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昭和のgifted - 21考察できないギフテッド

前回のお話しはこちら

私の話に耳を傾けてくれる人がいて、noteを読んでくれる人がいる。

説明したいことが山ほどあるし、気づきのきっかけやこれまで言語化してこなかった自己分析のアウトプットを吐き出すことができるので無限に書ける。

前回、漫画の考察について書いていて私は私自身のことをひとつ勘違いしていたことに気づいた。

世の中考察や推理が好きな人達がいる。

そういう人たちっていろいろ考えながら漫画読んだりアニメ見たりしててすごいな〜、かしこいな〜。私はそういう思考持ってないからそんなにかしこくないんだな〜。ってずっと思ってた。

漫画も1000冊以上持ってるし、少し前まで放送中のアニメは全部ながら見でも見る、みたいなことをするくらいオタクな一面がある。

そんな私が好きなコンテンツは「わかりやすいもの」だ。

愛!友情!勇気!パワー!!!

複雑な話も好きだし、理解もそれなりにできる。
でも考察しながらとか、裏背景知ってないとな〜という知識系オタクが増え出した頃から違和感を感じていた。

なので「何かオススメある?」と聞かれたら好みのジャンルやどうなりたいか(ほっこりしたいとか、泣けるやつが良いとか、元気出そうなやつが良いとか)とかを聞いてからオススメする用にしているのだが、私がオススメするのはわかりやすいものが多い気がする。(と、思ってるだけかもしれないが)

エンタメはそれだけ見て完結できて、面白かった!カッコ良かった!泣けた!笑った!切ない!みたいなストレートな感想で良いと思ってた。

どこが面白い?とかどういうが好き?とか聞かれるとそれこそ溢れるように話せるし、考察まがいのことも話したりするんだけど自分からあえて考察とか深掘りしないから頭いい人もいるもんだ〜。そういう見方もあるのか〜って感心していたんだけど、かしこいから考察をするとかではないことに今気づいた。

そしてはたと思った。私、生きてるだけで人よりうん百倍考察してるからエンタメを接種する時くらいフラットに情報を接種したいのでは?

ちょっと話がそれますが、私編み物とかもしたりしていて、本当に何もできない…今「無」だ…。そうだ、無になろう…みたいなとき、

こんな感じでこんがらがった系を時にはピンセットとか使って解き続けます。凄く無になれるのでオススメです!!解き終わった後の爽快感も良い。「は〜、終わった〜!(スッキリ)」ってなる。

「無」になろう、みたいなことって普通の人にはあんまりないのかな…?

こういうのもあって、私は漫画やアニメやドラマ、小説の類はありのまま受け入れてしまう。考察とか推理とかしようと思わなくても途中で結末わかることあるし、わかんなくてもそれはそれで良いし、想像通りに着地してくれる物語はすごく受け入れやすい。

伏線を回収すること系のコンテンツには作為を感じるし、でもきちんと設計して作為を回収するコンテンツが一部の「わかる人」には人気なんだ。近年では。

どんなことでも大抵聴かれたら答えられるし、会話の中で話したいことも出てくる。

でも自己顕示欲みたいなのがないからか、一人遊びばかりしていたからか不特定多数に向けて発信するのが苦手だ。

最近写真家業もやっているが、私にとって写真を撮るのは息をするのと同じようなことで、同じ感覚で話せる人もいなかったし、それを認めてほしいとも思わなかったからただただひたすら写真を撮っていた。

そしたら「見せて!」といってくれる人が現れて、しかも好きっていってくれる人が現れて、さらには撮って欲しいと言ってくれる人が現れた。

そうして「木春さんに撮ってもらった写真を見ると自分のことが少しだけ好きになれた。」と言ってもらえて、求めてくれる人がいるならばと写真家を名乗り出した。

だから木春のオススメ知りたいよ!とかこういうこと知りたいよ!と言ってくれる人がいてくれるのであれば、私はその人に対して過剰な熱量を持ってnoteを書ける。

一人でいい。

私に聞いてくれた一人のためにならたくさん、たくさん書ける。

「誰か」のために動くのは難しい。

最近コメントいただいたりして、何かの役に立ってるかも!と思った瞬間から溢れるようにnoteが書けている。

本当は伝えたいことたくさんあったんだな、私。

文章を書くのはわりと得意だと思っていて、だからそれを仕事にした時期もあって、でも才能に嫉妬されたのか「あんたの文章イマイチ」と言われたこともあったので普通の人に向けて読みやすくわかりやすい文章を書くスキルを身につけてしまって、溢れる思いをぶつけることからしばらく(30年くらい?)遠ざかっていた。

写真も同じ。

でも発信するのって嫌だったし苦手だったし、なにより自己顕示欲丸出しの人たちと一緒にされたくなかったし、多分なんか違うって思ってたからずっと言えなかった。

でも今は違う。

ここまで書いて唐突に泣いた。

昭和に生まれて抑圧されて、いろんなことが統制されて分析されてマニュアル化されて、それに則って動くことが良しとされた時代の中で自由に表現することを奪われた私は理屈で理解しようと努力してきたけど、ちゃんとそれって辛かったんだ。

受け入れてもらえない大前提が立ちはだかって一生懸命擬態してきたけど、私無理して頑張ってたんだね。

考察好きの人たちと違う感覚でものを見ているって話を書きたかったはずなのに、勝手に感極まって泣いている。

けれど私の中では話を紡ぐ道中でそれまで見ないようにしてきたものが決壊しただけでなんの矛盾もない。

だけど理性が働いて考察好きの人たちと違う感覚でものを見てるよって話のまとめをなんか持ってこなきゃ…って思ってしまったので、最近私がハマって連載終了と共に少しロスになった作品のタイトルだけ残しておこう。

『かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~』

だ。主人公のかぐや様の孤独さに自己投影ができてしまったのと、わかりやすいヒロイックコメディ。

私が規定する「面白い漫画は18巻あたりで終わる」を大幅に超えた28巻完結の漫画(アニメは3期までが放送済)ではあるが、登場人物が増えすぎないことと漫画ならではの波瀾万丈は用意されてるものの、ヒロインがくっつくのか?くっつかないのか?くっつかないルートなんてあるかーい!というわかりやすさ。

作者の赤坂アカさんは最近話題の『推しの子』の原作者でもあるのでストーリーの組み立てが上手なのは言わずにもがなだ。(と思っている)

『推しの子』に関しては作画の横槍メンゴさんの『クズの本懐』を読んでいたので、そことそこがくっついたのかーという気持ちにもなった。

私が「わかりやすい」と思っているもの、そして私が「わかりやすい」と思った部分って他の人からしたら「いや、そんな風に考えたことなかったですけど…?」となるかもしれないことを改めて認識できたので、ご興味持っていただける人はぜひコメントで質問してもらえると私がイキイキします。

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