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欲求が先か欲求不満が先か

思いついたことを短く。

ストレスについて考えていた際に、
人間はストレスに苦しんでいるのかなあと考えていました。
むしろ、ストレスによって活力を得ているのではないかなあと。
つまり、ストレスから逃れることこそが生きる気力、欲求なのではないかと考えていました。

食欲について話しますと、
たとえ、垂涎の的となる煌びやかな料理が目の前に並んでいても、
満腹だと食べないじゃないですか。
つまり、空腹と言う欲求不満(ストレス)が先にあって、食欲と言う欲求が湧くのではないでしょうか。
性欲も睡眠欲も同じです。
欲求が満たされなくて(欲求不満・ストレスがあって)初めて、それを満たそうとすることができるのではないでしょうか。

他の欲求も似たような説明できるのではないでしょうか。
貧困というストレスから逃れるたいという物欲が生まれて、
孤独と言うストレスから逃れるたいろいう承認欲求が生まれているのではないでしょうか。
そして欲求を満たすことでストレスから解放されているのです。

つまりストレスは欲求が生まれる根源であり、生きる気力となりうるのではないかと考えています。

一方で、人間はインチキができてしまう生き物なのかもしれません。
ストレスから逃れる方法としては、その欲求を満たすのが真っ当な方法です。
ここで最初からストレスを抱かない、欲求を抱かないという考え方でストレスから逃れるというインチキができてしまうのです。
さらには、他の欲求で解消するというインチキもあると思います。

例えば、失恋したときに、
「次の恋を頑張ろう」と思う形で欲求を満たしたり、
「もう恋なんてしない」とストレスや欲求を避けるようになったり、
「ヤケ食いしよう」と他の形で欲求を解消したりするのではないでしょうか。

そう思うと、「食事も喉を通らない」と他の欲求まで減退してしまうことがあるのかと思います。

つまり、ストレスを得たとき
①そのストレスを無くすように努力する(その欲求を満たす)
②そのストレスを抱かないようにする(その欲求を諦める)
③他の好きなことをする(他の欲求を満たす)
④他の物に対してもやる気がなくなる(他の欲求を諦める)

……うーむ、なんだか散逸的な内容になっちゃいました。
うまくまとめればストレスと欲求の関係が説明できると思うんですよ。
そして、そこがわかれば自分の抱えるストレスをうまく原動力に変えられるような気もするのですが。
口惜しいですね。

なんかうまくまとまらなかったけど、今日はここまで。
よいストレスを~。

……。
……。
……。
この記事を書いててパラドックスを思いついてしまいました。
これについては明日書きたいと思います。

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