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うまく言えない言葉は時が経てば変わる

私の親友は35歳で自殺した。
元・親友かな。
死ぬ前、5年くらい話してないから。

19歳から30歳まで、仲良しグループ5人組のなかで、同じ歳の私たちは本当にずっと一緒。

喧嘩も散々したw
干渉されることを嫌う私と、寂しがり屋の親友。
二人とも思ったことは、はっきり言うタイプだったし、今よりギラギラしていた。

親友が同棲中に家出してくるのは、実家じゃなくて同じく同棲中の私の家だったけど。
私は行かなかったな、家出したら一人でホテル泊まってたなw
仲は良いけど、性格は全然違った。

私が30歳で結婚する時に、1人で猛反対して、結果的に疎遠になった。
後で聞いた話では、自分より先に結婚した友達全員にそうだったらしい。
だけど私は、「それならお互いにイライラしない距離感にしよう」と、親友を追わずに突き放してしまった。
結婚式の招待状も送ったけど、返事も来なかった。

私は怒ってなかったのだけど、お互いにリーダータイプで仲良しグループからは外された。
そもそもは全員、私の友達なんだけどねwww

我が道をゆく私は、友達がいなくても死なないと思えるので、皆それぞれ幸せならいいというスタンスだった。
私の夫は、実際まぁかなりの変人なのだが、私を縛るようなことはなく、それが私にはよかった。

親友に逐一『映見の事は好きだけど、映見の彼氏は嫌い』と言われるのが、面倒だった。
今思えば、結婚したい自分を置いてあっさり結婚を決めた私への嫉妬と重たい愛情だ。

親友は10年同棲して、32歳で結婚した。
親友の夫ももちろん長い付きあいで、『映見を呼ばないの?』と言ってくれたらしいが、私は結婚式の出席の打診すらなく、当然呼ばれなかった。
私もお祝いはしなかった。
他の皆の結婚式は気合い入れまくったのに。

街ですれ違ったら、挨拶くらいはする。
だけど、お互いに避けていたと思う。
何がそんなに怒らせてるのか、私にはわからなかった。

仲良しグループの最年少が結婚することになった35歳の時、私たちを仲直りさせようとして、結婚式に呼んでくれることになった。

招待状を受け取った頃に、親友は自殺した。

数少ないまわりの友達にもそうだったように、重たい独りよがりの愛情を傾けすぎて、親友の夫は逃げた。
夫の協力を得ず、不妊治療を1人でやったり、事業が大変なときにも専業主婦にこだわった。
結婚した、家を買った、次は子供だ。
その価値観こそ絶対だと思っていた。
その価値観にハマれなかったのは、私くらいだった。
そのあと、最年少の子もそうなるのだけど、子供を持たない事は悪ではないのだ。

親友の夫がどういう人間か、私はよく知っているのだが、親友は【自分の夫がいかに素晴らしいか、知り合ってから今まで支え続けて、夫が成功した】と風潮することがやめられなかった。
私は親友の夫を悪く思ってない。
だいたい古い友達なんだから、もともといろいろあったし、「そんな大した事ない男だよね」って思ってるw
起業してうまくいくまで大変だったのも、必死で努力したことも、もちろん知っている。

親友と夫との離婚が決まり、別居を始める日に、自宅マンションの浴室で首を吊った。
たくさんの遺書を遺して。

当然、私はお葬式にも呼ばれなかった。
相変わらず、何も知らなかった。


『映見は貧乏な男と結婚するから、絶対離婚する』と言っていたのも知ってる。
負けるもんかと思っていた。

だけど、私は仕事で得たものも大きかったし、離婚したくなったとき困るなと今も思っている。
私の価値観は、自分で決めたし、働いてる事で迷惑はかけていないはず。

親友は、自分1人で自分が作り上げた世界に入ってしまった。
何度も仲良しグループたちは『映見に会いに行けばいいのに』と言ってくれたらしい。
でも、私に頭を下げないといけないとわかっていたので、できなかったんだろうと。

離婚が決まったとき、色んな人に彼女の夫に考え直すように電話してほしいと周りに頼んだらしい。
彼女の夫は、他人の介入を嫌う人で、追いまくれば逃げる。

だから、離婚するはずだった。

遺書に『あなたの妻のまま、人生を終わらさせてください』とあったが、彼女の夫はその後、再婚して離婚している。

どこまでも自分の思いどおりに相手を縛ろうとした。
淋しい気持ちを人にぶつけずにいられず、強く握った手を離そうと相手がもがいているのに自由にしてやらない事が愛情だと思っていた。
そんな自分に絶望しかなかったんだろう。

