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炎上

ここ何年かでTwitterの利用者が一気に増えたように思う。

昔はバズるといっても2万リツイートぐらいが限界だったのに、今では何十万リツイートまで伸びてるツイートを見かけることすらある。

僕はTwitterにいいね機能ができる前、ふぁぼと呼ばれていた星形のマークがTLを牛耳っていたころからの利用者なのだが、昨今の伸びているツイートに違和感を感じることがしばしばある。

面白いツイートや、幸せなツイート、有益な情報、それらが伸びるのはむしろ大歓迎なのだが、僕が引っ掛かりを感じているのはいわゆる「炎上」してしまったツイートである。

どうも僕には炎上しているツイートの半分くらいはそこまで叩かれるほどのものとは思えないのだ。勿論、中にはほんとにひどいツイートだってあるし、それは炎上しても仕方ないなぁとも思う。だが逆に、そこまで怒る必要性を感じないツイートも同じだけあると感じるのだ。

ひと昔前なら数個のお気持ち表明リプがぶら下がるだけで終わっていたはずのツイートたちが、魔女狩りのように標的になっては火あぶりにされ消えていく。

そもそも人間誰しも1度くらい間違いは起こしてしまうものだ。にも拘わらず、TLの火付け達は再起のチャンスを与えることもなく叩き潰してしまう。炎上したツイートの主が謝罪したところで「気持ちが入ってない」などと文面ではどうしようもない難癖をつけてばっさり切り捨てられるのがオチである。

今日本は高倫理社会になっている。いや、超高倫理社会といったほうが正しいのかもしれない。誰もが刃を手にし、ネット上とはいえアカウント1つを簡単に殺せてしまうのだ。うっかり勢い余って不謹慎なことや批判を呟いたが最後、そのツイートは電波の大海原を渡り世界一周を始め、帰ってくる頃にはアカウントが凍結しているだろう。

勘違いしてほしくないので言っておくが、僕は批判や不謹慎を擁護しているわけではない。よくないものだと思ってはいるが、嫌なら見なければいいのである。それができるのが仮想世界であるSNSの特権なのに、わざわざ労力を消費して戦う彼はサイヤ人の末裔なのだろうか。

今日自分が批判していても、明日には燃え上がっているかもしれない、それが今のTwitterである。

もう少し肩の力を抜いて、気楽にSNSを楽しむ人が増えるといいな、そう思わずにはいられない。

なによりブラックジョークを好む僕は、このままだと遅かれ早かれ炎上するに違いないのでどうにかなってほしいものである。


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