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パリ、ラスベガス、コロナ、ウィーン

【オッサンの1人あるき】

 20時間ぐらいかけて移動した中で、結局細切れにしか寝れなかった。合計しても4時間ぐらいだろうか。
 
 ホテルの最寄り駅についたら腹が減って、なぜかハンバーガーを食べたくなった。普段、日本ではほとんど食べないのに、である。

 駅ビルの中にマクドナルドがあったのだが「さすがにウィーンきてマクドはなあ」という気持ちと「でも国によって味が違うし、それはそれで面白いかも」という気持ちが交錯した。
 
 駅からホテルまでは歩いて10分ぐらいなので、とりあえず歩いてみて、よさげな店があったら入ることにしてマクドは却下した。

 今日のウィーンは少し肌寒く、東京でいえば10月中旬ぐらいの気温だった。

 これまで海外に来ても写真を撮ることはほとんどなかったが、このnoteの担当のカネポンと楠原遊の指示で、ちょっと気になるものを見つけては写真を撮った。

 その内いくつかはTwitterにもアップしたのだが、そのほかにもLINEやメールの対応などをしていたら、少しだけ道を間違えてしまった。

間違えついでに「市立公園」という日比谷公園ぐらいの大きさの公園の中を歩いてホテルに向かった。
 
 立派な建物があり(あとで調べたら音楽堂らしい)、金ピカのバイオリン奏者の像があった。
 下にヨハン・ストラウスと書いてあるが、おそらく有名な音楽家なのだろう。

 ホテルの裏側から近づくような形でたどり着き、チェックインした。

 結局、入りたくなるような飲食店は見つけられなくて、ホテルのロビーにあるカフェにしようかと思ったが、クロワッサンとケーキぐらいしか見当たらない。
 クロワッサンとシナモンボンをヘルシンキで食べたし、やっぱり肉を食いたいと思って、駅の方に戻った。

 来る時とは違う道を通ると、途中でレストランが何軒かあった。
 ちょうどランチタイムにさしかかる時間帯だったが、どうしても入る気になれなかった。
 もし美味しくなかったら、とても嫌な気持ちになるからである。
 日本でも適当に見つけた店に入って良かった経験はほとんどない。米が固かったり炊飯器や冷凍のにおいがして、すぐにテンションが下がる。味付けが濃すぎるのも苦手だし、とにかく誰かの紹介かネットの口コミじゃなければ、だいたい「ハズレ」を引いてしまうのだ。

 その点、小島武夫プロはすごかった。「うーん、よし! ここにしよう」と言って入った店がダメだった記憶がない。
 私は晩年の小島先生としかお付き合いがないから、せいぜいそうやって行き当たりばったりで入った店は4、5軒だが、すべて美味しかった。しかも安いのである。

小島武夫プロ

  私はその逆で、高くてまずい店を見つけてしまう。
 
  途中「ここだ」と思って入った店には女性しかいなかった。
 オーストリア女子たちがサラダやケーキを自由に取り分けていた。
 
 明らかに地元で働いている人たちだった。
 本当はそういう店がうまいはずなのだが、東洋人の小太りのオッサンには、ゲルマン民族の年頃の女子たちに交じる勇気はなかった。
 
 結局、駅まで戻ってマクドに行ってみたのだが、その隣に「Burger Bros」という店があった。刺青だらけの太い腕で肉を焼いているお兄ちゃん2人を見て「なんとなくうまそう」と思ってこちらにした。

 食べたのはチーズバーガー。ポテトとオレンジジュースで16ユーロ。
 東京のファイヤーハウスぐらいの値段だが、味はファイヤーハウスの勝ち。ポテトはBrosの勝ちだった。
 肉のパテが少しぱさぱさしていて、ファイヤーハウスの方がジューシーな分、勝ちだと思った。

腹が一杯になったら眠くなって、まだ14時なのに寝てしまった。こんなことをしていると時差ボケがなおらないのだが、仕方なかった。

【海外志向の森山会長】

 携帯の音も切って寝ていたのだが、部屋の電話で目が覚めた。
 森山茂和会長だった。会長は私より1日早く着いており、チェックインした際に部屋番号だけLINEしておいたのである。
 
 19時を過ぎていた。つまり5時間以上も寝ていたということになる。
 
 夕食をご一緒することになった。
 まだ腹にはハンバーガーとポテトが溜まっていたのだが、会長と奥様には会っておきたかった。

 ロビーに行くと、ちょうど選手のグループが夕食から帰ってきたところだった。
 ガース、二階堂姉妹、和泉由希子、山井弘、本田朋広、日吉辰哉、古橋崇志、大庭三四郎、三田晋也たちが、会長に「ご馳走様でした」と口々に言っている。みんなで食事に行って、支払いだけ会長だったということだろう。
 和泉は酔っぱらっていて「シャンパンあけちゃいました、さーせん!」と言っていた。三田はずっとカメラを回していた。

 会長はこうやってお金を出すことが多いが、連盟の金は使わない。連盟から会長職に対する報酬も出ていないので、正味、会長を務めることによって、毎年200万円ぐらいはマイナスしているのではないだろうか。
 
 ひとしきり挨拶が終わった後、私と会長夫妻で食事をした。シーザーサラダとスープだけで十分だった。

 そこにジェマさん夫妻がやってきた。
 
 ジェマさんは、世界選手権構想を相談しに来られた後、日本プロ麻雀連盟のプロになった。初のイギリス人プロ雀士である。
 
 日本式麻雀の世界選手権の名称は「World Riichi Championship」になった。略称は「WRC」である。
 
 組織としての「WRC」も創設され、マーティン・レップ氏が初代会長となった。

 2014年にはフランスのパリで第1回大会が開催され、山井弘プロが優勝した。

左から2番目・山井弘プロ

 その後、ジェマさんがWRCの会長となった。

 2017年にはアメリカ合衆国のラスベガスで第2回大会が行われ、ともたけ雅晴プロが優勝した。

写真中央・ともたけ雅晴プロ

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