荼毘に付す直前、仲良しグループ最年長が私に電話してきた。電話がかかってきた時点で、なぜかピンときた。
『ごめん、黙ってて。○○が死んだ。みんなに映見には言うなって言われたけど、私の独断で絶対伝えたかった。ずっと映見に会いたがってた。』と、大泣きしながら言われた。

ああ、やっぱり死んだかと思ってしまった。
すごく私も傷ついたんだけど、ああ楽になったかとも思った。

私はこのあと5年音信不通だった親友おかげで『こんなこと言ったらダメだけど、映見がいてくれたら、きっと違ってた。』と呪いにも似た言葉をかけ続けられた。
私が話を聞いて「大丈夫、大したことじゃない!!」って言ってあげて欲しかったと。

私にそんな力はないのだけど、そばで何度も話を聞いてあげて、寄り沿い続け、死に顔まで見てしまった友達たちと、蚊帳の外だった私とは重みが違うから、私が周りのフォローをする番だ。

妹の事にしてもそうだ。
母は『ねぇねの言うことしか聞かない』と言う。

違う、違う。

今回も私が全部段取りしたのだが、妹を入院まで追い込んだのは私じゃないかという気持ちがずっとある。

私は正論で話してしまう。
正論が正解とは限らない。
きっと妹は私から『もっと違う励まし』が欲しかっただろう。

どうして、私はこんなに他人に冷めた目線を向けてしまうんだろう。
優しくない自分にびっくりする。

ただ、経験則でいくと、自殺願望に取り憑かれた人には、何の手立ても無力だ。

私に出来ることなんかない。

過剰な期待は、我が身も他人の身も滅ぼす。

なんでこんなことを書いたかというと、妹の体調が悪く、義弟とも私の両親とも考え合わず、孤立無援状態だ。

でも、自殺願望なんて私にはない。

ただ死ぬってどういうことか、あとに取り残された人がどうやって回復するかをすごく考えていた。

妹がいなくなればいいという意味ではないよw


で、SHINeeを思い出した。
K-POPが好きとかそういうんじゃ無くて、一生懸命に生きているなと本当に感じる。

ジョンヒョンが亡くなって、4人で立ち直ろうとする姿、何かにつけ『僕たちは永遠に5人だ』と言い、健康に気をつけて、ご飯食べてねと語りかける姿に、ハッとさせられる。
テミンが、兵役中にパニック障害とうつ病が悪化したのも、ああ、生きてるって辛いよねって声をかけたくなる。

とある子供服のインタビューコンテンツで、『5人から4人になったの?(揉めて脱退したの?)』と女の子に聞かれて、ミノが『身体悪くしてね』って答えたあとに、『(ジョンヒョンは)とても優しい良いお兄さんだよ(悪いことができない人だったよ)』って答えてて、泣いた。

私たちは、こうやって人の死を乗り越えるし、忘れることもできない。
置き去りにされたあと、それでも生きていくし、重いものを背負わされるかわりに、人としての柔軟性であったり、傍観力を身につけていく。

そもそも人って、バランスが悪いものなんだ。
虚構は続かない。
本当の自分なんか探さなくていいし、疲れたら休むだけ。

自分軸とか言い出したら、色々終わりなんだよ。
希死願望がとまらない場合、病院に行くべきだし、衝動が一番危険だ。
結局、自分を追い込むのは自分なので、過剰に自分がだめだなと思うときは、一旦諦めて休んで。

都合よくできてないから、うまく行かなくてもそんなに心配しなくていい。
嘘をつくと自分が苦しいよ。

何もできなかった自分に後悔する日もあれば、うまく行った日にホッとするもよし。

他人の評価なんか、ころころ変わるんだから。
誰に何を感じてほしいかをもう一度自分に問いかけてほしい。

目先のことだけじゃないんだよ...。

私は明日、妹を閉鎖病棟に入院させます。
死んでほしくないし、回復して欲しいから。

しばらくはランジェリーのお仕事はお休みします。
甥の受験、家族の中で生きて行く時間を、取り戻そうと思います。

おやすみなさい⭐






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