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近畿WEIN図鑑 #4 岸澤 宏樹

プロフィール
岸澤 宏樹(きしざわ ひろき)
大阪府大阪市出身、在住。大阪体育大学卒業。
2017年12月、大学3年時にトレーニング中の事故で下半身付随に。下を向くことなく、新しい競技で世界と戦うことを決め、パラアスリート兼会社員として活動中。

-岸澤さん、本日はどうぞよろしくお願いいたします。早速ですが、まず最初に自己紹介をお願いできますでしょうか。                             

初めまして。岸澤宏樹(きしざわひろき)と申します。
現在はパラアスリートとして、陸上競技の車いす種目で「世界」を目指して日々トレーニングに打ち込んでいます。                                                             

もともと大学が大阪体育大学で、高校も大塚高校の体育科に通っており、スポーツづくしで生きてきました。そして、大学3年生時、トレーニングで150キロの重さでスクワットをしていたときにそのままつぶれてしまい、背骨の脱臼骨折、脊髄の損傷によって下半身が全く動かない状態になってしまいました。

ずっとハードル競技をしてきた中で突然歩くこともできなくなったのですが、僕自身は怪我をしてしまった瞬間からそんなに大きく落ち込むことはありませんでした。その時の手術自体が生死を分けるようなものであったので、生きていたというだけでその手術の次の日ぐらいからはまた違うスポーツで世界を目指そうかと思っていました。

-ずっとハードル競技をされてきたということですが、いつから始められたんですか?                                              

中学からです。実は小学校までは空手と水泳をやっていたのですが、入学した中学に水泳部がなくて、その時に陸上部に入ったのがきっかけになります。最初は短距離をやっていたのですが、中学2年の時に顧問の先生に勧められてハードルを始めました。

-水泳部がなかったのがきっかけなんですね。中学3年間ハードルを頑張られて、体育科のある大塚高校へ進学されますが、高校生活において最も忘れられないエピソードを教えていただけますでしょうか?          

インターハイの大阪予選で転倒してしまったことでしょうか。インターハイ出場を目標に掲げていた中で、ゴール目の前で転倒してしまい、、、大きな挫折でしたね。

ただ、体育科という自衛隊のように厳しくも学びのある環境に身を置くことができたおかげで、やりきった時の達成感や喜びというものを忘れることができなくなってしまいました。どんどん求めてまたチャレンジしたくなるという毎日がワクワクの3年間でした。

-そのような非常に厳しい環境のなかでも前向きに取り組み続けることができた根元にあるものは、やっぱりハードルが好きという気持ちが大きかったのでしょうか?                            

そうですね。好きっていう感情はもちろんですし、自分が楽しんでいるとか、周りと切磋琢磨しながら日々成長しているということを実感することができていたのが大きいと思います。

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-なるほど。同じ目標を持つ仲間の存在も大きかったんですね。大学は大阪体育大学に進学されるのですが、入学時にはどのような目標を掲げられていたんですか?                                                                                                                   

高校の時に全国大会に出場することができなかったので、大学こそは絶対に全国大会に出場しようと思っていました。また、教員になりたいと考えていたので、教員免許の取得ということも目標としていました。

-教員になることもお考えになられていたんですね。どのような理由から教員になろうと思われていたんですか?                                                                 

スポーツの楽しさについて自分から伝えていきたかったのと、高校のときに3年生から1年生まで縦の繋がりが非常に強く、下級生に対して指導したりするのが楽しかったという理由から、中学校の体育教員になろうと考えていました。

-岸澤さんのような先輩に恵まれた後輩の方々は幸せですね。スポーツの楽しさを伝えていきたかったとのことですが、岸澤さんが感じられているスポーツの価値、魅力について教えていただけますでしょうか。       

スポーツってもちろんやりがいもそうですが、競技する人だけでなく応援する人もいて、そこの繋がりが競技者の成長の糧になったり、人との関係がどんどん生まれていって広がっていくことで人生が豊かになっていくことが何よりも大きな魅力だと感じています。また、人に楽しい気持ちや活力、前向きさを届けられるところもスポーツが持つ大きな価値だと思います。

-ここから怪我をされた時についてお伺いさせていただきたいと思います。自己紹介の部分で、岸澤さんとしては怪我をした時にそんなに落ち込まなかったと仰っていたのですが、この部分についてもう少し詳しく教えて頂いてもよろしいでしょうか?                               

