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止まった時が動き出す。伏線回収ダイジェスト。

メモを一切書かなくなりました。あんなに×100必死で書いていたメモですが、今やゼロです。書かなくても全く平気に過ごせるようになりました。
どこへ行くにもクリップボードとメモとシャーペンを持ち、家ではもちろん学校でも、車中でも振動に耐えながら、店内で私の背中を台にして、書きに書きまくっておりましたが、今やゼロです!ゼロですよーー!

娘ちゃん、部屋の模様替えがマイブームのようで、韓国風の部屋にしたいと頑張っています。そこでまずは自室を片づけました。発病してから時が止まってしまっていた自室を片づけ始めたのです。学校のプリントやカレンダーなんかも中2の6月のままでした。全部あの時のままでした。
もう卒業ですし、中学校のものは必要なものを残して片づけてしまおうというわけです。私はお手伝い程度で、ちゃんと自分でやりました。
大量のメモ用紙が入った紙袋があります。ずっしり。数十冊にものぼるメモ帳やメモ用紙のごっつい束の数々は、娘ちゃんがずーーーーっと毎日毎日コツコツ必死に書いてきたものです。なんて書いてあるのかお母さんはちょっと分かりませんが、娘ちゃんにとってはとても大切なことが書いてあるようで、貴重品のように取り扱っておりました。紛失するとアルマゲドンです。度々ありました。
私は問います。『これどうする?』
娘は答えます。『捨てる。』
ついにここまで来たかと思いました。ドライブもそうでしたが『満了を迎えました。更新はしません。』という感じが致します。
転機は入院の経験でした。入院中は、持ち込み品のルールがあります。テレビがある談話室にはクリップボードやシャーペンなどが持ち込みNGでした。テレビが見たいなら、メモを取る行為は我慢しないとなりません。
ドクターによると、『なくても意外に平気かも?』という経験の積み重ねが、不安を和らげていくのだそうです。経験は大切です。成功も、失敗も、どちらも大切です。その為には、何事もチャレンジですね。

『私、成長した。ウフフ。』
娘ちゃんは、最近良く言います。自分でも感じているようです。症状にがんじがらめで、辛くて辛くて苦しい時期がありました。○にたいと、生きるのが辛いと、毎日泣きながら訴えていました。それが今や、これからが楽しみ過ぎるようでニヤけているのです。

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運動に目覚めました。
少し前まで、まっっったく動きませんでした。座りっぱなしで、一日中そこに!リビング定位置に!こたつと同化!
食事量は一時は凄かったのですが、だんだんと落ち着き、今は多分標準の一人前だと思います。お菓子も自分なりに考えて食べています。たぶん私より食べてないです。逆に私がお菓子とアルコールをやめられません。
未だ寒いので、外へウォーキングなんかに出るのはちょっとまだ大変そうです。家の中で出来る運動ということで、階段の昇降運動です。
数回昇降するだけでも、もう息が上がってきて、けっこうな運動量だと思います。タイマーではかりながら、毎日やっています。
休みの日には、市民体育館まで繰り出して私とバドミントンをすることもあります。昔からバドミントンは好きで、回復以前の時期にも家のすぐ横の道なんかでやってましたが、ある時シャトルが屋根にのってしまいました。安価な物でしたし通常はあきらめそうなところですが、その頃、娘にはしきりにミッション(脳内)が下されていた時期でした。2階の窓からも届かない、長い棒を使っても届かない、これ以上は無理だから、危ないから、新しいものを買うからと私とばーちゃん(何事かと隣の家から登場)が説き伏せようとしますが、娘の答えは”あのシャトルを取らなくてはならない”一択でした。そんな娘の絶対的命令で私は昇ったことのないような高さの脚立を開いて、2階まで届くはしごを昇り、ばーちゃんと娘と息子が見守る中、死ぬ気でシャトルを取りに行ったものです。
でもそれ以来、娘は広い体育館でしかバドミントンはしなくなりました。

動機はやはり高校生活へ向けてというところでしょうか。素晴らしいじゃないですか。中学校は車送迎でしたが、高校はバスと電車を乗り継いで自分で登校しなくてはなりません。毎日それだけでもう基礎体力は自然と戻ってくると思います。高校に行ったらあれもしたい、これもしたい、キラキラとお話をしてくれます。でもいくら楽しみでも、どうか安全運転でゆっくり行きましょう。

謎のプリクラ

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