見出し画像

「ケータイを持ったサル」を読み直して

長い引用になりましたが、江戸時代、庶民には男中心ではなかったようです。皮肉にも民法ができたことで差別が生まれたようにも思えます。外国人には野蛮に映ったかも知れませんが、男女差別がない風潮は悪いことではないように思えます。落語の例えば「芝浜」などを思い出しても男が威張っているようでいて手のひらで遊ばせているようにも思えます。

21世期に発生した「性差」の発想
 そもそも日本人の生活全般にわたって、当時は「男であること」「女であること」の意識が希薄であったことを示唆する資料が多く残されている。
 そうした代表例として、エドワード・モースの「日本その日その日」と言う著作をあげることができるだろう。彼はアメリカ生まれの動物学者で、明治維新から10年を経過した時期に政府の招きで現在の東京大学の生物学の教師として
招かれ、そのころの日本の庶民の生活をして活写した記録を残したのだった。
 彼にとって見るものすべてが驚きの連続であったことが、今に残された文章からよくうかがえるのだが、とりわけ興味を引いたのが、庶民が男女の差を問わず、裸体を公衆にさらしていて、かつ全く恥じらいを見せないことであった。肉体労働に従事する者は、誰でも裸であるし、また働くにあたって女だからとか、男だからという配慮は全くなされないという。
 さらに浴場は道路に面して作られているのがふつうであり、通行人から丸見えである。「老幼の両性が一緒に風呂に入っていて、而もそれが(低い衝立が幾分が幾分が入浴しているところにでくわすと、かっこ身に一糸もまとわぬ彼女としては(中略)身体を洗うことを中止せずに平気で我々一行を眺めやった。人力車夫たちは顔を向けもしなかった」。男女七歳にして席を同じゅうせずというような規範は、みじんも存在していない。
 現在われわれがテレビの時代劇ドラマでよく目にするような、いわゆる「伝統的な」男らしさや女らしさというものは、実は明治維新以降、それもかなりの年月を経たのち、ようやく形成されたものなのである。p.156〜

#ケータイを持ったサル #ケータイ #男女関係 #読書 #男らしさ  #性差 #女らしさ #芝浜 #落語

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?