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プロ雀士スーパースター列伝 勝又健志編

勝又はなぜ麻雀を打つのか?


【世界大会優勝で両親に認めさせた】

 勝又健志が初めて牌を握ったのは小学校5年生の頃だった。

 正月になると墨田区の家に親戚が集まってくる。父は7人兄弟で祖父も一緒に住んでおり、皆が麻雀を打った。
 大人たちがワイワイ楽しむ姿を見て、勝又は「打たせてほしい」とせがんだ。七対子とトイトイぐらいしか分からない状態で卓に着いたが、それでも面白かった。

 それから麻雀をちゃんと覚えて、中学の頃には勝てるようになった。
 早稲田実業中等部に入学し、剣道部に入った。当時は校舎が早稲田鶴巻町にあって、早稲田大学の剣道部員が稽古に来てくれることもあった。
 練習が終わった後、部室でカード麻雀をやることになり、大学生と麻雀をやったが、勝又は勝った。

 高校はそのまま早稲田実業で、大学も早稲田だった。
 中学と高校でもずっと麻雀を打っていたが、9勝1敗ペースだった。
 大学生になってすぐ雀荘デビューを果たした。
 神楽坂の「ばかんす」という店で友達と麻雀を打っていたら、従業員から「キミ、普通に麻雀うまいからフリーで打てばええやん」と言われ、その店で知らない人と打つようになった。

 後から知ったのだが、その従業員は若手プロ雀士で「ばかんす」は若手だけではなく、ベテランプロたちが多数訪れる店だった。
 荒正義、藤原隆弘、古久根英孝らが顔を出すこともあったし、プロになったばかりの清水香織、藤崎智、滝沢和典、佐藤崇、老月貴紀らもよく来ていた。私もその中の一人だった。当時まだプロ入り前で、後に勝又の同期生となる山田浩之、松崎良文もいた。

 勝又はすぐに日本プロ麻雀連盟のテストを受け、合格した。
 当時は最下層リーグがC3で、大学4年生の時にはC1まで上がっていた。
 中学からずっと麻雀にどっぷりつかっており、あまり将来のことを考えることがないまま4年生になってしまった。
 就職活動などしておらず、卒業しようと思えばできたが、する意味があるのかという状況だった。
 母は「卒業しなさい」と言う。
 勝又は「プロ雀士として生きていきたい」と言う。
 父は「じゃあ1年だけ留年しろ。その学費は払ってやる。その代わり1年でプロ雀士として結果が出せなかったら就職しろ。いま卒業して来年になって就職するよりも、新卒として就職活動した方がいいだろう」と、合理的な判断を下してくれた。

 その年、麻雀の世界選手権があった。麻雀とはいっても国際公式ルールという名称で、中国の麻雀をベースにしたものだった。日本のプロが打つ麻雀とは全然違うゲーム性だったが、勝又はその大会に出場し、団体戦で優勝を果たした。
 2002年に九段下にあった「ホテルグランドパレス」で行われたその大会の結果はスポーツ新聞などに掲載された。
 勝又はその新聞を両親に見せて「結果を出した」ことを認めてもらった。
 

【人生の転機】

 勝又は器用で頭が良い。麻雀が強いだけではなく、学習塾の講師をやっても、プロ団体の裏方の仕事をさせてもちゃんとこなす。実況や解説も抜群にうまい。

 そういう人間が、なぜ麻雀のプロなどをやっているのか。
 麻雀ファンは勝又や勝又の麻雀に「ロマン」を見出しているのかもしれないが、勝又自身が麻雀に「ロマン」を求めているようには見えない。麻雀に魅了されて、やめられない人間という風でもない。
 私なりに「ばかんす」時代から彼のことを見てきたが、どうも人生において麻雀と心中しようというような、バカげたロマンは持っていないように見えるのである。
 だったら、普通に就職してちゃんと働いた方が良かったのではないかと思う。
 不思議なのだ。
 麻雀界には「ちゃんと仕事できない人」が集まってくるというのが常識なのに、なぜ「できる人」がやってきて、脇目も振らず麻雀にいそしむのか。
 お前はなぜ、麻雀をやりつづけているの?

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