人生②


前回の続編。
匿名の自分史ってどこまで述べるか悩むね。
でも誰に見られてるか分からない媒体に自分史晒す文章作るのって楽しい。


大学生活から社会へ

レールを失ってからの人生はまあ、結構、苦行だった。
それは後ほど。
大学4年、ダンスカンパニーへ入った。代表は常に若者のプライドを傷つけてくる人で、「あんたそのままじゃ無理よ。」とよく脅されていた。まともな会話ができた記憶はないが、唯一支えとなってる言葉がある。

「群れる人は、弱いのよ。」

そんなこんなで学生生活、カンパニー活動、バイトの両立に奮闘してたらあっという間に大学卒業。社会人という自覚のないままぬるっと社会に放り出された。

ちなみに、大学以外に私の価値観がめちゃくちゃ変わったもう一つの居場所が、居酒屋アルバイト。
働く社員達は、逮捕・不倫・浮気・暴力・刺青と、普通に社会的アウトで、初日ちびりそうになりながら賄いの味噌汁を一緒にすすったのを覚えている。
だがしかし、蓋を開けたらその人らは話のわかる人たちで、よく飲みに行き、朝まで乾杯、時には泣きながら語り、喜怒哀楽を共にした。←
この波乱万丈ヤカラ社員達のおかげで、異性に対する苦手意識を拭い去るどころか、どんなジャンルの男にも動じない女にレベルアップすることができた。
まじ人生の福利厚生。ありがとうヤカラ。

そしてそんなヤカラ達は、続々と独立して居酒屋を開き、すぐに大繁盛店となり金持ちヤカラになっていった。
たくさんのカリスマヤカラと一緒に働いたあの時間、楽しかったな〜


そんなこんなで大学卒業後は、ヤカラアルバイトだけでは生計立たず、夜の仕事をしたりもした。
駆け出しダンサーはとにかく時間が必要。時間を作るために短時間でお金を手に入れる必要。仕事を手に入れるために人脈と多岐にわたる活動が必要。絶対にチャンスを掴む!と身を粉にして不安定な毎日を駆け走っていたら、もちろん人生一のキャパオーバーになった。
そして酒の逃げ道を知り、失敗を重ね、同居してた友達とは大喧嘩して縁切り、体も壊して怪我もして、あ、これ人生詰んだかも、、と思った矢先に、、、


コロナ勃発。

未曾有の状況に、神様が救ってくれた?!と勝手に感謝しつつ、速攻地元へ逃げた。


コロナ時代

いやぁ、今思い出しても長かったな、コロナ時代。 
この時代は、特に何もしていない。

とりあえず速攻地元に帰って、人生を見つめ直した。人生に対して冷静になった。(今海外にいるこの選択は本当に冷静なのかは分からん)

あとは、東京時代求められる自分を作ることに必死で、本当に自分が好きなものがわからなくなっていて、困った。
着たい服もなければ似合う服も分からなくなっていた。図書館行ったり散歩したり、やりたいことリスト100選作ったり、旅行行ったりして、自分を取り戻そう活動をしていた。

そのやりたいことリストの中に入っていたことが、海外に行くことだった。

結局一年後、東京に戻ったのだがしっくりこず、親友(高校時代の反骨友達)が移住していて召喚してくれていたこともあり、一念発起、オーストラリアでのワーホリ移住を決めた。


ワーホリ生活

いやぁ、人生変わりましたわ。
マジで20代若者行ったほうがいい。旅行じゃなくて住んだ方がいい。
今まで辿ってきた人生の成功失敗が、国のおかげだったり国のせいであったりするんだなということに気づけただけで、めちゃくちゃ肩の荷が降りた。
そんなこと、国から出ていない人は絶対に気付けないから。
あとは、オーストラリアの国選も最善のチョイスだったと思う。
最高の土地柄と気候、しょうがないね〜なことが多きゆるい国民性、手厚すぎる給料の高さ、これもまた、めちゃくちゃ肩の荷が降りた。
肩の荷降りまくり。お金も稼ぎまくり。そんなこんなで海外生活一年なんてもったいなくて、次なる地をイギリスへ決めるのであった。


シドニーで出会った尊敬する友達に言われた言葉、
「旅は身軽が一番」
こうしてロンドン生活3ヶ月目に突入しようとしています。
思考もだいぶ身軽になりました。

〜まだまだ人生は続く〜

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