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邪馬台国は見つかっていた【5】誰が倭人伝を書いたのか?正しい部分と誤った部分の線引き


おじ:
ところでレンくんは歴史部で魏使倭人伝を一通り読んだと思うけど、どんな感想を持った?

レン:
邪馬台国の位置を記した記事のあとに、倭人の紹介があるんです。入れ墨の風習や、当時の髪型とか衣食住のことが詳細に書かれていて、興味深かったです。

おじ:
うんうん。倭人伝は、次のような三部構成になっているね。

(1) 帯方郡から女王国までの道程と国々の説明
(2) 倭人の風習
(3) 魏と邪馬台国の外交史

おじ:
倭人伝はおよそ二千字の文章だけど、(1)と(2)が全体の60パーセントを占めているんだ。タイトルを付けるなら「倭国現地取材レポート」ってところだね。

魏志倭人伝(出典:宮内庁ホームページ )を加工

レン:
ただ、邪馬台国の位置に関しては、間違っていると思われる内容があります。正直僕は、倭人伝をあまり信頼していません。

おじ:
なるほど。レンくんの言う間違った内容の代表例は次の2つじゃないかな。

・邪馬台国の位置は、会稽東冶(現在の中国福建省)の東に相当する
・(北九州から)船で30日以上南に行くと邪馬台国がある

図表3 船で南に30日・会稽東冶の東

ゆい:
陸も島もない南の海に邪馬台国があったということ?それは絶対間違ってる。「疑惑の倭人伝」ね。

おじ:
この記述が琉球説やジャワ島説のもとになっているんだけど、倭人伝は信頼性が低いと思われてしまうのも無理のないことだね。けれども倭人伝の全ての内容が間違っているわけではないんだよ。

ゆい:
ややこしいなあ。どうしたらいいんだろう。

おじ:
さて、邪馬台国探しの次の一手は何でしょう?

ゆい:
全然わかんない。探し物の基本は片付けだから「断捨離」かな??

レン:
倭人伝のどの部分が正しいか、わかればいいと思うけど……。

おじ:
そのとおりだよ、レンくん。一番の問題は倭人伝のどこが正しくてどこが誤りなのかが、はっきりわからないことだ。だからどこまでが正しい内容でどこからが間違った内容なのか、その線引きをすればいいんだ。つまり正しい情報を精査しようっていうわけさ。

ゆい:
なるほどね。でもどうやって正否の判断をするの?

おじ:
それはね、次の2つのことがわかれば解決するよ。

① 誰が倭人伝を書いたのか
② その人物はどこまで足を運んだのか

おじ:
誰がいつ、どのような目的で日本を訪れ、実際にどこまで行ったのか。それがわかれば、倭人伝に正しい・正しくないの線引きをすることができるよ。

ゆい:
そっか。実際に行った国の内容は信頼性が高いし、そうでない国は信頼性が低いということね。

おじ:
ではまず ① 誰が倭人伝を書いたのか だ。

レン:
倭人伝には、日本を訪れた2人の中国の使者の名前が書かれていますね。

おじ:
よく知っているね。2人の名前と派遣された年は倭人伝に、はっきりと記されている。

日本を訪れた中国の使者

1 建中校尉梯儁ていしゅん
西暦240年に派遣。
卑弥呼が初めて魏に朝貢した時の返礼品と詔書を届ける。これに対し卑弥呼は、お礼の言葉を述べたことになっている。

2 塞曹掾史張政さいそうえんしちょうせい
西暦247年に派遣。
邪馬台国の要望に応える形で帯方郡から派遣される。滞在中に卑弥呼が亡くなり、内紛が発生。13歳の壱与が跡を継いでようやく内紛が収まるという事件に遭遇する。壱与が派遣した使節団に送られて帯方郡に帰還する。

ゆい:
帯方郡ってどこなの?

おじ:
帯方郡は朝鮮半島の中西部にあった魏の植民地だよ。当時は魏が朝鮮半島を支配していて帯方郡は魏の直轄地だったんだ。梯儁ていしゅん張政ちょうせいも帯方郡から日本に派遣された中国の使者だよ。

ゆい:
この内容を見ると2人とも実際に邪馬台国を訪れたということね。じゃあ、書いたのは先に来た梯儁ていしゅん

おじ:ところがね、梯儁ていしゅんだとすると、とてもおかしいんだ。

ゆい:
何がおかしいの?

おじ:
邪馬台国周辺の国々について、倭人伝にはこう書かれている。

「女王国を含めて北の国々については、その戸数や道里はおよそ記載できるが、その他の女王国の周辺の国々は遥かに遠いので詳しく知ることができない」

おじ:
これを実際に邪馬台国を訪れた人が書く文章としてはどうだろう。

レン:
邪馬台国に行った梯儁ていしゅんが、周辺の国々を「遥かに遠い」と書くのは違和感がありますね。

ゆい:
確かにこれでは「邪馬台国から遠くにいて邪馬台国の情報は何とか入手したけれど、その近隣の国々についてはよくわかりません」というニュアンスね。変よ。

おじ:
もう一つ、おかしな点がある。邪馬台国までの道程だけど、狗邪韓国から不弥国までは具体的に里数で記載されているのに、最後の投馬国と邪馬台国は突然、日数表現になっているんだ。

ゆい:
ますます怪しい。倭人伝を書いた人物は投馬国と邪馬台国には行っていないんじゃない?

レン:
僕もそう思う。でも梯儁ていしゅん張政ちょうせいも確かに邪馬台国に行ったはずだよ。一体どういうことだろう。

おじ:
この矛盾を解決できる唯一の答えは「第3の帯方郡使」の存在なんだ。


【6】につづく


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