当時は周りの方がビックリしていましたね。周りは僕が落ち込んで暗い顔でいるんじゃないかと想像していたみたいで、めちゃくちゃ明るい僕をみて驚いていました(笑) 

もちろんハードルがめちゃくちゃ好きだったので、「あぁ・・・」という気持ちも持ち合わせていたのですが、それと同時に「パラ陸上の車いす種目で世界を目指す」という新しい目標が見えたので、ショックな気持ち以上に世界を目指してチャレンジすることで、周りも明るくなってくれて、自分にとっても良いことやなと思っていました。自分がずっと暗くなっていても良くないと思って、中身から変えていくようにしていました。

-自身がチャレンジすることで周りも明るくなってくれる」という風にご自身のことだけでなく、仲間や周りに対しての思い遣りという部分にとても感銘を受けたのですが、仲間や他者を大切にするという精神もスポーツから培われたものなのでしょうか?                                                                                        

はい、とても大きいと感じています。あと、もちろん周りを良くしたいという気持ちもありつつ、そうすることが結果的に自分自身にとっても良いことが多くて、掛け算の様に周りも自分も共に良くなっていくことを感じているからこそ、仲間や他者を大切にしているんだろうなと思います。

また、入院中に平昌(ピョンチャン)のオリンピック・パラリンピックがあって、それをみて自分が受け取る気持ちが大きくあったので、それを自分に置き換えて周りに良い影響を与えていきたいと思ったことも大きいですね。

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-誰かの役に立つことが結果、自分に良いことが返ってくる。とても勉強になります。新たにパラ陸上の車いす種目を始められた当初はどんな感じだったんですか??                            

車いすのスポーツをされる方って、多くの方々が仕事中の不慮の事故や先天性の要因で始められるのですが、僕の場合、めちゃくちゃスポーツをやってきたなかでのスポーツでの事故だったので、パラスポーツを始めるにあたってこんなにいい条件はないなと思っていました。他の人に比べて大きなアドバンテージがあるという風に思ったんですね。

このアドバンテージを活かさずどうするんだと。だからこそ「世界」というものが見えたのもあります。そして、自分が挑戦することで、周りが高まってくれるという雰囲気もあったので、非常にいい環境のもとでトレーニングに打ち込むことができていました。                                                                    

-大きなアドバンテージがあるという風に思われたんですね。「周りが高まってくれる」という部分ですが、この周りとは部活のメンバーの方々を指していますでしょうか?                         

部活のメンバーに限らずですね。高校の顧問とかも「元気でたわ」と言ってそれをどんどん良い方向に循環させていってくれましたし、もちろん同級生からもそうですし、人生を通じて関わってきてくれた人たちが応援してくれるということは非常に嬉しく、頑張るきっかけになりました。

-アスリートとしての直近の目標について教えていただけますでしょうか  

直近でいうと、2022年に神戸で開催される世界選手権の出場、いずれは世界大会で金メダルを一番の大きな目標としています。地元関西で開催されるということで、ここは絶対に活躍せなあかんやろという気持ちで日々トレーニングに励んでいます。

-2022年に神戸で世界選手権が開催されるんですね。近畿部隊で応援に行きます!ちなみに何歳まで現役を続けようとかはお考えになられているんですか?                                 

明確に何歳まで続けるということは考えていないですが、2028年のロサンゼルスパラリンピックまではみていますね。ただ、スポーツ以外のところでも何かしたいなと考えています。アスリートって練習にプラスして時間を作ることが可能だと思うので、そこで何か動きだしたいなと思っています。周りの人たちの助けになることを仕事としてやっていきたいと考えています。

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-スポーツ以外のところでも何かしたいとお考えですね。こんなことをしてみたいとか何か妄想されていることはあるんですか?          

