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プロ雀士スーパースター列伝 菅原千瑛 編

【哲也が導いた】

 菅原千瑛清純派黒魔術師という通り名をつけたのは私である。
 彼女がいろいろな対局で勝つからだ。それも、切れ味鋭い攻めがあるとか、そういう分かりやすい勝ち方をするのではなく、なんか勝負所で必ずアガって勝つよな、みたいな感じなのである。
 それを「しぶとい」とか「粘り強い」みたいな表現にしてキャッチにしても面白くはない。これはもう「魔術」を使っていることにしよう。それもヤバいやつ。中世のヨーロッパの魔女のイメージだ。コウモリとかヤモリとかをぐつぐつ煮込んでスープ作ってるような、そういう黒い魔法を使うやつにしよう。
 菅原は清純派キャラだったので、あえて怖い魔法使いのイメージで名付けることにしたのであった。

 菅原は中学の頃、兄が「哲也」の単行本を持っていて、それを読んだことで麻雀に興味を持った。
 「哲也」とは小説「麻雀放浪記」を原作にした麻雀劇画の大ヒット作だ。舞台は戦後の東京で、インチキ技も詐欺みたいな行為もなんでもありの、アンダーグラウンドな麻雀を扱ったピカレスクロマンだ。
 「麻雀放浪記」を書いたのは阿佐田哲也で、阿佐田が「麻雀新撰組」を作ったことで現在のプロ麻雀界が始まったと言っても過言ではない。
 菅原はまずプロ麻雀界の始祖と邂逅したわけだ。
 その後すぐ、自宅のCS放送のことを思い出した。そういえば麻雀やっていたな、と。
 スカパーのチャンネル279(当時)「モンド21」(現MONDOTV)を見つけ出して「麻雀プロリーグ」を観るようになった。
 最初に気になったのは笑顔が素敵なオジサンだった。小島武夫だった。
 小島は神田の雀荘で働いていたが、阿佐田に見出されて麻雀界のスターになった。後に菅原が所属することになる「日本プロ麻雀連盟」の初代会長でもあった。

小島武夫

 ゲームセンターに行列を作っていた「麻雀格闘倶楽部」で腕を磨いた。筐体の横にあったリーフレットを開くと、たくさんのプロ雀士たちが紹介されていた。
 ムツゴロウさんこと畑正憲や「あいのり」に出ていた和泉由希子がいることを知り、驚いた。
 麻雀は楽しかったが、中学3年生になった菅原は、そろそろ大人になる準備を始めなければならなかった。

【退屈】

 通っていた中学は、上に高校があった。受験をしなくても、そのまま進学できた。いわゆるお嬢様学校で、そこに進むのが嫌だったわけではないのだが「面白くなさそう」という想いがずっと菅原の胸の内にあった。
 このまま敷かれたレールを進むように人生を歩んで行って満足できるのだろうか。進学して、就職して、会社でお茶くんでくれと言われたりして。それで面白いのだろうか。
 経済的に不自由な経験をしたことのない菅原は、それが十分に幸せな人生であることを頭では分かっていつつも、軌道から外れようとしていた。
 退屈が嫌だったのだ。
 退屈が嫌。これ、一種の危険思想であって、ギャンブルにのめり込む人の発想でもある。「麻雀放浪記」の世界に出てくる人物のほとんどがそうで、刺激のない、普通の人生に飽きて無謀な戦いに挑もうとする。
 もしかしたら、阿佐田が菅原に悪影響を与えたのか。そうではなく、元来、菅原が持っていた勝負師根性みたいなものが、漫画「哲也」を引き寄せたのか。
 本人にも分からないと思うが、菅原は進学先にかなり特殊な高校を選んだ。

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