「正解」が存在するのだと思って生きてきた
例えばカウンセラーさんは「正しいこたえ」を知っている人なのだと思っていた。どこかに「正解」があって、そこにたどり着くお手伝いをしてくれるのだと思っていた。
それは間違っていますね
それはひどいですね
とか
「あなたの父親母親兄妹はひどい人ですね」
(まちがってますね)
とか
でも
当然カウンセラーさんとういう職業のひとであっても、わたしの今までの人生はわたしが語った時間分しか知らないわからないので
わたしの正解は他人の中には存在しない
カウンセラー、友人知人、父母兄妹の中にも存在しない
わたしはわたしの中の正解を、わたしですらわからなくなることもあるという回答に、たどり着いた
何も「正解」である必要はないんだ
という「回答」で、今はそれでいいや
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