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喫茶チャイティーヨ prologue

〇〇「おはようございます」

店のドアを開けて、挨拶。

飛鳥「…おはよ」

入って右手側、カウンター内の隅っこ。
いつもの定位置でオーナーの飛鳥さんが、いつも通り読んでいる本からチラリと視線をこちらに移して挨拶を返してくれる。それが済むとすぐ本に視線を戻すのもいつも通り。

さくら「おはよう、今日は早いね」

カウンターの奥、キッチンに繋がる出入り口に掛けられたカーテンからさくらさんが顔を出す。

〇〇「今日は午後休講だったんですけど、一雨来そうだったんで、先に移動してきました」
さくら「そうなんだ。 お昼はもう食べた?」
〇〇「じつはまだで…」
さくら「座って待ってて」

ニコリと微笑むと、さくらさんはキッチンへ引っ込む。可愛らしい人。そんな言葉がすごくしっくりくる。そんな人。

飛鳥「ニヤニヤ出てんぞ」
〇〇「おっと、失礼」

自分の口元を押さえ、カウンターに着席。

飛鳥「…何飲む?」

本を置いて飛鳥さんは立ち上がり、カウンター内を端から端へ移動する。
位置についたのはケトルやミルなどが設置された、珈琲をいれるためのスペース。

〇〇「深煎りをホットで」 
飛鳥「……」

飛鳥さんは腕組みして少し考えると、

飛鳥「じゃあウガンダで」
〇〇「お願いします」

冷凍庫から豆の入ったパウチ取り出すと、軽量して電動ミルへ放り込んでスイッチを入れる。
サーバーやドリッパーを準備して、粉末となった豆をセット。うちはハンドドリップする際は基本ペーパー。

珈琲をいれる飛鳥さんを見るのが好きだ。
見た目の良さ、なんていうと何様だという話だが、可愛いと美しいのいいとこ取りみたいな人なので、何してたって絵になるんだけど、珈琲を入れている飛鳥さんはどことなくウキウキしてるような気がすんだよね。

そんな飛鳥さんがいるってことで、時折足繁く通ってお近づきになろうとするお客もいるにはいるのだけど、大体は塩対応くらってめげて来なくなる。
そのおかげもあって、店の治安というか雰囲気は守れてる。お客商売としてそれでいいのかは知らんけども。

ケトルから湯が注がれ、店内に珈琲の香りが漂う。

飛鳥「よく飽きもせず見てられんね」
〇〇「飽きるどころか、見逃すと損した気分になりますよ」
飛鳥「あっそ…」

素っ気ない返事をしながら、ケトルを傾ける飛鳥さん。抽出された珈琲がサーバーへ落ちていく。
携帯をいじるわけでもなく、今日のことや、明日のことに思いを馳せるわけでもなく、ただ目の前の珈琲とバリスタに集中する。
マインドフルネス。
ただただ今に集中するということ。
贅沢で大好きな時間。

飛鳥「……」

抽出が終わり、カウンターの向こう側、壁の棚にずらりと並ぶカップとソーサーを眺めて飛鳥さんは再び腕組み。

飛鳥「これでいっか」

その中から深い青のカップとソーサーを手に取る。

飛鳥「はい、おまたせ」
〇〇「ありがとうございます」



出された珈琲の香りを楽しむのもそこそこに、一口頂く。単純に旨い。でもいいんだけど、そこにある要素を探るように意識を持っていく。

〇〇「…ボディがしっかりしてて、コクがあります。ん~個人的には甘味がキャラメル?焦がしたような」
飛鳥「わかるかも。酸に関しては焼きリンゴとか…」
〇〇「ほう、言われりゃそんな気も…」

定位置に戻りながら言う飛鳥さんに同意する。

味の感じ方は千差万別。
万人が旨いものなんてないし、万人に等しく同じ感想を出せるものもない。
そもそも感想なんて、人の語彙力や経験の引き出し次第でニュアンスなんていくらでも変わるし。
それでも僕らは感想を語り合う。味の違いを楽しむように、お互いの違いを楽しむために。

