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昭和のgifted - 32 何も考えなくて良い会話

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先日久々に仲の良いアニメーターさんたちと飲み会をした。

絵を描くことも物語を考えることが好きだった私は学生時代いろんな作品に触れて、そしてその前線で働く人たちと触れ合う機会があって「あ〜、私はここまでストイックになれないな〜。本当の天才ってガムシャラにそれだけを追い求めれる人のことをいうんだろうな〜。私ってやっぱり凡人だわ。」ってな風にずっとずっと思ってきた。

だから筆を折った。いろんな方向で。

でもアニメーターさんとの飲み会は楽しい。その界隈の人と話すのは楽しい。

なぜかっていうとこういう会話が成り立つからだ。

「このシーン描いて!って仕事でさぁ、戦闘機がピューッと進んでどががってなって、そしたらそのあとバコーンってなるじゃん?で、そのあとパラパラパラ〜ってなって最高はふわっ。こんな感じ」

という指示に対して

「OK!ピューッのあとどががでバコーン、パラパラパラ〜で最後ふわって感じね」

ってアウトプットできてしまう人たちがいる。

「え?わかるよね?」
と言われて
「いや全然わかるんだけど、多分わかんない人の方が多いっぽいんだよね〜世間一般では。クリエイター業界っていいな〜」
と答えて会話が成立する。

私に関して一連の絵としてアウトプットするだけのスキルがなかっただけで「ピューッでどががーんでパラパラパラふわっ」のイメージはつく。

そう考えると絵としてアウトプットする技術が足りていなかっただけで訓練したらできるような気持ちになるし、テキストとしてアウトプットすることは余裕でできる。

「ピューッでどががーんでパラパラパラふわっ」

を理解しやすいように描写するのであれば多分こんな感じだろう。

戦闘機がまっしぐらに敵陣に突入していく。
このまま突入すれば自分の生存なんかどう戦況に関わるかなんて考えることすら意味のないことかもしれない。
だけど最早退路はない。
なりふり構わず、思考を止めて突き進むしかないのだ。
(ここまでがピューッ)

思考を止めて敵陣に突入した結果、予想通りどれだけ敵陣にダメージを負わせられたかわからないが爆発と共に死に至る。
(どががーん)

自分がやったことは正しかったのか、それとも無意味なものだったのか、突入した彼かはたまた彼女は思考を止めて自分の感情を殺すことによって実行して見せた。その瞬間無意味だったことに報いたい誰かの思惑を表現するためにゆっくりと散らばっていく戦闘機の破片を搭乗者の無念に重ねて表現する。
(パラパラパラ〜)

無意味ではなかったと、せめて伝えたい。本人には伝えられなかったとしてもいい加減な気持ちでやらせた訳ではない。指示を出した側も苦悩したし、その片鱗が見えたから搭乗者は行動にいたったのであろう。
その気持ちに報いることの表現とはなにか。
(で、でたのが「ふわっ」)

これだけの文字量を「ピューッでどががーんでパラパラパラふわっ」で意思疎通できてしまう人たちがいるからクリエイティブ業界は恐ろしい。

なんなら私もこの説明で許される世界線にいたかった。

でも自分には無理と思ったり、親からも普通の進学、普通の就職を望まれていて諦めて、擬態してきた。しきれてなかったかもしれないが。

翻せばこの説明で理解してアウトプットできない人はクリエイティブ作業に向いていないのだ。

それでも搾取ビジネスが蔓延してる現在、テクニックを教えることで生計を立てれると考えた“頭の良い人たち“が下手にテクニックだけ教えるから「適当で成り立ってたコミュニケーション」に無理が起こる。

それでもこうした意思疎通で成り立っていた歴史があるからクリエイター業界ではいろんなジャンルの天才たちが生き残ってそうでない人たちが淘汰されていってるんだろう。

もうそれっぽい理屈を並べ立てるのが上手な広告代理店さんがそれっぽい資料を作って仕事奪っちゃうから「どーん!でばーん!みたいなことやってハートキャッチできてたらフォロワーは増えると思うよ?」で、実際どーんばーんやってたら結果はついてくるのだけれども、そんな怪しいものに乗っかれる一般人は少ないので代理店風資料を要求されて、無理して頑張ったらそれっぽくつくれる様にはなったけどストレス以外のなにものでもない。できあがるまでに2日に1回以上「うがー!!!!」ってなる。

一緒に飲み会きてくれるアニメーターさんからしたら絵が描けるかどうかはさほど問題でもなくて、ずっと話していられるかどうかで私に声をかけてくれるんだよね。

だからアニメーターさんとの飲み会は楽しいし、その人が連れてきてくれる人と新しく友達になる。

「朱に交われば赤くなる」とは言うけれど、こだわりがしっかりある人たちは赤くなれないこともあるよね。

「類は友を呼ぶ」と言うのは確かになって思うけど自分が皮を被ってたら「類っぽいと思いたいところで友になれそうな人たちに気を遣いながらなんとかうまくやっている」程度にしかならなくて、結局自分が疲れちゃうからSNSでもnoteでもどこでも良いから飾らない自分でいられる場所を探し続けることがどれだけ辛いと思うことがあっても自分のためにしてあげられる唯一のことなのかもなって思ったりする。

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