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【BORDER .10】国境なき音楽団

東京は三軒茶屋のライブスペース「よんちゃ」の元店長で、今は沖縄に移住した出町君です。色んな音楽の現場で力を貸してくれて、それを通して感じた彼の人間性というかポテンシャルに勝手に惹かれまして、今回の寄稿をお願いしました。海外好きな音楽関係者は沢山いますが、出町君の海外への渡航や、音楽での海外との関わり方がとても好きで憧れています。(KINEMAS宮下)

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国境なき音楽団 / 出町考平 ( Label&Mangement dandanorchestra 代表/ ex.三軒茶屋よんちゃ )

2018年のちょうど今頃。長い冬が終わりやっと暖かくなってきたベルリンの街角で仲間たちと演奏を始めると、ものの数分で人だかりが出来た。初めての異国での演奏と聴衆のノリの良さにとても高揚した。思い思いに体を揺らし自由に楽しむことの素晴らしさと、民族や宗教のボーダーを超えた純粋な音楽の楽しさを、リアルに体感したのは初めてだったような気がした。

黄金週間と呼ばれる日本の春の終わりの連休が終わると、海外行の航空券が安くなる。当時、三軒茶屋でライブバーを経営していた私は、共同経営者に頭を下げ、バンド仲間と10日間のバスキングツアーに出た。


FJイスタンブール2018


アブダビを経由してイスタンブールに着いた我々は、街に繰り出し路上演奏を始めた。イスタンブールはその猥雑で怪しい雰囲気とは裏腹に警察による監視が厳しく、アンプを使って演奏をすると即刻注意され演奏を中止させられるというルールがあり、あまり演奏出来ずに(通貨価値の違いもあり、日本人の我々は稼ぐことも難しかった)翌日ベルリンへと向かうことになる。

ベルリンに着いた我々はベルリン在住のメンバーや4月から欧州を演奏旅行していたメンバーと合流し路上演奏を開始した。

人が集まりそうな場所を転々としながら演奏を続け、文化の違いから、収入源である投げ銭も入り、酒やケバブ(トルコ移民が多いためケバブが安く且つうまい)を買った。3日目くらいだっただろうか、宿泊先のすぐ近くの公園で野外フェスがあり(ベルリンでは5月頃から夏の終わりまで毎週末どこかしらでフェスをやっている)、その入り口で演奏をすることにした。


ベルリン2019(phot by daisukemurakami)


日本だったらその時点でツマミ出されそうだが、ここはベルリンである。目の前で警備をするポリスメンすら我々には関心なし、思惑通りフェスに行く人々が足を止め、多いときは50人以上集まり、演奏を中断して休憩しようものならブーイングまで起こるほどだった。いい気になった我々はベルリン滞在中ずっとそこで演奏したのだった。

ベルリンには多種多様な国の人がいて、本当かどうか確かめようもないが、バグダットのクラブのオーナーという人からは「いつか演奏しにこい!」とラブコールを頂いたりした。バグダットといえばイラクの首都であり、日本人からするとなかなか行けない場所の一つだと思う。いつか行ってみたい。聴衆たちはアジアの端っこの島国から来た我々の音楽で自由に踊り、時にはマイクを奪われラップをしたり、22時頃まで明るいベルリンは本当に楽しい街だった。

ベルリンからイスタンブールに戻った我々は、幸運なことに現地メディアの密着取材を受けることになり(メンバーにトルコの伝統楽器カヌンの奏者がいるのである)、カドキョイというアジア側の街(イスタンブールはボスポラス海峡を挟んでアジア側とヨーロッパ側に分かれている)で、記者たちが警察を説得してくれたことにより、初めてしっかり演奏をすることが出来た。

謎の集団である我々は注目を集め100人以上の聴衆に囲まれながら演奏をし、用意していたトルコの伝統音楽をやりだすと大いに盛り上がった。警察とは投げ銭をやらないという約束だったので収入は得られなかったが、日本人がイスタンブールの街角でトルコ人を躍らせている、という不思議な状況に皆興奮していた。

イスタンブールでの我々の様子は地元の新聞で紹介されることになった。そこで一つ問題が起こり、当時バンド名がHASSY&theArabianNighters(現:FamousJapanese)という名前だったのだが、“アラビアン”というワードがNGだと言われたのだ。「トルコ人はトルコ語を母国語とする民族でありアラブではない」と教えられ、浅はかな知識でトルコをアラブの国と認識していたことをひどく恥じた。結局、Arabianは取られ、HASSY&theNigtersとして紹介された。理解しなければいけないボーダーもある、と強く思いながら帰国の途についた。


FJソウル2018


それから1年後、2019年5月には韓国・ソウルのフェスに参加することになる。韓国人はとても熱量の高い民族で、ちょうど光州事件の記念日とぶつかったこともあり街はデモ隊と警察隊が一触即発で騒然としていた。熱量の高い韓国人はライブでもめちゃくちゃ盛り上がる。日本人の10倍は音楽を純粋に楽しんでいる感じがした。その熱気に1年前のベルリンを思い出しながら演奏を楽しんだ。

音楽に国境はないなどとよく聞くが、現地でしか感じることのできないリアルなボーダーをこれからも、超えたり、踏みとどまったり、していきたい。コロナ禍の日本で、海外旅行に行けるのはいつになるのかなああ、と悶々としながらステイホームでこのヘタッピな文章を書いた。


最後に。宮下さんとはひょんな縁から仲良くなり、私が経営していたライブバーにもよく出てもらったし、京都、大阪、名古屋でもお世話になった。ある日、名古屋から車でやってきた宮下さんが、本番直前に腹痛を訴え、病院に行ったらそのまま入院する、というアバンギャルドな事件が起きたのを強烈に覚えている。アバンギャルドな人なのである。沖縄でライブが観られる日を楽しみにしています。


- 出町考平 -

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