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王道
イチゴ味のかき氷、ギブソンのレスポール、新婚旅行のハワイ。
この世の中にはたくさんの王道が溢れている。
子供のころはおそらくほとんどの人が王道に少なからず憧れを抱いたことがあるのではないだろうか。かくいう僕もその一人だ。
今現在でも幼少期ほどではないが、王道は好きだ。たとえば勧善懲悪の物語などはやはりどこか安心できる。僕は本に限らずどんなジャンルも試してみるしそこから好きになったものもたくさんあるけれど、たまに王道に触れると実家に帰ってきたような感覚を覚えるのだ。
王道はなにも理由なくそう呼ばれているわけではない。必ずどこかしらが秀でていて、それが大多数に認められているから王道なのである。
しかしある一定の年齢から、王道を毛嫌いする人は増える。それは生きた時間が長くなると、多種多様なものを認識することができるようになり、スタンダードが格好悪いと思うようになるからだと僕は考えている。
無意識のうちに他人と違うことがアイデンティティになっている人の数は結構多い。「僕は(私は)みんなとは違う」というあれである。
この考え方が悪いとは言わないし、僕もそう思っていた時期がある。しかしそれはさらに年齢を重ねると少しずつ和らいでいき、王道を好きにはならなくても「まあこういうのを好きな人もいるか」と受け止めれるようにならなければいけないと思う。
なので王道をすごく必死に批判する人というのはそのジャンルにおいていわゆる『王道ではないもの』を心から愛している、というよりは大人になりきれなかった人という印象を受ける。
Twitter上では『王道賛成派』と『王道反対派』が日々しのぎを削っている。僕はぶっちゃけどうでもいいな~とあくびをしながらその抗争を暇つぶしに傍観しているのだが、実に無益な争いだと思う。
もう無益すぎて実はこの人たち仲いいのでは?と考えたことも一度や二度ではない。人の好みはそれぞれで、一口に王道が好き、王道が嫌いと言えるものでもないだろう。僕は食事や漫画は王道が好きだけど、音楽やファッションは癖のあるものが好きだったりする。
この王道論争に限らず、一人一人がもう少し肩の力を抜くだけでタイムラインはずっと平和になるだろう。個人的には今の荒んだ雰囲気も大好きなんだけど。
これだからTwitterはやめられない。
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