さくら「おまたせ〜」

キッチンのカーテンが開かれると、美味しい匂いが飛び込んでくる。

さくら「今日のカレーだよ〜」
〇〇「ありがとうございます!メッチャいい匂い!」
さくら「いつも初めて食べる勢いのリアクションしてくれるよね笑」
〇〇「毎回新鮮な気持ちで頂いてます!」
さくら「ありがとう笑」

さくらさんはいつも午前中からお店に来て、カレーを仕込んでる。定休前日の火曜日以外は毎日カレーを作って、一晩寝かせて翌日提供が基本。
今出してもらったカレーも昨日仕込んでくれた今日提供分のもの。時間がある時はこうやってまかないとして出してもらって、お客さんに説明できるようにしてる。

〇〇「いただきます!」
さくら「どうぞ〜」

キチンと挨拶して、スプーンを手に取る。
さくらさんはまだキッチンに引っ込まず、こちらが食べるのを待っている。理由は勿論。

〇〇「メッチャ美味しいです!」
さくら「よかった〜」

僕の感想を聞いて、微笑むさくらさん。
わざわざ感想待ちしてくれるトコなんかも、本当に可愛らしいなぁと思う。

さくら「じゃあ仕込みに戻るね」
〇〇「ありがとうございます!お願いします!」

軽くふりふりと手を振ってキッチンに戻っていくさくらさんを見送って、カレーを口に運ぶ。

さくらさんのカレー愛はかなりのもんだ。
普通のカレーが一番好きらしく、登場頻度は最も高いが、他にも日替わりで色んなカレーを作ってる。
以前飛鳥さんにお店を始めたきっかけを聞いた時、“道楽。”という簡潔な一言を頂いたんだけど、喫茶と言ったら咖喱だろ。と思ってさくらさんを誘ったって聞いたことある。飛鳥さんにとって、カレーと言えばさくらさんらしい。
夜はご実家のお蕎麦屋さんのお手伝いがあるので、お昼間にこっちに来て仕込みをしてくれている。ありがたい話である。ちなみにご実家のお蕎麦屋さんは何度か伺わせて頂いたが、大変美味しい。

飛鳥「食べたらどうする?」
〇〇「良ければ美波さんの仕込み、いくらか引き取ります」
飛鳥「いいよ、やってやりな」
〇〇「ありがとうございます」

さくらさんと入れ替わりでシフトインする美波さんは、基本キッチンをこなしながら咖喱以外の仕込みをやってくれる。とはいえ忙しくなると仕込みも大変なので、今わかる分だけでもやっておければ楽なはずだ。しかし本来の予定シフト外なので、オーナーの意向は伺っておかないとね。


〜〜〜〜〜〜

〇〇「今日はどうしますか?」
飛鳥「……」

飛鳥さんの定位置、珈琲をいれる時以外はほぼここにいる、通称飛鳥スペース。
お客さんから見えないカウンターの裏側は小さな本棚になってて、そこには珈琲に関する本と飛鳥さんの今読んでる本達。そして背中側、カップやソーサーが並ぶ隣には棚いっぱいにレコード。

飛鳥「…ビル・エヴァンス」
〇〇「はーい」

店を始めた理由が道楽と断言するくらいなので、店内は飛鳥さんの趣味に溢れている。レコードもほぼ全て飛鳥さんがせっせと集めたんだそうな。
今日はジャズの気分らしいので、僕は棚からビル・エヴァンスのワルツ・フォー・デビイを引っ張り出して、プレーヤーにセット。店内の天井に設置されたスピーカーから、まるで降るように音が鳴る。
良い音。というものがどんなものかなんて説明できやしないけど、少なくとも僕も飛鳥さんもこの店の音響は気に入っている。それでも飛鳥さんは飽き足らず、ちょくちょくと手を入れてるらしい。ちょっとした違いなんかわかるもんかな?っと思ったのだけど、プレーヤーの針を変えてみた日は僕も飛鳥さんもその日一日ニヤニヤしていたらしいので、やっぱ違いってのはあるらしい。

