見出し画像

ひまわりになったら花丸を

人間生きてりゃ他人に期待してしまうものだよね。

人のバイアス、分かりやすく言うと偏見みたいな考え方の中に『希望的観測』というものがある。
これは「そうあって欲しいな」とか「そうだったらいいな」という希望に影響されて判断してしまうことで、
僕も社会に出てからちゃんと意識するようになった。

僕は計画性がない人間の典型なのでこれに苦しめられる場面が本当に多い。特に営業職の僕はこれにさんざっぱら苦しめられている。

こうなるだろう→こうなるに違いない→こうならないと困る

こんな具合です、はい。

昔の日本もこの『希望的観測』によって負けてしまったらしいね。

とは言え『希望的観測』というものは人間を挑戦させやすくしてくれるし、実際成功率も上がるらしいので悪いことばかりではない。一利一害だが、僕はこの考え方が好きだ。結構開き直っている。

ただこれって対『人』に関しては違うと思うんです。

こうなるだろう→こうなるに違いない→こうならなかったらがっかりする。

或いは失望したり悲しんだりする。しかもこうなるだろうの感情は打算的な感情や見返りを求める思いに起因している場合が多い。

僕は愛って「自分との関わりとは無関係に相手の幸せを望むこと」だと思ってます。自分と相手の関わりは関係ないし、見返りなんてあろうとなかろうと関係ない。ただ「相手の幸せを願う」これだと思う。会ってようが、会ってなかろうが、もう会えなかろうが関係ない。こうなるだろう、こうなって欲しいは関係ない。

ただ、それでも僕は、
こんな風に思えるまでの葛藤の中で傷つけてしまった人達にもいつか会えるだろう、会えたらいいな、という『希望的観測』を持っています。
ただ幸せを願っているからこそ。

誰かを照らす向日葵のように。
いつまでも。

今週も読んでくれてありがとうございます。
さア、今年はどんな出会いがあるのかな。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?