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梟雄・松永(弾正)久秀の出世物語

戦国時代の三大梟雄(きょうゆう)の1人、松永(弾正)久秀。

*梟雄:残忍で勇猛な人物(他の梟雄:斎藤道三、宇喜多直家)

出身地は、阿波国(徳島県)、山城国(京都府北部)、摂津国(大阪府)など様々な説があり、出生も1508年、1510年とハッキリしていません。


松永久秀は、ハッキリした生まれも育ちもわかっていない謎多き男です。
ただ、出自が曖昧なことからも決して身分の高くはなかっただろうということが言えます。

【出世街道への道】

この松永久秀は、戦国時代の幕開けから約65年たった頃の1533年(久秀:25歳)に歴史上へ突然登場します。


そして、自分の力で出世の糸口をつかんでいく松永久秀の出世物語が始まります。


1533年、松永久秀は摂津国(大阪府)の守護代(国を統治する守護の代行)をしていた三好長慶のもとで右筆(ゆうひつ:秘書)として仕えていました。


右筆として仕えてからは、弁舌と才知で頭角を現し、徐々に自分の地位を確固たるものにしていきます。


【松永久秀の謎】

松永久秀が三好長慶の右筆として仕えていたとなっていますが、ここに登場するまでどこで何をやっていたのかは全くの謎なのです。


また、この右筆という職務をこなすには非常に高い教養が求められますが、それをこなすだけの教養をどこで習得したのかも全く分かってないのです。


そして久秀は、これ以外にも和歌、能楽、茶の湯などにも精通していたとも言われており、一体何者で、どこで何をしてきたのか謎が深まるばかりです。


三好長慶と松永久秀は1549年に菅領・細川晴元との抗争に勝利します。
さらに、細川晴元と手を結んでいた13代将軍・足利義輝を京から追放して三好政権を樹立するのです。


これにより、畿内を制覇して三好政権を樹立したことで最初の天下人(天下統一した武将)となります。


信長が最初の天下人というイメージが強いですが、足利義昭を連れて京に上洛して実権を握った織田信長よりも三好長慶のほうがさきだったのです。


また、この当時は政治の中心だった畿内を支配することが天下人と考えられていました。


その後、三好長慶の参謀的な存在となった松永久秀は、京で力を持っていた寺社や公家との仲介役も任されます。

この仲介役は、交渉術(コミュニケーション能力)に優れ、作法にも通じてなければ不可能なことからも、いかに久秀が優秀であったかが伺えます。


1552年になると、遂に三好家の一切を任される《家宰(かさい)》という役職まで登り詰めます。


三好長慶の娘を妻として娶り、三好長慶と同居までしてしまうので三好一門と同等の扱いとなりました。


本来であれば、いくら優秀と言っても出自のハッキリしない人間をココまで取り入れることはありえないので、久秀には大きな魅力があったのだと思います。


三好家の考えが、譜代(代々仕えてる家来衆)や家柄などこだわることなく能力のあるものを高く評価していたためだったとも言われています。


久秀は、これまで事務方、調整役みたいな面が目立ちましたが、長慶が実権を握るようになってからは、武将としても活躍するようになります。


文武両道といいますが、ここまで秀でてるとは羨ましいというか本当に凄い事だと思います。


この頃の三好氏は、畿内において絶大なものとなり本拠である四国の阿波(徳島県)など8か国を支配するまでになりました。


久秀は、長慶の命令で大和(奈良県)に入って多聞山城を居城とし、そこを拠点に、当時その地域で一大勢力を誇っていた興福寺などの自社勢力を次々と打ち破って支配領域拡大をしていきます。


この多聞山城ですが、一説では信長より前に天守を作ったとも言われています。
三好長慶は、将軍 足利義輝を京から追い出していましたが、数年後に和解して京に呼び戻すのです。


京に戻った足利義輝に、実権はなく傀儡(かいらい)として据えられました。


そんな扱いだったので、不満だらけの足利義輝ですが、三好一門衆の中でも松永久秀を凄く信頼していたので[御供衆(おともしゅう)]として自分の側に置きました。


このことからも久秀の人の心をつかむ掌握術が、いかに優れていたものかがうかがえます。
*傀儡 ⇒ あやつり人形。 名前だけ。
*御供衆 ⇒ いつも将軍の側に控え、外出の供や饗宴のときに同席したりする、将軍直臣扱いの特別職。


この頃の松永久秀は、
三好氏の権威を維持するために将軍家だけでなく朝廷などとの重要な仲介役の役割を果たしており、久秀の権威は絶頂期を迎えたといって過言ではありませんでした。


同時に三好氏も最盛期を迎えており、政情も安定して最終的には10か国を支配するまでになりました。
三好長慶と松永久秀の関係は、win-winの関係であったと言えます。


以上が、織田信長に出会う前に絶頂期を迎えた松永久秀の話でした。

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