む。ランドセルの重さが陽菜ちゃんの力をたすけ、うちは見事に尻もちをついた。痛った。陽菜ちゃんは口をぐっと結んでから、何か言ったけど、鼻声だしよく分かんない。理解しようとする前にうちは勢いよく立って、思い切り陽菜ちゃんを突き飛ばした。両肩の辺りを2回くらい、ほぼ殴るようにして怒りを込めた。陽菜ちゃんは後ろによろめいて、「冨田レジデンスB棟」のプレートにぶつかった。
「何なの。泣いたり怒ったりして。もう友達やめるから。」
咄嗟に放った言葉は、うちの心の底にある思いを全部まとめたみたいなものだった。本当は友達をやめたいんだ。考えずに言ったけど、自分でも改めて気がついた気持ちだった。
「ねえ。なんで押したの。なにがそんなにやなの。」
追い討ちをかける。もうここで、今日で終わってもいい。うちは気づけば汗をかいていた。心臓がごんごんと鼓膜に音を響かせている。白い息が絶え間なく風に流れていく。
「だってえ。」
陽菜ちゃんは鼻水をぷくぷくいわせながら、なんとか聞き取れる声で喋った。
「りこんするかもひれないおにぃ。でんでんきいてくえないからぁ。」
何言ってるんだろ。でもうちの心の中には、ちょっとだけだけど、少しだけ、いつもと違う感情があった。ぐるぐると頭を巡る、狂った感じのすごい気持ち。
「もうやらぁ。ともたちやめう。」
うちの何かがふっと切れた。互いの感情がピークに達したようだった。うちが友達をやめ「させ」たのに陽菜ちゃんは、まるで自分が被害者みたいに、きっぱりと宣言した。こういういっつも噛み合わないところも憎たらしい。私は涙やら鼻水やらでツヤツヤした顔から手を離せないみじめな陽菜ちゃんを、もう一度突き飛ばした。今度は陽菜ちゃんは、建物の間の、汚いところに倒れ込んだ。錆びたパイプの通る、換気扇のごうごう鳴るところに。うちの何かがおかしかった。人のいないトンネルに赤ちゃんをそっと置いてきたような、ふわふわした悪い力を、熱といっしょに帯びていた。陽菜ちゃんは、ランドセルと右肩がすっぽりとコンクリートの間に挟まってしまって、立ち上がろうとじたばたもがく。なんだかダンゴムシみたいでドキドキした。足をバタバタと動かして、よく聞き取れない声でわーわー喋っている。そんな陽菜ちゃんを呆然と、でもよく観察して、見ていた。うちは、もう自分でも分からなかったし、何がしたいもなかったけど、熱と鼓動の速さだけは落ち着かなかった。陽菜ちゃんは足の動きをやめたかと思うと、
「ん、いや、痛、い。」
呻きながら、陽菜ちゃんは顔を必死に自分の脚に向けようとしたが、ただコンクリートに固定されてしまった体が、ミミズのようにうねっただけだった。うちが代わりにみると、ふくらはぎに沢山の切り傷が出来ていた。なるほど、コンクリートから飛び出た鋭い鉄筋に、何度も足を押しつけたらしい。バタバタやってたから、気づかずに何往復も切ってしまったのだろう。しかし明らかに一つだけ、深そうな傷があった。じっと見ていると、血がぴゅっと飛んで陽菜ちゃんの白い靴下を汚した。あとは、もう、止まらないドリンクバーみたいにジャーっと流れて落ちていった。陽菜ちゃんはいよいよ声を上げて泣き出した。その声はなぜか、うちのやる気を駆り立てた。ざまあみろという悪い気持ちと、どうしても今やらなきゃこの後ずっとできないという高揚があって、うちは陽菜ちゃんの脚に手を伸ばした。
「ぎゃっ。」
「陽菜ちゃんが悪いことするからこうなるんだよ。」
「痛い。痛い。や。」
「うちだってさっき痛かったもん。」
「やだぁ。痛い。やめてえ。」
「ごめんね。」
「うああああああ。やああ。」
「じたばたするとよけいに痛いよ。」
「ううううううう。いだああああ。あああ。」
陽菜ちゃんのふくらはぎは柔らかくて、あったかくて、ぷっちんようかんを思い出した。カイロで手を拭いて陽菜ちゃんの路地の方に放り捨てると、そのままひのきの交差点へ歩いていった。途中で振り返ると、歩道にちょっとだけはみ出した陽菜ちゃんの脚が、うちに手を振るみたいにビクビクと動いていた。ばいばい。うちは手を振り返してあげた。

 翌朝、陽菜ちゃんは先生にちくって、うちはすごく怒られた。細かくいうと、陽菜ちゃんは学校に来なかったけど、先生がなぜか知ってた。絶対ちくったんだ。今度、4人くらいで話をするらしい。でも私は平気。しりもちをついた所は、もう痛くないし。







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