娘ちゃん春には高校生に!?がんばりました。
入院中も面接の練習の為、学校へ行きました。一時外出です。その日は娘ちゃんにとって、約3週間ぶりの外の世界でした。
一旦自宅へ寄り、制服に着替えます。学校へ行く途中、願書用に証明写真を撮ります。ドラッグストアの前に設置してある証明写真機です。娘ちゃん、プリクラは死ぬほど撮ってますが、証明写真機は初めてです。
2回撮影したうちどちらか良い方を選べるのですが、操作を誤り、良くない方を選んでしまったようです。
『チガウホウ エランジャッタ…』
嫌な予感がします。頭を抱え始めました。
しかし仕上がりの写真を見たら悪くなかったようで『コレデモイイカモ…』とのことでした。ニコニコと出発したはずなのに、突然こういうことがあります。気持ちが上がったり下がったり、ズキズキワクワク。
そして久々の学校を終え、また自宅へ寄り、制服を脱ぎます。病院では食事もおやつもどれも美味しいと、娘ちゃんはいつも嬉しそうに話してくれていました。
『キョウハ パスタダッタヨ』
『オヤツハ カップケーキダッタヨ』
でもどれも娘ちゃんにとっては量が少ないのだそうです。自宅では残された時間をおやつを食べることに費やしました。一時外出の予定を滞りなく終え、やり切った表情で病院へ戻って行きました。
だって数日後には、退院です。
おかえりなさい、娘ちゃん。
退院はしましたが、退院をしただけです。世界は何も変わっていません。娘ちゃんが、病気であることも、受験生であることも、人生を生きて行かねばならないことも。
クリスマスでしたので、兼おかえりパーティーをしました。入院をするとなぜか人間はジャンキーなものを欲します。一様にして、マックとラーメンを求めます。何かの血鬼術でしょうか。
入院中は、割と落ち着いていたようです。ドクターからはそう聞いていました。普段から、学校や外出先では不調を出すまいと緊張し、気をはって過ごしているのが分かります。それは理性が働いているからです。社会で過ごしていくには大切なことです。
外で頑張っているその反動なのかは分かりませんが、家ではまったく不調を隠しません。安心して不調になります。入院中も慣れない環境の中で、きっと気をはっていたのだと思います。退院後、娘ちゃんのメンタルはかつてないほど乱れに乱れました。1ヵ月弱の抑圧から解放されたためなのか。家に帰って来たことと、受験が目前なことと、他にも何か気になることがあるのかしら。不安に揺れ動く心、ていうか脳。冬休みです。学校はありません。一日中家にいます。煮詰まります。余計なことを考えます。幻聴が高まります。1ヵ月弱の入院期間でしたが、私達は信じられないくらい静かな日々を送っていたのだと思いました。戻って来た日常に、なつかしさを感じている余裕は在りませんでした。『これこれ~このかんじ~』とか全然ないです。
ところがどっこい。平時の娘ちゃんは、なんだかとってもイイ感じなのです。以前よりも、またひとつ回復が進んだ感じがするのです。今までも何度かありました。『あ、回復のステップをまたひとつ上がった!』という手応えを感じる瞬間があるのです。それは、所作だったり表情だったり会話の応酬から感じ取れることもありますし、分かりやすく活動の幅が広がったり、制作物の完成度が上がったり、集中力の持続といった場合もあります。そういう時、嬉しい私はさり気なく娘ちゃんの食事にデザートを追加したりするのです。
家でも面接の練習をしました。もちろん平時のイイ感じのときに。
母が面接官役です。
「次の方どうぞ~。」
緊張させないようにと、若干バラエティ寄りのふりをした母でしたが、
娘ちゃんは、元吹奏楽部の発声で「はい!」と勇ましい返事をしてきました。
「!?」母は大変驚きました。娘ちゃんのこんなにハツラツとした、お腹からの声を超×100久しぶりに聞きました。音声ミュートだったけど、最近はようやくボリュームが2くらいになったかな~とは感じていましたが、
こんな声出せるんだ!?すごいな!?
「受験番号とお名前、通っている学校を教えてください。」
「受験番号****番、○○○です!○○中学校です!」
母は感動しました。
「合格!!あなたもう合格です!!」
「やだママ。えへへ…」
バカップルのような会話ですが、私がどれだけ驚き、感動したのか、伝わりますでしょうか!!
