夏休みpart1 スピッツとの出会い
「このイントロ聴くまでは死ねない」
そんなイントロが1人に1つずつはあるのではないだろうか。えぶりちゃいるどはぶあ的なやつが
みなさんのもぜひ教えていただきたい。
今、1番聴きたいイントロは、ユニコーンの「すばらしい日々」か andymoriの「クラブナイト」
これ聴けたら死んでもいいかなと思える、というか聴こえた瞬間に今の自分はもう死ぬんだと思う、なんというか哲学的?な意味で
じゃあ聴いたら死ぬのかよ、とかそういうこと言うやつはモテないよね、わかる。
そんなモテない私が初めてどうしようもなく好きになってしまったのが、スピッツ「ロビンソン」のイントロ
出会いは高2の夏だった
たまたま地元宮崎での公演(小さな生き物ツアー)に誘われ、参加することになった。
ライブの予習としてYouTubeで "スピッツ" と検索して、上から順に聴いていく。
当時は公式チャンネルなんてなかったから違法アップロードされたライブ映像を観ていた。古美門先生なんとか時効で処理願います。
「チェリー」や「空も飛べるはず」でこれ知ってる!いい曲だよね!!と興奮していた私に衝撃が走る。
何だこの美しいイントロ。
スピッツ童貞だった自分は「ロビンソン」すら知らなかった。
一瞬で虜になり、その日から登下校中「ロビンソン」のエンドレスリピート生活が開幕した。
片道50分だから往復で1日約25ロビンソン
今考えると「ロビンソン」の負担の大きさは計り知れない、全盛期阪神久保田並みのフル稼働である。
ただ、これだけ曲としての完成度が高いと飽きる飽きないとかそんな次元の話ではないのだ。
「ロビンソン」が日々に彩りを与えてくれ、彩られた日々のBGMとして「ロビンソン」を聴く
そう、「ロビンソン」が幸せの無限ループの鍵となっていた。
その証拠に毎日共に25ロビンソンを味わっていた当時の愛車アルベルトは、日に日にペダルの調子が良くなっていっていたように感じる。
あることが当たり前、いや、ないとさびしさを感じさせる存在になった「ロビンソン」
「日々の生活」という主菜と「ロビンソン」という主食を毎日一緒にいただく。
そう、私にとってロビンソンとは白米のような概念のものだったのだ。この例えはちょっとサンド富澤さんだね、ごめん
迎えたライブ当日、暑い熱い厚い思いが届いたのか「ロビンソン」を演奏してくれた。
念願の、生「ロビンソン」
あのイントロを聴いた瞬間の自分の顔は人様に見せられるものではなかったとだろうと今思い返しても感じる。
(ああ、終わらないで、このまま時が止まってしまえ)
という生まれて初めての感情は生ロビンソンが与えてくれた。
翌日、その興奮を日直日誌にありのまま書き上げて担任に伝えた。
返事は「楽しいことばかりでいいですね」だった
くそ、成績悪いくせに楽しんでばっかで悪かったな
そうして片足突っ込んでからは誰よりも速くスピッツ沼にはまっていった。
高校の文化祭で「楓」の弾き語りをし、もう自分の曲ですと言わんばかりにドヤ顔で歌っていた。
大学で軽音学部に入った私は、もちろんスピッツのコピーバンドを結成し、4年間の青春といつくかの単位を捧げた。
当時の彼女と福岡のライブにも2回参加したし、焼酎のほろよい割りを片手に歌詞を朝まで2人で考察もした。
スピッツの「見っけ」を聴くとその時の思い出が鮮明にフラッシュバックする。
結局この彼女とは社会人2年目のクリスマスまで5年間のお付き合い
就職で宮崎ー愛知の遠距離恋愛となり、この物語は終わりを迎えた。
そんな大恋愛はアルバムに「見っけ」とともに今も私の心に真空パックしてある。うわ、きもいな
社会人になった現在は、休日の朝、散歩しながら歌詞の考察を1人でしている。
1人で歩きながら涙ぐんでしまう時があるほどにスピッツは私を変態に育ててくれた。ありがとうスピッツ
そんな生活の中でいつしかスピッツは私の人生に寄り添ってくれる存在になっていった。
🐶夏休みpart2のライブリポート編へ続く
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