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やれやれ疲れたとおもちゃの国へ帰って行ったジェニー

お人形遊びをした方も多かったであろう私たちの子ども時代。
リカちゃん人形がわたしの周りでは主流だったのですが、世間的にもそうだったのかな。

わたしのお人形はジェニーちゃんでした。

https://note.com/dokodekaeru/n/ne1b39130e33d

「お人形が欲しい。みんな持ってる。」と
おねだりをして買いに行ったところ
リカちゃんもあったのに、
ジェニーちゃんを選びました。
綺麗なドレスと靴のセットでお姉さんな感じが
とても素敵に思えたのです。

そしていざ友達と持ち寄って遊ぼうとすると
「みーみちゃんのだけりかちゃんじゃない。」
と言われるのです。
ええやん。ちょっとお姉さんキャラがおっても。
子どもってこういうとこ譲ってくれないんです。

持ち寄って遊ぶことはしなくなっても、私には大切なお人形だったので、お着がえしてお風呂してシャンプーをしてあげました。

このあたりで不穏な空気を感じる方は
正解です。

ドライヤーをしたのです。
濡れた綺麗な髪がまたサラサラになることを信じて。
まあ、なりませんわな。

長い髪はグチャグチャひっつき合い
見るも無惨なチリチリの塊になったのです。

「ぎゃーん!」
泣いておばあちゃんに頼んでも、お母さんに頼んでも誰も直せませんでした。そらそうやろ。
「こんなもん、ドライヤーかけるからやろ。」
父が面倒くさそうに憎まれ口を叩きます。
いや、この年代の子が人形の髪の毛ビニールやって知らんからな。教えてない親のせいやからな。
辛くて、次のサラサラのジェニーちゃんを切望しましたが、叶わず、わたしのクセ毛の塊ヘアのジェニーちゃんは可愛いヘアゴムでおダンゴヘアのようにまとめてやりすごしました。


ジェニーちゃん(とわたし)の困難は続きます。
ある日いとこがやってきます。幼い姉弟のいとこ達はふたり揃って破壊王でした。歩くところ歩くところ本が破れ、クレヨンが折れ、例えるならば、ゴジラが通過したかのような残骸があちらこちらに散乱するのです。
わたしは姉ゴジラをなだめようと一緒に遊んでいたのですが、後ろで弟ゴジラがなにか嬉しそうな雄叫びをあげたので振り替えると、掲げた両手には首と胴体が離れ離れになったジェニーちゃんが。
「ぎゃーん!」
弟ゴジラからもぎとったジェニーちゃんを抱えて泣きました。すると、
「そんなことで泣かんとき!」
わたしがすごい剣幕で怒られました。
ゴジラたちの母親でした。
彼女は父の妹で父方の濃ゆいキャラだらけの親族を集めても、最強で導火線の短い人でした。恐い大人のひとりでした。
「こんなもん、こうしたら直るんや。」
わたしの手からむしり取り、
首が入っていたであろう胴体の穴にぎゅうぎゅうと頭を押し込んで
「ほら直った。」
ジェニーちゃんの首はあらぬ方向をむいて
わたしの元に戻ってきました。
子ども心に理不尽でした。
「ごめんなさい。」って親子して言ってくれなかったなと。そういう人だとは知ってたけど。


そんなジェニーちゃんはわたしが大きくなり始めたので、おもちゃ箱で暫くおやすみ期間をもちます。
そして次の持ち主へと受け継がれます。
妹です。
妹もなぜか例に違わぬリカちゃんではない
人形(何ちゃんだったんだろう?)を自分用に1体買ってもらい、ひとりで2体持って遊んでいました。
わたしはジェニーちゃんの髪の事情を妹に話しました。
「洗ってもいいけど、ドライヤーはダメやで。ジェニーはそれでこんな髪になってしまったからね。」と。
妹はわたしからのアドバイスがあったので、自分のお人形さんの髪をドライヤーの熱でグチャグチャに溶かす事もなくサラサラの髪を三つ編みにしたり、ポニーテールにしたり、綺麗に整えてたのしんでいました。
ジェニーちゃんはそんなお人形のお友達として一緒に楽しく使っていってもらえるものだとばかり思っていました。
ある日、わたしのジェニーちゃんは丸刈りかというほど短髪に髪を切られていました。
「えっ。」となったのですが、やったのが他ならぬ妹なのでなんとなく腑に落ちてしまったのです。

そしてひとつアドバイスし忘れたことも思いだしました。
「人形は髪のびてこないからね。」と。


大人になってわたしたち姉妹はあの短髪ジェニーちゃんを思い出し、「人形の髪の生え際って結構束だよね。」とトリビアを語り合い懐かしがっていたりします。

わたし達を育んでくれたおもちゃたちはずいぶんまえに役目を終えおもちゃの国に帰っているはずです。
わたしのジェニーちゃん、
「あれだけ苦労した人形はいないね。」
今でもそう思ってるよ。

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