「僕もやる~。」と息子も真似をして、椅子に座ります。「好きなポケモンはメガリザードンXです!」
「合格!!あなたも合格です!!」
平和。
とはいえ、平時のイイ感じのときばかりではないというのが現実です。
受験生が家にいるお宅というのは否応にして致し方ないと思いますが、我が家もピリピリしておりました。なんなら平時からすでに気を遣っているところがあるので、非常に辛い。でも本人はきっともっと辛い。受験前に不安や緊張なんてみんなあります。あって当たり前です。でもそういう変化に気をつけなくてならない病気なんですよね。薬はもうずーっと変えていません。種類も量も。変わったのは、飲むタイミングぐらいでしょうか。それを考えると、本人を取り巻く状況というものが、症状をいかに大きく左右するかが分かります。
ようやく冬ごもりの冬休みが明けました。
学校でも毎日面接の練習がありました。練習は放課後に行われます。いつも授業が終わったらささっと帰っていたので、こんなに暗くなるまで学校にいるのは久方ぶりです。それに耐えられるだけの気力と体力が戻ってきたということでしょう。あとはやっぱり本人の気合を感じます。
予想される面接質問の解答も自分なりに完成させ、反復練習をし、何を聞かれても答えられるようになりました。家でもほぼ毎日練習をしました。質疑応答だけでなく、廊下へ出て、ノックして入ってくるところからやっていました。学校できちんと習ってきたんだなぁと、誇らしい気持ちになります。
発病してから1年半です。
当初はもう中学校に通うことはあきらめていました。高校はとても考えられませんでした。病気の経過や傾向を調べれば調べるほど、少なくとも10年は療養に費やすべきだと覚悟しておりました。ここまで学校へ行けるようになるとは思いませんでしたし、ましてや受験するなんて…。
しかし素直に喜べない私がいるのです。
いろいろな手引書や専門書を見返しても、大きなチャレンジや環境の変化には慎重になるよう書かれています。大きなプレッシャーにさらされれば、健康な人でも揺れ動くものです。
本人が受験したいからと言って鵜呑みにして、まだ早かったのではないか?止めるのが伴走者の役目ではないのか?
いや、チャレンジするという娘の気持ちを応援しなくてどうするのだ。それが出来ないで何が味方だ!
じゃあ、もし失敗してしまったら?深手を負ったら回復が後戻りしてしまうかも知れない。この病はとにかくゆっくりが肝心なのだから。
失敗を恐れてチャレンジしないのが一番良くない。もし失敗しても貴重な経験だ。現在地を知れば、納得した上でこれからの事を考えられるはずだ。
母のインサイドヘッドは大忙しです。
受験当日、雪こそ多くありませんでしたが、大変寒い日でした。
少し早めに着きました。受付時間までまだ10分ほどありましたが、受験生と保護者達は会場の外で待たねばなりません。娘ちゃんと私も『寒いね。』と言いながら、並んで待っていました。不調はいつも突然に、そして手持無沙汰のときに出る傾向があります。私は祈りながら10分をひたすらに待ちました。
いよいよ受付時間になり、受験生の皆さんはどんどんと順番に会場の中へ入って行きました。ここから先は保護者は入れません。
「いってきます。」
「いっておいで。」
娘の表情に不調の影は一切ありませんでした。ともすると晴れやかな、万全の備えからくる自信すら感じ、その目は輝いていました。
そして頑張ったかいがあって、娘ちゃんは合格することが出来たのです。
春からは憧れの高校生です。JKです。
おめでとう。良く頑張りました。
晴れて合格したことで、私達もとてもホッとしました。しかし病気というのは、そんな事情などお構いなしに襲ってくるのです。合格したことで、娘ちゃんの心もだいぶ楽になってくるんじゃないかと、不調も減るんじゃないかと、思うじゃないですか?期待するじゃないですか?
合格が決まったその日の夜。
いつもと変わらず不調はやって来ました。
むしろいつもより深く。
不適切な表現が含まれますので、詳細は控えておきます。長かったです。もうずーっと私に向かって罵詈雑言。いつもならどうにか心を無にして、聞き流すことも出来るのですが、その日は本当に不調が長くて、いくら症状だと分かっていても、娘の本心ではないことも分かっていても、言葉の刃が私を切り刻み、痛みで涙がこぼれました。私はティッシュ箱を顔面に投げつけられ、水筒で殴りかかられました。息子が泣きながら反撃しようとしますが、それをなんとか制します。息子は私の意図を汲んでくれ、拳を収め、ぷんぷんとティッシュをもとの位置へ戻し、水筒の凹み具合を確認していました。
一筋縄ではいかない回復への道のり。
合格という、きっと本当なら努力が実り、賛辞を贈られ、幸せに違いない日。それを手放しに喜べない境遇にある娘。(と私達)
なんで?どうして?なんてもう言いあきました。ただ取り返したい、と思うのです。思わずにいられません。娘が、喜びを喜びとして、幸せを幸せとしてそのまま受け取ることが出来る日を。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?