〇〇「じゃあオープンしまーす!」
飛鳥「よろしく〜」
さくら「お願いしま〜す」

店の入口そばにA看板を出して、ドアに掛けられた札をCloseからOpenへ。

???「もういける?」

聞き覚えのある声に振り返ると、見知った美人が立っている。

〇〇「奈々未さん!ご無沙汰してます!」
奈々未「珍しいね、平日のこの時間から〇〇がいるの」
〇〇「今日は午後休講だったんですよ。奈々未さん来る日に当たるとはラッキーでした!」
奈々未「ほんと、いつも変わんないね」
〇〇「芯が通ってるという褒め言葉として受け取っときます!」

店のドアを開けて、店内へ誘導。

〇〇「どうぞ!」
奈々未「ありがとう」
〇〇「飛鳥さーん!奈々未さんいらっしゃいましたよ!」
飛鳥「お、いらっしゃい」

奈々未さんの姿を確認すると、飛鳥さんは本を置いて立ち上がる。

飛鳥「いつものでいい?」
奈々未「うん、お願い」
〇〇「お好きなところどうぞ」

奈々未さんは飛鳥さんがこのお店を開く前、一緒の会社にいたらしい。長い付き合いらしく、年は少し離れているけどお互い名前で呼び合うし、タメ口で話してる。こんな美人達が一緒にいる会社って色々大変そうだ。

飛鳥「えーと…」

冷凍庫からいくつかの豆を取り出すと、飛鳥さんはそこからごく少量ずつ軽量。
一部の常連には好みに合わせたブレンドを用意するのが飛鳥さんのお決まりらしく、奈々未さんには奈々未さん用のブレンド配合率があるらしい。

〇〇「雨、今にも降り出しそうですね〜」
奈々未「せっかくの春なのに、薄暗くてやだね」
〇〇「ほんとっすよ。うんざりしちゃいます」

他愛のない話をしながら、奈々未さんの表情や雰囲気を確認する。…もしかして。

〇〇「髪切りました?」
奈々未「よくわかるね。切ったって言っても整えたくらいだけど」
〇〇「言ってくださいよ〜!というか見せに来てくださいよ!」
奈々未「いやいや、私は来てるけど〇〇が居ないんだって笑」
〇〇「来る日言っといてくれたら、講義すっ飛ばして来ますよ!」
奈々未「ちゃんと講義は受けなよ笑」
〇〇「いやー、奈々未さんと講義なら奈々未さん選びます」
奈々未「はいはい笑」

奈々未さんは大人の女性って感じがする。雰囲気もそうだけど、受け答えの仕方とか、こっちのノリの受け流し方というか。さらりとスルーしてくれるので、安心して調子に乗れる。

〇〇「あ、なんか軽食も食べます?」 
奈々未「そういえばお昼まだだった」 
〇〇「おっ、今日のさくらさんのカレー、オーソドックスなタイプです。美味しかったですよ」
奈々未「久しぶりに食べようかな。少なめって出来る?」
〇〇「もちろん」

オーダーを通すため、カウンターへ入る。

〇〇「飛鳥さん、後ろ通りまーす」
飛鳥「…」

飛鳥さんの後ろを通り過ぎようとしたら、こちらに視線をやることもなく足を蹴られる。

〇〇「イッタイ!」
飛鳥「恥ずかしいからあんまデレデレすんな…!」

奈々未さんに視線を送り、肩を竦める。
それを見て、楽しそうに笑ってくれたので、蹴られ損にはならずに済んだ。キッチンのカーテンをめくり、さくらさんへオーダーを通す。

〇〇「さくらさん、ちっちゃいカレーひとつ」
さくら「はーい。橋本さん?」
〇〇「です」
さくら「よかったね、しばらく会えてなかったんじゃない?」
〇〇「そうなんですよ。ラッキーでした」
さくら「〇〇、橋本さん好きだもんね笑」
〇〇「そうですね〜、さくらさんと同じくらい好きです」
さくら「ま〜た言ってる笑」
〇〇「いや、ほんとほんと」
さくら「もう〜笑」

