私がAPD(聴覚情報処理障害)に辿り着いた過程

交流会などでお会いした方にはある程度自分の事もお話しているのですが

そこでもやはり最初に皆さん話されるのは「自分がAPDかな、と思った理由」だと思います。

仕事場での電話が、他の方と明らかに違うほど聞き取りづらかったり、休み時間に友達にあまりに頻繁に自分だけ聞き返す事から「あれ?」ってなったり。

で、そういう私自身はどういう経緯でAPDという日本ではまだ認知されていない症例にたどり着いたのか、を
誰かの参考までになれば、と一度ここで書いておきます。

◇私の背景

●私自身は軽度のAPD/軽度のASD(自閉症スペクトラム障害)と国立医療福祉大の小渕先生に診断して頂きました。
●以前に一度心療内科で発達障害の検査をして頂いて「医学的には発達障害とは言えないが、コミュニケーション能力に障害はある」(いわゆるグレーゾーン)との診断を頂いた事があります。
●大きく体調を崩して入院した経験は二度、
中学一年生の頃に原因不明の発熱が半年ほど続き(38-40度超)、大学病院に入院するも結局原因不明のまま症状が治まったので退院(今思うと菊池病かな?と推測)
大学一年生で麻疹を悪化させて二週間ほど入院(前後記憶が飛んでるのでおおよそ)
この二回目の入院後に、聞き取りに関して「あれ?」と思うことがたまに発生していました、ただ聴力検査で引っかかったことは一度もないままです。

◇課題となった問題点

私が日々の生活の中で解決に迫られた問題は大きく二点ありました、

・日中に強烈な眠気が発生する場面が頻発していた事。

・「聞こえているんだけど聞き取れない場面がある、情報が頭の中で形にならずに抜け落ちていく」

◇問題に対してのアプローチ

・まず一点目が最初に顕著に表れていた為(というかそれが原因で派手に事故った)
なぜそのような現象が発生するのかを考え、最初に検討した可能性は睡眠障害でした。

幸い南大阪には睡眠外来のあるクリニックが一件あった為、そちらで診て頂き、睡眠時無呼吸症候群の特徴は見られるものの、そこまで重いものではない事、生活指導や寝具の見直しなどを指導して頂き、多少の症状の軽減は見られました。
その後色々工夫はしてみるものの、一定から先の改善がみられないので一旦棚上げして二点目に取り組み始めます。

・私の場合は、自分がクリスチャンという点もあり、仕事場よりも教会で講演を聞く際に二点目の問題が顕著な悪影響を及ぼしていました。

最初は自分の不注意や不真面目さから、講演の内容がノートに取れなかったり、要約しようとするときに情報がごそっと抜け落ちてしまうのだと思っていたのですが、色々なものを調整した後になっても

「特定の話し手の話になると全く話が頭の中で形のある意味にならない、聞きなれた単語であってもノートに書こうと思って手元を見る一瞬の間に、単語がきれいさっぱり消えていることが頻発している」等々

要するに「耳から音は聞こえていているけれど、それが意味になっていないケースがやたらと多い」という事に気づきます。
色々な条件や実験を繰り返した結果として「耳ではなく脳に何か問題がありそう、ただそれがどういう問題なのかわからん」というあたりまで絞り込んだところで、2018年夏のNHKさんによるAPD報道がSNS上で話題になります。

その後すぐに予約を取って、11月末に診て頂くことになります。

「検査結果としては、APDと認めうる数字は出るんだけど、会話してる限りだと聞き落としとかある感じしないなあ」と多少不思議がられはしたもののそれ故か軽度のAPDという判断をして頂きました。

その後、色々と考えた結果としては
「聞き取れる単語や音、アクセントや聞き落とした文字や文字数を脳で必死に補正しているから、その処理が追いつく限りは違和感なくいけるんだろう」というあたりがAPDに関しては今の私の置かれている状況だととらえています。

これ以外にも色々と問題はありますが、APD周辺に絞って書き起こしてみました。

◇今の自分の感想

自分の性格として問題の分析と切り分けは得意なので、自分の問題をとにかく切り分けて一つ一つの問題の原因に仮説を立てて実験、仮説を立てて実験、の繰り返しで長期的に全般的な問題は軽減できていると感じています。

ただ、同じようなアプローチは万人受けするものではないと思います。
自分に合った、自分への付き合い方を見つける事が大切なんではないでしょうか。

◇最後に

ただ、交流会などでお話させて頂いていると、そこまでするモチベーションや気力が今は持てない方も決して少なくないと感じています。

生きる事そのものに意義や積極的な見方が持てない時点で、どんなハウツーも意味がほぼないと思います。

私自身、離人に自傷に希死念慮といったあたりは軒並み経験し、成人して数年の引きこもり経験もありますが、そのころにAPDを知っていたとしても恐らく何も響かなかったと思います。

そのような状態から底を打って、持ち直すには恐らく誰もが年単位の時間を必要とするのかもしれません。
それを手伝う社会的役割は少なくともAPD当事者会の受け持つものではないかもしれません。

ただ、私がそれでも交流会を始めようと思った理由は単純で

「普通(この表現がいいかは一旦さておき)の人はあなたほどしんどくないらしいよ、でもあなたは一人じゃないんだよ」

という事を何とか伝えられたらいいなあ、という程度のものです。

でも恐らく、それは人と人が顔を合わせないと上手く伝えられない類のものなんじゃないかな、と勝手に思っています。

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