見出し画像

ちょっと息子の話を。田んぼ道と自転車と私。

私はこじらせておりました。風邪ではありませんが。
昨年の娘の発病以降、私は本当によく泣くようになりました。ゆるゆるです。もう常に最終回を読んでる盛り上がりです。
不安なのは娘や息子だろうに、一緒になって私が泣いてどうするのだ。そう思いますが、こじらせているときというのは、それが分からないものです。
こじらせ母。めんどくさい生き物です。
以下、めんどくさい様子を交えつつお届けします。

娘も息子も、ママが何やら泣いていると気付いています。泣きながら味噌汁を作っています。パパが(代表で)話しかけて来ました。
「どうした?大丈夫?」
「何も。…涙が止まらないだけ…。」
私がこんなにもモヤモヤな毎日を送っていても、その出来事は全てパパがいない間の出来事です。スケジュール的に仕方のないことなんですが。
パパが出勤した後に、息子の登校しぶりの対応から始まり、なんとか送り届けてから仕事へ行き、どんなに忙しくとも娘の送迎の為に切り上げて帰宅、娘の登校準備を手伝い、不穏に対応し、送迎し、家事をし、息子を迎えに行き、娘をドライブへ連れて行き、不穏に対応し、風呂へ入れ、夕飯が出来る頃、パパは帰ってくるのです。んで、帰って来て、『あれ?ご飯まだなの?』とか言うんです。
もう説明が辛い。前回までのあらすじがあればご自由に読んでほしい。
すると、パパが隣のばーちゃん(義母)に何かを伝えたようです。
「○○(パパ)から電話があってね、○○(私)さんの様子がおかしいから話を聞いてやってくれって。」
なんと。
パパとばーちゃん(実の親子)は、普段はお互いにケンカ腰なところがありますが、たまに奇妙な連携プレーを見せます。
「○○(息子)が毎朝学校へ行きたくないって言って、あなたが一緒に学校行っているの知っているわ。大変でしょうけども、今は耐えて下さい。あなたが頑張るしかないのよ。」
ばーちゃんから見たら、私などはまだまだの人間だと思います。やれやれ、と思っているのかも知れませんが、それでもこうして足を運んでくれるのです。パパは見てなくても、毎日ばーちゃんは見ててくれたのです。
そして、今まで度々聞いたことがあるばーちゃんの子育て回想記を聞かせてくれました。私はただ黙って、ばーちゃんが話すことを聞いていました。
「ご心配かけてすみません。ありがとうございます。」
最後にそれだけ言いました。

娘の送迎の際に出会う中学校の先生にも心配をおかけしたようです。
私の泣きはらした目に気付かれたのか、あるいは秘密が持てない娘が言ったのかも知れませんが。
その日の帰り際、中学校の先生は「お母さん、たまにはお話きかせて下さいね。」と声を掛けて下さいました。娘の事で悩んでいると思われたのかも知れません。(確かに悩みはつきませんが。)
悩みの原因が何かはともかく、ストレートに言わない優しさというか、相手への心遣いというものが感じられて胸が温かくなりました。超極暖。娘は調子が悪いとき、『ヤサシクシテ!』みたいなこと言うのですが、こういうことですね。勉強になります。

会社で一緒に働く方にも、気を遣わせてしまったと思います。家族以外では、最も過ごす時間が多いので、ついつい日頃から愚痴やら弱音やら萌えやらも話しやすくて出てしまいます。『今、息子がこのような受難に見舞われております。しかしながら、私めは息子に何もしてやれず、己の無力さにうちひしがれております。ふがいなきことです。酒もうまいと感じません。』
会社の方は、じゃあこうしたら?ああしたら?などとは言わず『そうかそうか、大変ですね。お仕事の方は心配しないで、無理しないでください。』と、ただただ優しく聞いてくださいました。業務中カウンセリングです。申し訳ございません。

