見出し画像

ローコード雑感 ~文字と進化~

ローコードのシステム開発というのが近年流行っている、というと少し時代遅れで、ハイプサイクルで言えばすでに過剰な期待は通り越して安定期に入っている状況です。
ローコードとiPaaSは「2年以内に普及のピーク」 ~Gartnerが「クラウドプラットフォームサービスのハイプサイクル 2022年」を発表 - アイマガジン|i Magazine|IS magazine

個人的な体感値としてもそのあたりにあるので、それはそれで良いのですが、「過剰な期待」=「プログラミング苦手な私でも簡単にシステムが作れるの?」というわけにもいかなかったのが現状です。
どちらかというと「プログラミングができる人がちょっと楽できる」または「プログラミングしたほうが早い(けど、確かにミスは減る)」というのがローコードシステムだと思っています。

つまりプログラミングを
「プログラミング的なロジカルシンキング」と「ソースコード」
の2つからなると考えた時に、「ソースコード」の部分を省いちゃうわけです。

UIでビジュアル的に見たほうがわかりやすいですからね。

最近は、データ送信・データ保存の大容量化、大容量のコストダウンが進みましたので、何かを知ろうとしたとき、Webの記事だけではなく、画像も一緒に探すことも増えました。
動きが知りたいものは、画像だけでなく動画も検索するようになりました。会社内でのマニュアルも動画で残すことも増え、なんなら「Youtubeにインストール方法や入門編があるから見ておいて」という指示をすることもあります。

人は文章が苦手になったのでしょうか。

数万年の人類の歴史からいえば、文字で理解し始めたのは数千年の話。
人の記憶に頼らず、長い時間情報が保存できるようになったから人類は「歴史に学ぶ」ことができました。

ただ、それは文字がすべてではなかったのかもしれません。

音声、動画によって情報を蓄積できるようになったのはここ100年ちょいの話(画像はある意味壁画時代から)。

今後の人類の進化が膨大な情報量の保存によって爆発的になるのか、文字が減ることによって違った変化をするのか。
その結果を知るには人生は短すぎる。

ちょっと役立ったなと思ったら、サポートいただけると嬉しいです。マウスを買い替える資金になります!