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昭和のgifted - 17 ギフテッドの育て方

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なんとなく毎日noteを開いていると、かしこくなったAIさんのお陰で私が書く記事に関連していそうな、私が興味ありそうな記事をおすすめしてくれる。

AIは単語の羅列や関連キーワードを元に記事を引っ張ってくるのでほんとに全く忖度も悪意もなく同じキーワードのついた記事を紹介してくれるのだがそのほとんどは私にとっては恐怖体験みたいな話だ。

中でも本当に怖いと思うのはギフテッドうたがいのある子供の子育て日記。

我が子が特別であってほしいという願いからか、はたまた育児疲れなのか「ギフテッドの特長に当てはまりそうなことが多い我が子の話」を自分ごとの様に掲載しているものがいくつかある。

出産経験のない私がいうのもなんだとは思うけど、ギフテッドの先輩からしたら「特徴に当てはまる」というだけで異質物扱いや特別視されなが育てられる方が辛いし、万が一その子がギフテッドでなければただ自尊心が高く自己中心的な自称ギフテッドをつくりだす危険性をはらんでいる。

本当に怖い。

幸か不幸か私は昭和生まれだったので「普通が一番」という価値観の中で育てられ、どうして他の人と同じ様に当たり前のことができないのか?というある種の否定を受けながら育ったお陰で自己肯定感は低い。

才能はあるのに自分は普通であらねばと思い込むことで協調性を学びはしたものの取得はできなかった。

ただその一方でただ甘やかされて「自分は特別」ということに酔うことが当たり前として育った人にあらぬやっかみや妬みを買って足を引っ張られてきた。

才能がないのに自尊心が高いだけの人が増えることこそがギフテッドにとって最大の脅威だ。

ギフテッド自信、自分が特別な存在だとは思っていない(はず)。自分が思う当たり前のことを当たり前にやってるだけで異質物扱いされる。

それだけでも生きづらいのに!!!

ギフテッドにはこういう傾向があるという区分がまことしやかに囁かれるようになった今だからこそ、うちの子はこことここに該当する!とかいう新ジャンルのモンペが爆誕する。

私も幼稚園の頃、それまで大人たちに囲まれる環境で育ったから4歳児にしては語彙力が高いとか言われたことがあるそうだがその時点ではなんら生きづらさを感じるまでのことはなかった。

なんか周りと噛み合わないなんて感情を持つところまでいってなかった。

小学校に入る頃まで癇癪が多くて扱いづらいところはあったけど夜泣きも少なく、育てやすい子供だったそうだ。

私がわけのわからぬ癇癪を起こすたび、祖母が新聞紙をくれて、それをめちゃくちゃに破かせるとなぜか機嫌が良くなったとか、泣き出すたびに真綿を口周りにあてがうと泣き止んだみたいなことがあったらしい。

よくわからないまま、行き先がわからないエネルギーの発散方法を新聞紙を破るという方法で、手触りの良い真綿に触れることでの安心感を祖母は提供してくれていたんだと思う。

カテゴライズされた一般論よりも確実にエネルギーの矛先の向け方や五感に訴えかける安心感が何よりも私にとっては有難いと今は感じる。

ギフテッドの子供の育て方や傾向を書き連ねる論文よりも親が知りたいのは「どうしてあげるべきなのか」だと思うけど、そういう学術書に「癇癪を起こしたら気がすむまで新聞紙を破らせろ」とか「五感に優れているからいい匂いや肌触りの良いような五感に訴えれるものを与えろ」みたいな話って多分でてきていない気がする。

その結果、ギフテッドではない人たちが形式上理解を深めるために用意した区分に当てはまる、当てはまらないで腑に落ちたい人たちが自称ギフテッドを名乗りだし、自己肯定感が強かったり承認欲求が強かったりして偽ギフテッドを増産する。

「一般的な倫理観や概念で区分できない人、それこそがギフテッド」

と私は定義したい。

優しい世界で穏やかに暮らしたいだけなんだけど、なんか金脈があるからって観光地化されて侵略される恐怖を覚える。

大事なことだから今一度言っておくと私は出産も子育てもしたことがない。
だがしかし産み落とされて育てられた側からしたらいろいろ思うところしかない。

いろんな人に「才能がある」と言われても、それを認めて広めてくれる人がいない限りそれは宝の持ち腐れだし、別に自分が特別だなんて思ってない。

ただ理解されないエネルギーの発散場所を求めて常人ならざるクリエイティビティを発揮することはある。

ただそれだけだ。

才能があろうがなかろうが自己肯定感のある人は強い。しかしそれがいきすぎると本当のギフテッドに邂逅したときにどうしようもないクリーチャーに変化してしまう。

ギフテッドかもしれない子育てをしている親御さんたちには今一度踊らされていないか冷静になってほしい。

うちの母なんて私がギフテッドかもと打ち明けたとき「へぇー、なんか知らんけど鳶が鷹を産んでるなんて思わないから悪いことしたかもねぇ」とケロッとしていた。

いや、鳶が鷹を産むことあるかもしれないけど、そんな一握の砂にも似た様な奇跡はこんなにありふれた体験談にはならないはずだ。

もしも本当にどうして良いかわかわからなくて悩んでいるのであれば一度私に問い合わせほしい。

自分の子供に才能があって欲しいのは親心だと思うけれどギフテッドは単なる才能の塊ではない。
ギフテッドでなくても才能のある人は五万といる。

どんな子供にも必要なのは否定せず受け入れてあげること。そこにギフテッドかどうかなんて関係ないはずだ。


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