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ハリネズミ

「君は優しすぎて怖いよ」
そう人から贈られた言葉のギフト。

誰かの目に私が優しい人であると
映っているのはすごく嬉しくて

優しい人になりたい私にとっては
最高のギフトだ。

でも、その言葉を貰うたび、
自分の心が痛くて辛い。

私はそんな優しくないんだよ。

人に優しくするのは当たり前で
自己を犠牲にするのと表裏一体

心の痛みや哀しさが
今も心の中で生きているから
人の痛みを知っているから 分かるから
人に優しくする。

「ありがとう」と言われる度、
自分が生きているんだと
存在価値が見いだせるから。

それだけなんだよ。
きっと私は優しい人なんかじゃない。

自分の存在価値を人に委ねる私に
優しい人なんて言わないで。

自分で解決できないことが起きた時
助けて欲しいと思っても
言えない人が居る。

その人の気持ちが痛いくらい分かるから
人に優しくするだけなんだ。

私が誰かに言えないからなんだよ。

私は自分が頑張るのは
当たり前で 誰かに尽くすのが普通だと
思って生きている。

ある意味、人に期待をしていない。
人から同じように優しくされることを
求めていない。

それは本当の自分を 見せないということで
弱みを見せることが出来ないということ。

自分の弱さを出さないから
人からその優しさが怖いと思われる。

誰かを救ったりすることでしか
存在価値を見いだせない私は何なんだ。

本当は助けて欲しい。
この心の痛みを
誰かに気づいて欲しいんだろうと思う。

でも周りの人には
絶対に見せないように生きてきた。

私と話すことで
誰かの大切な時間を奪ってしまう、、

だから私はこうやっていつも
文章で私の心の痛みを 癒す。

noteが 私を救う媒体である。

そんな自分が ハリネズミみたいで
すごく嫌になる。

誰かの笑顔が見れないと
私の価値が無いようで

いつの間にか 私はその憂いを
心地よく感じるほど になった。

言葉を文章で綴れど、口には出せない。
こんなハリネズミみたいな私は
いつになれば 自分を本当の意味で救うことが出来るのだろう。

優しさの根源が 寂しさであるなんて
気付きたくなかった。

本当の意味で優しい人になりたいんだ。
この優しさという鋭い針で
自分を守るんじゃない。

自分を大切にしないと
人に本当の意味で優しくできないというのは
こういうことなんだと思う。

自分を大切にすること、
それは何よりも難しい。

いつの間にか身にまとっていた
この針を 私はいつ、
鎮めることができるだろう。

分からない毎日をただ変わりたい。
と思いながら生きている。

夜が明けた。
鳥のさえずりが心を潤す この愛しい日に、
私は人と同じように
私自身も大切にしようと想う。

この世界で1人で
寂しい想いを抱えている人の
見えない涙が、心の深くで
海にならないように。。

同じような人を救えるように
私は今日も 想いを綴る。




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