小鍋にカレーを移しながら話に付き合ってくれるさくらさん。優しい人だから、つい甘えてしまうなぁと反省はするけど改善はしない。何故なら楽しいから。

〇〇「それじゃお願いしまーす」
さくら「はーい」

キッチンから店内に視線を戻すと、ちょうど飛鳥さんが奈々未さんへ珈琲を提供したところ。お二人の会話は気になるけど、野暮な奴にはなりたくないので。

〇〇「ちょっと店前、掃いて来ますね〜」

そう言いながら、飛鳥さんの後ろを通る。

飛鳥「ちょい待った」

そう言いながら僕の襟首を掴む飛鳥さん。

〇〇「…飛鳥さん、普通に声かけてもらったら普通に止まりますんでね」
飛鳥「はいはい。…バイト始めて5年目だけど、どう?」
〇〇「藪から棒な…。どうってのは?」
飛鳥「…労働環境とか、要望とか…」
橋本「気の早い話だけど、大学卒業後はどうすんの?」

もごもごと色々並べる飛鳥さんに奈々未さんが助け舟。

〇〇「…どうしましょうかね〜笑」
飛鳥「……」
橋本「飛鳥」
飛鳥「……どこも行く当てないんならうちに就職すれば」
〇〇「……いいんすか?」
奈々未「元々高校卒業のタイミングで言うか悩んでたみたいよ」
〇〇「もっと早く言ってくださいよ〜。大学入って2年目っすよ」
飛鳥「あ〜もう、うるさいうるさい」

珈琲を飲みながら、微笑む奈々未さん。

橋本「飛鳥も初めての事だから不安もあるんだよ。自分のお店とか、従業員のこととか。人の人生がかかることだからね。あんまりそういうの見せたがらないから、分かりづらいけど」
〇〇「もっと素直に言ってくれていいんですけどね」
橋本「まぁ、そういう所も可愛いじゃない?」
〇〇「確かに〜」
飛鳥「あ〜、もうわかったから掃除行け」

今度は僕の背中を押す飛鳥さん。

〇〇「カレーすぐ出てくると思いますんで、ゆっくりしてってくださいね!」
橋本「ありがとう笑」
飛鳥「はよ行け」

見送るように手を振る橋本さんと、シッシッとでも言い出しそうに手を振る飛鳥さん。
2人の仲は友達っていうよりも、やっぱり仲間というか、少し大人びた信頼の上に成り立っているような、僕にはまだ本当の意味での理解には及ばない間柄な気がする。あと、飛鳥さんが本当の意味で甘えられるのは僕が知る限りでは奈々未さんだけかもしれない。あくまでも僕の主観だけど。
そんな関係には到底敵わないが、少しは信頼されていると自負することにしよう。


〜〜〜〜〜〜

〇〇「降ってきちゃったか〜…」

外の掃除を済ませ、掃除道具を片付ける頃、とうとう雨が降り出した。
傘立てを出して、店内に戻ろうかと言う時、

???「こんにちは」

振り返ると2人の連れのお客さん。

〇〇「お、和ちゃんこんにちは。珍しい時間だね」
和「始業式だったので、午前で終わりでした。友達とお昼食べよっかって」

後ろに控える友達をチラリ視線をやる和ちゃん。

咲月「こんにちは」
〇〇「こんにちは。とりあえず入って、降ってきちゃったし」
和「ありがとうございます」

お店のドアを開けて2人をいれる。

〇〇「2名様でーす」

いつもの位置でコチラに視線送る飛鳥さんは、和ちゃんの姿を認めると、軽く会釈。
和ちゃんも飛鳥さんに会釈を返す。

〇〇「テーブルどうぞ」
和「ありがとうございます」

2名がけのテーブル席に2人を案内。

〇〇「決まったら呼んでね」 
和「はーい」

メニューを2人で覗き込む姿は、なんとも微笑ましい。近くにいると気になるだろうから、カウンターの方へ下がる。

奈々未「結構来てる子達?」

カレーを食べ終えた奈々未さんが、声をかけてくる。

〇〇「ええ、前髪分けてる方の子が常連ですね。今日はお友達連れてきてくれて。それこそもうじき1年くらいになるんじゃないですかね」
奈々未「西高だよね、あの制服」
〇〇「ですね。お嬢様高です。めっちゃいい子ですよ」
奈々未「変なちょっかいかけると親御さんが怒鳴り込んでくるんじゃない?笑」
〇〇「まるで僕が誰彼構わずちょっかいかけてるみたいじゃないですか」
奈々未「あれ、自覚がない?笑」
〇〇「ありませんね、残念ながら笑」