お友達にも、話を聞いてもらいました。そのお友達とは、振り返れば長いお付き合いです。喜怒哀楽すべてのジャンルに対応してくれます。
そのお方は、『今、あなたが頑張って子供達に時間をかけてあげて、それが元で好転するかもだし、しないかもだけど。それは分からないけれど、でもあなたががんばった自己満足や肯定感は大きいし、何らかが次に繋がりますよ。』と、スペシャルメッセージをくれました。

そうか、今か。今やらねばならない。
今こそ子育てに時間を、手をかけるべき時です。
安い涙を流している場合ではありませんでした。

5月も半ばになりました。
私は息子の送迎に、自転車を使うことにしました。
徒歩で往復するのと比べると、復路だけでも自転車にすることで10分は時間に余裕が出来ました。HPの減りも全然違います。10分違うと、ギリギリ出勤時間に滑り込みセーフです。もはや自転車は不可欠な、私の相棒になりました。

私は『毎朝自転車で子供を送って行くお母さん』になったのです。
おそらく同じ田んぼ道ルートで登校する生徒さんで、自転車お母さんを知らぬ人はもういないでしょう。(自己分析)
新緑の頃は、田んぼを耕し、水をはり、田植えが施されていき、やがて一面の田園風景になるのを一緒に見届けました。酷暑では、日ごとにひび割れていく土を心配し、早く水を出してやれ、雨よ降れと、稲の生長をハラハラと見守りました。
時折、同じように親御さんに付き添われて登校する生徒さんを見かけました。『おはようございます。』と、お互いに心強いような、切ないような、何とも言えない気持ちでご挨拶をしました。

『夏休みが終わったら、(登校班の)皆さんと一緒に行くよ。』と、息巻く息子でしたが、まだ難しいようでした。学校へ着いてもなかなか私と別れられず、校門横で立ち話タイムです。立ち話が長くなってきたので、テコ入れをします。『この地面の下にはTNTが埋まっていて、30秒同じ場所にとどまっていると爆発します。』と言いました。『ほんとに!?ほんとに!?』とか言いながら、学校へ入って行きました。

例年より早めに実り頭を垂らすようになったようで、まだ8月だというのにあちこちで稲刈りが始まりました。こっち側は土日に刈ったんだね、あそこの田んぼはまだだね、早く刈ったらいいのに、そんな事を話しました。コンバインが通った後の道に散らばった米を狙って、鳥がたむろしています。
本当に残暑が長く、9月もほとんど真夏日です。行は西向きで朝日が背中にさしますが、帰りは真正面からまぶしいので、黒いキャップとUVパーカーとサングラスです。
10月にもなれば、稲は全て刈られ、だだっ広い物足りないような風景になりました。でもしばらくすると稲の切り株から二番穂が出てきます。生命力を感じます。ても二番穂が刈られることはありません。
登校班長をしてくれている6年生のお兄さんが、少し歩みをゆっくりにしてくれました。いつも着いていけずに段々と離れてしまっていたのですが、登校班の皆さんのすぐ後に着いたまま、学校に入れるようになりました。
暑さが和らぎ、11月になると自転車に最適な気候となりました。鼻唄が出ます。息子はシロサギやトンビが現れると大喜びです。でも来たかと思うとだいたいはカラスなのです。がっかりします。カラスは危険生物なのだそうです。
自転車でないと遅刻するので、多少の雨なら合羽&自転車です。あんなに雨が降らなかったのに、ここへきて土砂降りに見舞われることもありました。
そういえばもう親御さんに付き添われて登校する生徒さんは、誰も見かけなくなりました。

12月になるとさすがに寒いです。
わりと雪の降る地域です。自転車に乗れるのは雪が降るまでです。タイムリミットが迫っていました。『雪が降ったら自転車に乗れないから、ママが一緒に行くのは雪が降るまでだよ。』
前々から言ってありました。息子も『分かってるよ~』と言っていました。
もう冬休みも間近、本格的な降雪の予報が出た頃、息子はとうとう登校班の皆さんと一緒に、学校へ行ったのです。


映画が観たいのよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?