世界一幸せな覚書

生まれてこの方ウン十年続いていた生きづらい病院での入院生活が終わり、退院(通院中であったとしても、である)した我が身にとって、今ある時間は全てボーナスステージであると気づいたところから、私は世界一の幸せ者になった。

このボーナスステージの凄いところは、全ての経験は自ら選んだものとなり、それに付随する結果及び感情は、それがどんなものであったとしても成功か、大成功かしかあり得ない、ということである。

推しのことを本気で好きであれば、それはもう恋愛のボーナスステージに上がっているということであり、推しの機嫌が良ければ機嫌の良い推しを拝めてラッキーハッピーであり、そうでないときにも、機嫌の悪い推しを拝めてラッキークッキーなのである。どちらの推しも同じように尊い。

付き合っていなければ、その距離でしか見られない推しを拝め、付き合うことがあればそれはそれでその距離でしか拝めない推しが拝める。その両者は完全に等価である。(後者の方がバリエーションには富むかもしれないが、ボーナスステージ上の事であることを理解できていないと顔色を伺い始め、崩れるのも早い可能性はある。)

余計なことを考えている余裕はない、いずれにせよこの瞬間の推しは二度と拝めない、どのような推しであったとしても、刮目せよ。

これは自分に対しても同じことである。(順番的には自分が先よな。)

この瞬間は二度と訪れない。今日の練習は二度とは繰り返されない。自主練も大事だが、今の解像度を上げることで、得られる経験の質が向上することは間違いないやろう。

何かに挑戦し、下手をこき、怒られ、惨めな思いをしたとしても、それも生きているからこそ感じられる大切な経験と感情なんである。(しんでたら惨めもくそもない)
上手くいき、褒められて、誇らしい思いをすることとの間に、価値の違いはない。

今日の私は最高に幸せである。
表面上は普段通りに練習に行って本屋とカフェに寄った普通の休日だが、これ以上のボーナスステージはない。

好きな人がいる。その人と同じ空間で体験を共有することができる。仲間もいる。空は晴れていて、自分が生きている事を実感しながら歩いている。道がわからなければ誰かが親切に教えてくれて、カフェで好きな音楽を聴きながら好きな作家の本を読み、自分の幸せについて言葉を紡いでいる。

私は世界一幸せだと思う。
インフルエンザでここまで生まれ変わることができるなんて、本当に私という人間は世界一おめでたくて可愛くて、運が良いとしか言いようがない。


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