そうやって笑いながら、和ちゃんのテーブルをチラチラ確認する。フッと顔をあげた和ちゃんと目があったので、オーダーを取りに行く。

〇〇「はーい、お伺いします」

テーブル横にしゃがみこんで、伝票を構える。

和「カレーを2つと、ブレンド1つ」
咲月「あの…、実は珈琲苦手で…」
〇〇「全然大丈夫。紅茶もあるし、フルーツ好きならミックスジュースとかもオススメですよ」
咲月「あっ…じゃあそれで」 

ホッとしたような笑顔を浮かべるお友達。
好みはそれぞれなので、それによって対応を変えたりなんてのは客商売としては最低である。

〇〇「カレー2つに、ブレンドとミックスジュースですね。ドリンクは食後にします?」
和「じゃあ食後で」
咲月「私も」
〇〇「はーい」

カウンターへ振り返ると飛鳥ちゃんがキッチン前へ移動中。

〇〇「カレー2つとブレンド、ミックスジュースです。ドリンク食後です」
飛鳥「は〜い」

そのままキッチンを覗き込み、

飛鳥「えんちゃん、カレー2つ」
さくら「はーい」

オーダーが通ったのを確認してお冷を注ぎ、カトラリーセットを持ってテーブルへ戻る。

〇〇「お冷とカトラリー置いときますね」
和「ありがとうございます」
〇〇「お友達はクラスメイトの?」
咲月「はい!あ、菅原咲月っていいます」
〇〇「あぁ、これはご丁寧に。△△〇〇っていいます。お店の人とか、常連の人は〇〇って呼ぶので、そっちの方が通りがいいです笑」
咲月「笑 じゃあ〇〇さんって呼びますね笑」
〇〇「ありがとうございます笑」
咲月「和がよくこのお店の話してるので、いつか来たいなって思ってました」
〇〇「おぉ。ありがとうございます」
和「いえいえ、どういたしまして笑 クラスは一緒なんですけど、部活が違うので中々一緒に来る機会がなくって…」
〇〇「なるほど…。うち月に1、2回夜営業もやってるからそういう時なら部活後でも来れるかな?」
和「そうなんですね!」
〇〇「うん、高校生は21時半にはラストオーダーで、22時には帰りなさいって言うけど笑 それでも良ければ」
咲月「嬉しい〜」
和「ね〜」

カウンターの方で椅子を引く音が聞こえたので、2人に手で合図をして席を離れる。

橋本「話しててよかったのに笑」
〇〇「お見送りぐらいさせてくださいよ笑」

お会計はすでに済ませたらしく、飛鳥さんもカウンターから出てくる。

飛鳥「傘、持ってんの?」
橋本「すぐ近くだし」
〇〇「たくさんあるんで、置き傘持ってってくださいよ」
橋本「…断れないやつ?」
〇〇「よくご存知で」

入口を開けて、傘立てから古びたビニール傘を渡す。

〇〇「ご覧の通りのクオリティなんで遠慮なく」
橋本「…じゃあ遠慮なく笑」

キッチンからさくらさんも顔を出す。

さくら「橋本さん、ありがとうございました」
橋本「ご馳走様。美味しかったよ」
さくら「ありがとうございます笑」
橋本「2人もありがとう」
飛鳥「お疲れ」
〇〇「足元お気をつけて」
橋本「うん
〇〇「…奈々未さん」

後ろ手に店のドアを閉じて、店前で奈々未さんに改めてお願いする。

〇〇「お忙しいとは思うんですけど、ちょくちょく顔見せに来てくださいね。やっぱり奈々未さん来ると、飛鳥さん嬉しそうなんで…」
奈々未「…やっぱり〇〇はそっちのが似合ってると思うよ笑 軽いノリも別に嫌いじゃないけど」
〇〇「…僕はビビリなんで、誰にでもこんな対応はできませんよ笑 真剣に誰かと向き合うなんてガラじゃないんで笑」
奈々未「そんなとこまでオーナーに似なくていいよ笑」
〇〇「笑 またお待ちしてます」

