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心に従って生きる

 私の学歴は大卒である。なぜ大学に行ったかというと、それ以外の道を知らなかったからだ。

こんなことを言うと色んな人に申し訳なくなるのだが、大学に行きたいと思ったことはなかった。

 幼い頃、家で自由帳で遊んでいる時、そこに幼稚園、小学校、中学校、高校、と書いていって、その後はどうなるんだろう?と思ったので、母親に高校に行った後ってどうなるの?と聞くと、キッチンの奥から大学と言った。その場面が鮮明に記憶されている。

その時から私は、高校を卒業したらみんなが大学に行くものなんだと思い込んでいた。

しかし実際は、大学に行くかどうかは言うまでもなく、高校さえも行く義務はない。

その事実を知ったのはいつかわからないが、私の周りで高校に行かなかった同級生は知らない。

高校でも、クラスは理系と文系、文系の中でも国公立大学、私立大学、看護、などと進みたい進路によってクラスが分かれていた。私はなぜか国公立大学のクラスにいた。就職した同級生もいるのだろうけれど、私の知る範疇にはいなかった。

そう言う環境にずっといたので、大体の人は大学に行くものだと勝手に思い込んでいた。

しかし、行きたい大学などないので、どの大学を受験すればいいかわからなかった。なので進路希望の紙や模試の希望校の欄には、親に勧められた中でかろうじて興味を持てる大学を書いていた。

思い返せば、小さい頃から将来何になりたいの?と言う質問がとても苦手だった。なりたいものなどなかったからだ。
大体の子どもは、直感でケーキ屋さん!とか今時の子だったらYouTuber!とか、仮面ライダーになりたい!って子もいると思う。でも、私は本当になにもなかった。だから、その時から親にピアノの先生とかは?と言われたまま、もし聞かれた時に答える用としてピアノの先生と用意していて、友だちに渡されるプロフィール帳なんかにもピアノの先生と書いた。なりたいともなれるとも思っていなかったけれど、ピアノを習っていたから現実的ではあった。

小学校の卒業文集でも、将来の夢をテーマに書かなければならず、その頃は親に提案された薬剤師を夢として用意していたので、卒業文集には薬剤師と書いた。薬剤師になれなかった時はテニスの選手になると、テニスを習っていたから書いた。そこには、なんの意志もなかった。

 そのように親に提案されたままのものを表面に出しながら、中身は空っぽだった。
そのまま大学へ進学した。大学を卒業したらついに就職しなければならないとわかっていたので、在学中もずっと何になりたいか考え続けていた。

 世間体や市場価値的に大卒が有利とかは理解はできる。そして本当に大学まで卒業出来たことはすごい価値のあることだと思っている。でも、大学に来た意味ないなーと思っていたのも事実である。

そして、就職活動の時期に入っても、それは解決しないまま、表面だけ説明会に行ってみたり、セミナーを受けてみたりしていた。

就活のアドバイスをしてくれる講師の方がおっしゃっていたのは、とりあえず50社応募してみる、というものだった。数打ちゃええってもんではない。
それでもみんなは数を打っている。

私は本当に行きたいと思えない会社に応募することなんてできなかったし、エントリーシートに嘘もかけなくて、就職活動は途中で諦めた。

後から気づくのだが、みんな行きたくない会社でも数を打っていたわけではなく、ちゃんと行きたいと思う会社に応募をしていた、のだ。私には行きたいと思える会社なんて1つもなくて、それでも応募しなければならない…と思い込んでいた。(思い込みの達人である)

前も書いたように、大学卒業後に初めて自分で決断した道に進む。それがたとえバイトでも、だ。
そして、バイトから社員になり数年働いた後、退職し転職活動を始めた。

その時は本気で今よりいい会社に転職するぜ、という熱量がすごかった。なので、転職エージェントサービスに何件か登録してエージェントの人と話したりした。(私にしたらすごい行動力)

エージェントの人は転職させることが仕事なので、淡々とどんな条件がいいかを聞いてきて、それにあった求人を紹介してくれる。別に普通だ。

なので、自分はどんな条件がいいのかどんな職業がいいのか、自己分析や業界研究をしなおした。そして、条件や職種が決まったので、それをエージェントの方に伝えると、
では、求人を送りますので、応募するかしないか仕分けをしてください。
と言われた。

送られてきた求人を見る。自分が決めた条件や職種なのにどうも惹かれるものがない。求人の仕分けがどうしてもできない。

その時、就職活動の時に戻ったと思った。
結局自分は何も変わってない、と。

就活の時と転職活動の時、同じ気持ちになった。
それは、就活のイベントや転職サイト、業界地図や職種の一覧表など、バーっと並んでいる時、その中に自分のやりたいことはない。という感覚。
合同説明会に行った時、ここに自分の居場所はないとか、これ以外にはないの?という気持ちである。
千と千尋の神隠しのラストで、豚の中に自分の両親はいない...! その時の気持ち。(ではないか)

その気持ちを無視することができないほど、その感覚しかなくて、その時だけは表面だけの行動はできなかった。だから、みんなのように就職はできなかった。

その気持ちをエージェントの人に伝えると、
"それは転職活動ではないかもしれない"
なんて言われて、じゃあ、なに?!となるのだが、最終的にその気持ちに従って転職活動も諦めた。

諦めることができたのは、オードリー若林さんのエッセイを読んだことだった。前から持っていた本だけど、その時ふと読み返したのだ。すると、
"ああ、このまま生きていくしかないんやなあ"
と、スッとありのままの自分を受け入れることができたのだ。それは不思議な体験だったけど、とても感謝している。

ありのままの自分を受け入れて、心に従って生きる。

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