一番は起業とかも考えていて、手段としてはスポーツが一番考えやすいので、うまく活用して事業を起こせるのであればチャレンジしてみたいですし、講演活動にも取り組んでいきたいと考えています。ひとりでも多くの方々の力になっていきたいと強く思っています

-近畿部隊で企画しますので、ぜひ講演して頂きたいです。岸澤さんがWEINを志望された理由について教えていただけますでしょうか。       

まさに挑戦というテーマのところなのですが、自身が起業とかをしたいとぼんやり描いていることを色々な刺激を受けながら明確にしていきたいですし、やっぱり挑戦している人をみて何か情報を得ていくことで自分がすべき準備であったり、キーになる部分が見つかると思いましたもちろん周りに挑戦する人がいる環境に入りたかったのも高校、大学時代と一緒で、また自分自身も誰かを応援、サポートしたいと思ったというのが志望した理由になります。

-ちなみに近畿部隊で挑戦してみたことはございますでしょうか?     

今はコロナ渦で集まりにくい状況ですが、1度、直接顔を合わせて話をしてみたいですね。そこで確実にひとつは何かが生まれるはずですし。何かが生まれはじめたら、僕でいうスポーツのようにそれぞれの持っている得意の部分が掛け算の力になって、それを色んな形でコラボレーションやイベントにできる、近畿部隊で開くことで、近畿だけじゃなく全国に広がっていくと非常におもしろいのではないかと思います。

あとは、実際に起業されたり、お店をオープンされたりする方々って、今はなかなか厳しい環境でどうしても心理的にブレーキがかかってしまうことがあったりとすると思うので、そこを人数を集めれるからこそ、ひとりひとりが少しの支援をすることで支援の輪が大きくなっていくと思うので、目に見えるお金の形だけでなく、色んな形で支援を可視化していければなと考えています。

-素敵すぎます。ぜひ協働していきましょう!岸澤さんが挑戦するうえで大切にされていることはどのようなことですか?              

一番のベースとしては、楽しむこととか笑顔でいることですね。そして、挑戦するうえで一歩を踏み出すためには、自分自身で欲をだすという自己的な部分ももちろんありますが、誰かひとりのためや周りの家族のため、この環境のためというように、利他的な一歩の踏み出し方もあると思います。

そこを誰かがサポートする、うまく積極性に導いてくれる誰かがいたら、何かの挑戦が生まれると思いますし、そこには笑顔があって、それぞれの楽しさがあると思うので、その辺りが大切だなと感じています。

-他者や周りから受ける一歩の踏み出し方もあるとのことですが、心から信頼できる仲間や友人を見つけるためにはどのようなことが大切でしょうか? 

何より笑顔が大切だと思います。笑顔の人って話し掛けやすいじゃないですか。何かしらの理由で落ち込んでいる人も何かのきっかけで笑顔になることができれば何かの一歩になって、逆に周りの人の笑顔をみてそれが一歩になって・・・笑顔でいることがキーポイントやと思います。

-まさに「笑う角には福来たる」ですね。最後に岸澤さんにとってのWell-beingを教えていただけますでしょうか。                

楽しく前を向いていくことです。
Well-beingというのは、対称的に言うと何か悪いことがあるからこそWell-beingという言葉があると思うんですけど、僕で言ったら歩けないということはひとつの幸せではないことです。

でも、そこを見てしまうとどうしても心もWell-beingじゃなくなるし、それを見ている周りもWell-beingじゃなくなると思うので、何かその悪いところに目を向けるのではなくて、ひとつでもある良いところに目を向ける、僕で言ったら世界が見えたことのように何かひとつでもあるなら、それに全力で挑戦してみることが、Well-beingに繋がったり、笑顔になったり、楽しさを感じる事になる鍵だと思います。

どんな些細なことでもいいので何か良い部分をひとつ見つけて、そこを存分に出してみるとか、その一歩を出したときには人生を長い目で見てもWell-beingになると思います。

以上

最後までお読みいただき、ありがとうございました。




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