- 運営しているクリエイター
2018年6月の記事一覧
有人無人
或とき、わたしは山にいた。
山に登るとき、そこには二割の事象とそれにまつわる探求と探究あり、そして残る八割にはなにも無い。無だ。
故にその山にわたしはいなかった、という論を生む。
足の下は幾重もの堆積岩に覆われている。それより遥か下では摂氏何千度というわたしたちの核が息衝く。しかし、そこに人は無い。そして有る。
栗子隧道|とんちん漢|note(ノート)https://note.mu/tont
或とき、わたしは山にいた。
山に登るとき、そこには二割の事象とそれにまつわる探求と探究あり、そして残る八割にはなにも無い。無だ。
故にその山にわたしはいなかった、という論を生む。
足の下は幾重もの堆積岩に覆われている。それより遥か下では摂氏何千度というわたしたちの核が息衝く。しかし、そこに人は無い。そして有る。
栗子隧道|とんちん漢|note(ノート)https://note.mu/tont