私はこの光景を知っている。あれは30数年前のこと…。
昨年、伯母が他界致しました。
親戚関係においては、最も身近でお世話になった方でした。いつもにこにことしていて温厚で、器用で、ユーモアがありました。物の言い回しが思慮深く、相手に気付きを与えるような言い方をしてくれました。幼児教育をされていたことを思うと、それも頷けます。もちろん娘ちゃんのことも、かわいがっていただきました。
ここで娘ちゃんが発症した日の事を書きます。思い出すのが辛いので(私が)、少々柔らかく書いてみます。
6月の暑くなり始めた頃でした。
その日は体調が悪い中、なんとか終えた部活動から帰宅。もう部活中もずっと泣いていたそうですし、帰宅してからもずっと泣いていました。不安で押しつぶされ、身動きが取れなくなっていました。
『ママは本当に味方?』と震える声で聞いてくるので、『もちろん味方だよ。あなたを産んだお母さんですよ。』と答えました。
もう様子がおかしいことは明白でした。
『あなたは病気かも知れないから、病院へ行ってみよう。今はとにかく休もう。』と声をかけ、なんとか自室へ連れて行きました。
娘ちゃんがベッドへあがり、それからいくつか会話をしましたが、何を話したかよく覚えていません。たぶん安心出来るように、気が楽になるように、私なりに声を掛けたんだと思います。でも娘ちゃんの涙は止まらなくて、目はギラギラと周囲の様子を伺い、とても寝れそうにありません。
突然、娘ちゃんはベッドの上に立ち上がり、飛び跳ねました。何度も何度も。
『私だって!!頑張って!!いるのに!!私だって!!』
ドスン!バタン!ドスン!
泣きながら、飛びながら、絶叫しています。
鬼気迫る人間の形相、行動。
ちなみに娘ちゃんのベッドはというと、収納が付いた半二段ベッドのようなタイプです。はしご階段をのぼってベッドへ行きますので、ベッド自体が床から高い所にあります。そこを飛び跳ねるものだから、頭を天井に打ち付けそうでした。
壮大な物音を聞いて、パパと息子も娘ちゃんの部屋へ駆けつけてきました。
息子はこれがどういう事態かまだ分からないので、一緒になってベッドで飛び始めました。楽しそうに。
パパは娘ちゃんを止めようと近づき捕まえます。『危ないよ!ケガするよ!止めよう!息子は降りなさい!』
そんなにぎやかなやり取りを見ながら、私は何かを思い出しました。
私はこの光景を知っている、と。
いえ、正確には”聞いたことがある”です。
私がまだ中学へ上がったばかりの頃でしょうか。もう30年以上前の話です。
私の母が伯母と電話をしていました。伯母というのは、昨年亡くなった伯母のことです。母は電話を切った後、その内容を話してくれました。伯母さんの息子さんのことです。私にとっては年上のいとこのお兄さんです。
『○○君がね、ベッドの上で飛び跳ねていたんですって。「みんなが僕を陰でひそひそ言ってるんだ!みんなが僕を笑っているんだ!」って。』
母は信じていないようでした。そんなことあるわけないじゃない、と言わんばかりでした。○○君にも困ったもんね~と。
でも私はそれを真実と受け止めました。そのいとこのお兄さんは、ものすごくデリケートで人より繊細過ぎるのだと思いました。雑音をスルー出来ないことは、さぞかし生きづらいだろうな、と。
そのいとこのお兄さんは、独特な雰囲気が昔からあり近寄りがたかったのですが、一変してそれを覆す出来事がありました。ドラクエの攻略本というものを教えてくれたのです。当時小学生の私は、ドラクエ1で次に何をしたらいいのか、もうどこをどうしていいのやら、分からなくなっていました。
そこで勇気を出していとこのお兄さんに聞いてみたのです。
すると言葉少なめに、『これを見てみたら』とドラクエ1の公式ガイドブックを差し出してくれたのです。攻略本というものを生まれて初めて手に取りました。その衝撃といったら!!こんな素晴らしいものがあるのか!!
もう子供で単純な私にとって、そのいとこのお兄さんはカリスマでした。
母からその出来事を聞いた頃を最後に、そのいとこのお兄さんに会うことはもうありませんでした。あの頃よくおこなわれていた盆や正月の親戚の集まりにも、一切姿を現さなくなりました。だんだんとそのいとこのお兄さんの話を誰もしなくなっていきました。話題にしてはいけないことのように感じました。月日が流れ、同世代の他のいとこたちが就職したり、結婚したり、子供を授かったり、それぞれの人生を歩んでいても、そのいとこのお兄さんに関しては何の音沙汰もありませんでした。
再び会ったのは、そのいとこのお兄さんのご葬儀の時でした。
何らかの精神疾患だったのだろうということは、感じていました。
そして私は自分の娘の発症の様子を目の当たりにし、これは同じ疾患だと思ったのです。直感です。伯母さんや身近な方から病名をハッキリと聞いたわけではありません。けれど、私の中の点と点がつながってしまって、ほどこうとしてもほどけないのです。
30数年の時を経て、あの時の母の言葉が思い出されました。
『○○君がね、ベッドの上で飛び跳ねていたんですって。』
遺伝性の因子がもしかしてあるのかも知れませんし、なんの因果もないのかも知れません。今でこそありふれた病と言われていますが、30年以上前の話です。世の中の理解も、医療も、薬の質も、今とは違っていただろうことを思うと、鳥肌がたちます。ついでに言うなら、伯母さんのご主人(いとこのお兄さんの父)は、男は仕事とゴルフと酒と煙草で、家事や育児は女の仕事、と堂々と言ってしまいそうな、今であれば炎上しそうな方だった気がします。つまり私は苦手でした。息子の病を受け入れ切れなかったご様子が、ご葬儀の喪主挨拶からうかがい知れました。
一番身近で味方になって欲しいはずの人が、伯母さんにとってちゃんと味方でいてくれたのだろうか、と思ってしまうのです。全部私の勝手な推測でしかありませんので、この辺にしておきます。
誰もがどうしようもないこと、仕方のないことはあります。それでも、何とか何とか折り合いがつき、喜びに出会う人生であったと、あの笑顔を信じております。私などに心配されて、伯母さんも甚だご迷惑でしょうが。私もそうありたいと願いを込めて。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
伯母さんがご健在だった頃は、いつか娘の病のことを打ち明けたいと、漠然と思っていました。でも伯母さんは亡くなってしまいました。もう伯母さんに話を聞いてもらうことも、真実をたずねることも出来ません。
…いや、やっぱり言えなかったかな。どうかな。言ってどうなるものでもないけれど。共感してもらいたかったのか、励ましてもらいたかったのか、経験を聞きたかったのか、知恵を授けてもらいたかったのか。
たぶん話したら、打ち明けた瞬間に私は泣いてしまったことでしょう。やっぱり言えなかったかな。どうかな。後の祭りです。ワッショイ。
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