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禅と日本文化 鈴木大拙

侘び寂び

茶道の精神を構成する4つの要素のうち、4番目の要素である「寂」は、英語で「tranquillity(静寂)」と表現される。しかし、この表現は「寂」の持つ意味を完全には捉えきれていない可能性がある。

「寂」は日本語の「さび」にあたり、静寂だけでなく、貧困、単純化、孤絶などの意味も含む。仏教の用語としては「死」や「涅槃」を意味するが、茶道においては、これらの意味合いを踏まえながら、自然の移ろいや、物事の儚さ、そしてそこから生まれる美しさなどを表現している。

つまり、「寂」とは、単に静かな状態ではなく、その静けさの中に宿る、深い意味や美しさを指す言葉である。

茶道では、このような「寂」の精神を大切にし、お茶を点てる場や、お茶を飲む場を、心静かに、そして深く味わうことができる空間としている。



貧困や孤絶を美しく感じるために、静かな心と、それを引き起こす対象物が必要である。わび・さびは、単に貧困や孤絶を受け入れるだけではない。そこには、美を追求する原理が存在する。

つまり、わび・さびとは、貧困や孤絶の中にも美を見出すという、日本の美意識である。

現代では、さびは個々の事物や環境に、わびは貧困や不完全を連想させる生活状態に用いられることが多い。

たとえば、古びた茶碗に侘びを感じるのは、そこには長い歴史や、人々の営みが刻まれているからである。また、自然の風景に侘びを感じるのは、その儚さや、移ろいゆく美しさを感じるからである。そして、シンプルで質素なデザインに侘びを感じるのは、その無駄のない美しさを感じるからである。

わび・さびは、日本独特の美意識であり、日本の文化や芸術に大きな影響を与えてきた。



「現代の世に、茶人のような境遇の人は何人いるだろうか。パンをまず与え、労働時間を短縮すべきであり、茶会のような余裕のあることをするのは馬鹿げている。」

このような意見があるかもしれない。しかし、現代人はパンや労働時間の短縮を求める以上に、閑暇を失っているという問題があるのではないだろうか。

現代人は、仕事や生活に追われて、心の余裕がない。そのため、刺激を求めて、内面の苦悶を麻痺させようとする。

つまり、現代人は、茶人のような境遇を目指すのではなく、まず心の余裕を取り戻すことが重要である。

たとえば、現代人は、仕事や生活に追われて、休日も疲れてばかりいる。そのため、刺激を求めて、テレビやゲーム、SNSなどに依存するようになる。また、過度な消費や暴力など、自己破壊的な行動に走ってしまう人もいる。

このような現代人は、茶人のように、静かに物事を楽しむ余裕がない。そのため、内面の苦悶を麻痺させようと、刺激を求めてしまうのである。

心の余裕を取り戻すためには、まずは、仕事や生活のバランスを整えることが大切である。また、趣味や自然など、心を癒してくれるものを見つけることも重要である。

現代人は、心の余裕を取り戻すことで、真に生きることの意味を見出すことができるだろう。

禅と日本文化 (岩波新書)

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