軽く頭を下げると、奈々未さんは雨の中を歩き出す。しばらくその背を見送ってから店に戻る。
飛鳥さんが食器をバッシングし終わっていたので、僕は空いた席を拭き上げる。

さくら「カレー上がるよ〜」
〇〇「は〜い」

キッチンからさくらさんがカレーを2つ持って出てくる。カウンター越しに受け取って、テーブル席へ。

〇〇「おまたせしました〜。カレーです」
和・咲月「ありがとうございま〜す」
〇〇「ごゆっくりどうぞ。ドリンク、声かけてね」
和「はーい」

カウンターへ戻ると、出入り口のドアが開く。
入ってきたのは顔見知り。見知った制服を着て、女子は基本リボンタイだけど、その子はネクタイをしてる。その顔を見ると、どうしても開口一番、軽口を叩かなくてはいけない気分になる。

〇〇「珍しいね、不良娘がこんな明るい時間から」
アルノ「…それ、ずっとやる気ですか?」
〇〇「飽きるまでやる」
アルノ「…大人げない」
〇〇「無くて結構。カウンターどうぞ」
アルノ「はぁ…。こんにちは…」
飛鳥「なんかごめんね」
アルノ「あぁ、いえ。この人が意地悪いだけで、飛鳥さんが謝ることじゃないです」
〇〇「そうです。俺の意地が悪いだけなんで、飛鳥さんが謝ることじゃないです」
アルノ「…自覚はあるんですね」
〇〇「もちろん。ホット?アイス?」
アルノ「…アイスで」
〇〇「浅煎りのアイスで」

オーダーを通すと、飛鳥さんが立ち上がる。

飛鳥「…ホント後輩に当たり強いね」
〇〇「後輩にじゃなくて、この子に。です」

台下冷蔵庫からコールドブリューの珈琲を取り出す飛鳥さんに、氷の入ったグラスを渡す。

〇〇「…いい加減、こんな先輩に構うのやめりゃいいのに」
飛鳥「……」

グラスに注がれた珈琲と、ガムシロップを2つ手に、カウンターへ。

〇〇「どうぞ」
アルノ「…ありがとうございます」
〇〇「…やんないよ」
アルノ「…まだ何も言ってないです」

不満気な顔を浮かべる後輩。
何度言われても変わらないので、先に言っておく。

〇〇「…ごゆっくり」

カウンターの席から離れると、こちらを和ちゃんが伺ってるのが見えた。

〇〇「どうかした?」 
和「あ、いえ、東高の制服ですよね。カウンターに座ってる子」
〇〇「そうだよ。僕の後輩」
咲月「〇〇さん、東高出身なんですね」
〇〇「うん、僕が3年のときあの子が1年で入ってきて、1年間軽音部で一緒に活動してた」
和「〇〇さん、軽音部だったんですか?」
〇〇「そうそう、不良だったから」
咲月「え、意外です」
〇〇「でしょ笑 でもピアスとかバチバチに開けてたよ笑」
和「でも今開いてますか?」

じっとこちらの耳元に視線を送る和ちゃん。

〇〇「もう1年以上着けてないからね。ほぼ埋まってわかんないかも。誰しも若気の至りってのはあるよね笑」
和「今も若いでしょ笑」
〇〇「確かに笑 ドリンク、用意しようか」
和「あっ、はい、お願いします」

お皿が空になったのを確認して回収。

〇〇「飛鳥さん、ドリンクお願いします」
飛鳥「はーい」

お皿をキッチンのシンクへ運んで、お湯を張る。

さくら「…アルノちゃん、来てるの?」
〇〇「…よくわかりますね」
さくら「…〇〇の顔見たらわかるよ笑」
〇〇「そんな顔に出てます?」
さくら「出てます」
〇〇「…難しいっす、人間関係」
さくら「…そうだね。けど、避けては通れない道だと思うな」
〇〇「おっとな〜」
さくら「笑」

