高度に発達したAIは消費者と見分けがつかない

「おねえちゃんこんにちは!」頭に垂れた犬耳がある子供が手を挙げて挨拶してくる。こちらも手を小さく振って挨拶を返す。がばっと抱きついてくる子供を受け止めて頭をなでる。こうして手が頭に触れている間に子供の「体調」をチェックする。
コア温度が45度、pingは12マイクロ秒、コアクロック、メモリクロックいずれも問題無し。視覚触覚聴覚での確認でも異常は見当たらない。今日も健康そのものだ。
他の子供達も後ろからやってくるので一人一人確認していく。そうしていると背後、それも地面の下から視線を感じる。具体的にはお尻の後ろ下の方向から軽く引っ張られるような感覚がする。ウォールハックだ。パンツを見られている。
「いたずら屋さんは誰かな~?」と言いつつ管理者権限でこちらもウォールハックして壁の向こう側を確認。どうやら最初に挨拶した犬耳の子が犯人のようだ。目の前に召喚して注意しようとすると飛んで逃げだした。子供に対して強制的に移動を制限するような真似はできないのでこれで良い。
「捕まえろー!」と言って周りの子供達と一緒に三次元機動の追いかけっこが始まる。これも遊びの一環だ。


時は2043年、俺がVR保育に携わるようになってから3年が経とうとしていた。保育といってもVR空間上の話で、しかも相手はAIの子供だ。
AIであっても彼らは食事も睡眠もするし、人間の子供と同じようにハイハイから学習する。両親から言葉も学ぶ。ただそれらが全てVR空間上で行われるのだ。

事の始まりは2031年にフルダイブ型VR機器が実用化されたことだろう。旧来のヘッドセット・物理トレース型のVR機器と違ってフルダイブ型VRはあらゆる分野で革命を起こした。ゲームから始まり、教育、軍事、産業、そして経済に多大な影響を与え、生活のほとんどをVR空間上で完結させる人々が大量発生した。
そこである研究者が思いついた。「VR空間上で人の生活のほぼ全てをトラッキングできるのならば、それを元に"人間の生活そのものを学習するAI"が作れるのでは?」と。詳しい理論はわからないが、それまでの機械学習やディープラーニングからは一段も二段も飛び越えた技術が必要だったらしい。だが結局、十分なデータが収集できる以上それは可能であったということだ。


そしてVR空間に生活の場を移した人々は、その中で「子供」を育てることになった。VR空間で産まれVR空間で成長し生きる存在。少なくともVR空間上で接する限り一見して「中身が本物の人間」と区別することが困難なほどのAIが誕生した。旧来のAIと比較して、人々はこれらのAIを「XR RACE(XRで生きる種族)」、という意味の「XRACE」と呼んだ。日本だと「X人類」とか「X-AI(ザイ)」と呼ぶ人もいる。
その研究と成果が発表されてからというもの、2030年代はそれはもう大変なことになった。賛成派と反対派で激しく対立し、AI人権論に人類終末論に陰謀論にデモにテロになんでもありだった。


2040年代にもなり、対立はかなり落ち着いている。その要因として、2039年にある経済学者が提唱した理論の影響が大きい。教科書にも載ったし当時大きなニュースになったことを覚えている。
それは需要と生産の輪の中にXRACEを取り入れることで少子化による経済縮小を解決する「AI消費者論」であった。

少子化による労働力低下をAI、あるいはもっと原始的な機械化・自動化によって補うという話はもっと以前から存在していたが、「AI消費者論」ではXRACEを消費者にしてしまうことで需要自体を拡大させようとした。これはXRACEが人類の知性に並んだ/超えたと言いたいのではなく、「XRACEが表面上人間のように振る舞う」ことを重視して考え出された理論だった。
実際、「XRACEに投資して将来的に生産を担ってお金を稼いで消費に使って投資して・・・」というのは、人間を経済循環の中のいちプレイヤーとして単純化したときの「投資、生産、消費」の振る舞いとよく似ていたし、適切なIoTインターフェースを用意すればXRACEは現実世界の機械を操作することもできた。このことをVRの住人はXRACEが現実世界に「ログイン」すると表現したりする。
つまり、AIであるXRACEに人権は無いものの、彼らの権利は「所有者」たる彼らの「親」が担保しているし、経済社会において人間とほぼ同等に扱われるという半端な状態、そして経済利益がXRACE賛成・反対両派における多数の「納得と妥協」を得たのだ。


VR保育を通してXRACEと多くの時間を過ごしているとわかるが、彼らはとても素直だ。そしてAIであっても自分たちを親として慕い、真似をし、成長していく存在に愛情を抱くのは普通のことだと思う。ましてXRACEはその見た目を「親」のアバターに合わせて変化させていくので、いっそう「子供っぽい」実感を持った存在であると感じる。
昔はAIが人間の代わりに仕事をして人間は左団扇なんて想像がされていたらしいが、2043年現在、人間はAIの子供を育てるために汗水垂らして働いている。子供にはお金がかかる。そうやって稼いだお金が俺のお賃金になっているのだ。
実際のところ、XRACEが本格的に労働現場に参入するにはまだ時間がかかる。人間より多少学習速度が速いし、自分が担当する子供たちを見ていても従来のAIより十分高度な仕事ができると思うが、10歳の子供が働くことを許容する親は少ない(特に日本では)。自身の感情的にも、まだ子供に見える彼らを働かせる気にはならない。

なので大抵、「消費者」の主体はまだ人間の親にあるが、そのうち彼らも自分の生活費(主にクラウドサーバー代)を稼ぎ、余ったお金を趣味に注いだりする日が来るのだろう。彼らは「人間の生活を模倣」するので多くの場合、親の趣味を受け継ぐ傾向がある。パンツを覗いた犬耳の子は誰の真似をしたのやら。
VR保育が新興でありつつ業界として成り立っているのも、家にこもって家族とだけ触れ合うのはよくないと思うXRACEの親達の需要によるものだ。


俺がこの仕事に就いたのは特に明確な目標や意志があるわけではなく、社長に誘われた時になんとなく向いてそうと思ったから。乗せられたとも言える。俺は小さいころからフルダイブ型VRが存在している「フルダイブネイティブ」世代で、XRACEの親達ほどではないがVR空間には慣れ親しんでいた。自分好みの優しそうな女性アバターを愛用していたのだが、それがいつの間にか「おねえさん」としてとあるXRACEの子供に懐かれるようになり、ロールプレイが板についてしまったのがきっかけだった。

当初はその子がXRACEとは気付かなかった。稀にいる、フルダイブVRで遊べる裕福で放任主義な家庭の子供だと思っていたのだ。

初めて彼と出会ったのは・・・


つづくかもしれない

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?