「want」と「must」
「want」と「must」という単語はそれぞれ
「~したい」・「~しなければならない」という意味を持つ英単語だ。
何かを続けるにはこの「want」と「must」のバランスがとても重要だと思う。
自分の悩みの一つに「長続きしないこと」があるいわゆる。
いわゆる「三日坊主」ってやつだ。
あれをやりたい、これをやりたいという瞬間的な欲求が出てくるものの
だいたいが長続きしない。
NOTEを書いてみたい。
ブログをやってみたい。
動画を作ってみたい。
それぞれ自分がやりたいと思ったことなのに、実践してみるとことごとく長続きしない。
「やりたい」という感情が、「面倒くさい」・「飽きた」という別の感情に上書きされてしまうのだ。
なんで続かないのだろうと考えた時に、自分がやりたいと思ったことには
「want」があっても「must」がないということに気付いた。
誰かに強制されているわけじゃなく、自分がやろうと思って始めたこと
別にやらなくてもいいことだ。
考えてみれば
今まで自分がやってきたことには必ず「must」が含まれていた。
大学へ入学するために勉強をしなければならない
大学を卒業するために単位を取らなければならない
スポーツの試合で勝つ為に練習しなければならない
お金を稼ぐために働かなければならない
生きるためにご飯を食べなければならない
これらは「やってきた事」というより「やらされてきた事」かもしれないしこれらは全て「当たり前の事」なのかもしれないが
当たり前の事を当たり前にやるためにも「must」は必要不可欠なのだと思う。
でも自分にとって「must」なことは楽しくないことが多く
できれば「want」で満ちた人生を歩んでいきたいと考えていた。
誰だってやりたくない仕事はしたくないだろうし
自分のやりたいことでお金を稼いで生きていきたいと思うだろう。
でも生きていくうえで「must」なことがないと
人間はどんどん楽なほうへと堕ちていってしまう。
やりたいと瞬間的に思ったものでも
面倒くさいという感情が働き結局やらなくなってしまう。
「must」だけの人生は息苦しいが
「want」ばかりの人生は堕落してしまう
この2つのバランスを維持するのが何かを続ける上ですごく重要な事だと思う。
特に何かを発信しようと思ったら「やりたい」の難易度は跳ね上がる。
映画を見よう。
ゲームをしよう。
漫画をしよう。
これらは別に「しなければならないこと」ではないし
全て自己完結するものだ。
でもこれを見た感想をブログに書いて発信しようと思うと
文章を書かなければならないという一つの「must」が生まれてしまう。
この一つだけで「めんどくさい」という感情を作り出すのに、十分な素材になる。
「人間はそもそも怠惰なものだと思う」と友人は言っていたが、まさしくその通りだと自分自身のことを顧みて思う。
じゃあ今自分はなんでこの文章を書いているのか
これだって別に書かなくても良いものだし、書いたところでなにがどうなるわけでもない。
だけど「書きたい」という感情が自分の中に現れたのだ。
書きたいと思ったから書いた、書いていくうちに「めんどくさいからやめようかな」という感情が生まれたが
自分の中で「ここまで書いたなら最後まで書かなきゃ」という感情に後押しされて書き切ることが出来た。
書き切ったときに自分の中に生まれたものは、ほんの小さな「達成感」だった。
人によってはしょうもないと思うだろうけど、こういう小さなことの積み重ねで
何かを続けることへの「楽しさ」を見出していくんだろうなと僕は思った。
人間は怠惰な生き物だから、今日できたことが明日できるとは限らない
「want」と「must」の中に「楽しさ」を見つけられるように
そうやって、何か一つでもやり続けられることが見つかるよう
これからも過ごしていきたいと思う。
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