中学生の終わり頃、両親が離婚した。
まぁ今のご時世、そう珍しいことではないと思う。 
それなりにありきたりな不幸。
別にそれくらいの感想。理由も別に聞かなかった。
父の影響で音楽が好きだった。小学生の頃からギターを教えてもらって、高校に入る頃には父を真似てピアスを開けた。校則違反とギャーギャー言われたけど、授業は真面目に受けたし、成績も悪くなかった。耳に穴開けたら馬鹿になったり、不真面目になったりなんてアホらしい。所詮ファッションはファッションにすぎないんだから。
軽音部に入ってバンドを組んだりした。最後の1年は歌のうまい後輩が来て、それなりにカタチになったな。なんて思ったりした。
そんな3年間の最後、たまたま父親と楽器屋で会った。そこで初めて、離婚の理由が父親の浮気だと知った。知りたくもないことだった。頭を思い切り殴られたような衝撃で、その事以外なにも覚えていない。逃げるようにその場を去って、帰った瞬間ピアスは全部外して捨てた。ギターもぶっ壊してやろうかと思ったけど、出来なかった。

素直に嫌悪した。
勝手に抱いた憧れを裏切られた気がした。
自分にもそんな血が流れてるんだと思うと、ゾッとした。 

〇〇「お皿、お願いします」
さくら「はーい」  

キッチンを出ると、ちょうど飛鳥さんがドリンクを作り終えた所。

〇〇「持っていきます」

カウンターから出てドリンクを受け取り、テーブルへ。

〇〇「お待たせしました」
和・咲月「ありがとうございます!」
〇〇「ゆっくりしてってね」

カウンターへ戻ってくると、アルノが立ち上がる。

アルノ「帰ります」
〇〇「…そう」
アルノ「お会計、お願いします」
〇〇「…いいよ、奢る」

なにか言いたげな顔をするアルノ。
けど、多分、それを飲み込んで、

アルノ「ご馳走様です」
〇〇「うん…」

店のドアを開けて、アルノに続いて自分も店の外へ。

〇〇「…もうさ、僕みたいな奴に構うのやめときな」
アルノ「…そんなの、私が決めることですよね」
〇〇「そうだけどさ、なんの得もないよ」
アルノ「得があるとかないとか関係ないです」
〇〇「お互い頑固だね…」
アルノ「まったくです」  
〇〇「…珈琲飲みに来る分には歓迎するよ。バンドの勧誘は歓迎しないけど」
アルノ「…また来ます」

アルノは鞄から折り畳み傘を取り出して開くと、雨の中を歩き出す。

人によく思われたいなと思う。
嫌われるのが怖いから。
人に好かれるのは怖いなと思う。
裏切ってしまうかもしれないから。
中途半端な距離感でふわふわとしていたい。
近すぎると見たくないものも、
見せたくないものも、
はっきり見えてしまいそうだから。

店内に戻ると、飛鳥さんが視線を送ってくる。
面倒見のいい人だから、心配してくれてる。
それに気づかないふりをしてカウンターをバッシング。

〇〇「後輩に慕われすぎるのも問題ですね〜」
飛鳥「……」

飛鳥さんは何も言わない。
空いたグラスをキッチンに下げるため、カウンター    へ入って飛鳥さんの後ろを通り抜けようとした時、服の裾を遠慮がちに掴まれる。

飛鳥「頼りない?」

罪悪感。

〇〇「そんなわけないでしょ。僕が甘えるのにビビってるだけです。飛鳥さんは何も悪くないです」
飛鳥「…あっそ」

納得したわけじゃないだろうけど、それでもこれ以上は押し問答になるって察して、飛鳥さんは手を離す。沢山お世話になってる、これ以上は申し訳ないと思う。もしくは、これ以上この人を想う時間が増えることは危ないって思う。

グラスをキッチンに運んで、ホールへ戻ると和ちゃんと目が合う。

〇〇「はーい」
和「ご馳走様でした」
〇〇「ありがとうございます、レジどうぞ」

精算を終え、入口のドアを開く。

〇〇「お、雨やんだ」
和「よかった〜」
咲月「帰りは傘ささずに済むね」
〇〇「和ちゃんが初めてきた日もこんな感じだったね」
和「ですね笑」

店の軒先で雨宿りしていた和ちゃんに声をかけたのが最初。まだ開店前だったけど、飛鳥さんがいいよって言ってくれたのでお店に入ってもらった。
珈琲とケーキを奢って、少しお話をして。
それから彼女は律儀に今もこの店に通ってくれている。

和「あの日が雨で良かったです。じゃなきゃ此処のこと、ずっと知らないままだったかもしれないんで」
〇〇「そうだね、あの日が晴れだったら和ちゃんとは出会ってなかったかもしれないもんね。そうなったら、今日菅原さんとも会えてなかったかもしんないし笑」
菅原「そうですね笑」

少しずつ日の差し始めた道へ2人は歩きだす。

和「また来ます」
〇〇「はい、お待ちしてます」

ニコニコとそう言ってくれるから、
僕もニコニコとそう返せる。
背を見送り、店の入口へ向き直る。

無邪気さに、明るさに、救われる気になる。
そんな風に、後輩にも過ごして欲しい。
でもそんな風に過ごせない原因に、自分がいる。
初めから関わったりするべきじゃなかったのかもしれない。なんて、馬鹿馬鹿しい事を考えないこともない。けど、未来を予知して関わりを避けるなんて出来るわけがない。

今、ここにいることが幸せだとはっきり言える。昔、あそこにいたことが間違いだったとも思わない。けど今、昔を想うと暗い闇が全身を覆うような恐怖がある。もし仮に今ギターを担いだらどうなるだろう、そうやってステージに上がろうもんなら、どうなってしまうだろう。冷汗がじわりと滲む。

深く深呼吸して、改めて店の外観を眺める。

高校生になった時、バイト先を探して喫茶、カフェを巡った。どうせバイトするなら元々好きな業態でしようと思ったから。

そんな時この店と、飛鳥さんに出会った。その時もこんなふうに店の外観を眺めてて。たまたま店にやってきた飛鳥さんに声かけてもらって。
その時の僕は真新しい制服を着てるくせに、ピアスをボコボコ開けてるような、どう見てもヤバいやつだったのに。飛鳥さんは人手が足りなくてオープン出来ないから、働いてみる?なんて聞いてくれた。
感謝してもしきれない。
此処にいなかったら、あの日の衝撃に打ちのめされたままだったかもしれない。嫌悪に埋め尽くされて、地べたに這いずったままだったかもしれない。

???「〇〇〜」

通りからこちらに向かってくる人に声をかけられる。

〇〇「美波さん!今日早いですね!」

大きな紙袋を抱えて歩く背の高い女性。
紙袋からは長いバゲットが顔を出している。

〇〇「持ちますよ」

“ベーカリーやました”と書かれた紙袋を受け取る。
美波さんのお知り合いがやってるパン屋さんで、うちのお店で出すパンはいつもここで仕入れてる。
美波さんは昼はデザインの会社で働いてて、人脈も広い。うちの制服も飛鳥さんと美波さんが、美波さんのお知り合いの方が始めたアパレルと共同でデザインしたらしい。

美波「ありがと。仕事が早く片付いたから、さくのカレー食べようかなって」
〇〇「いいですね、僕も今日は午後休講で」
美波「だから〇〇も早いんだ」
〇〇「少しだけ仕込みもしておきました」
美波「助かる〜」

ドアを開けて先に美波さんを通す。
チラリとお店の看板に目をやる。
大好きな人達がいる、大好きな場所。
意味は“隠者の頭を持つ仏塔”らしいけど、そこは別に関係なくて、響きが良かったから。というのが飛鳥さんの言い分。

乃木駅から徒歩6分ほど。
カウンター5席、2名がけテーブル席2つ、
4名がけテーブル席1つ。
毎週水曜定休日。

喫茶チャイティーヨ



END…



・乃木駅
近隣の主要ハブとも言える架空の駅。
ここから東に乃木東高等学校、
西に乃木西女子高等学校、
北に乃木北大学、
南に乃木南美術大学と学校に囲まれており、
放課後は帰りの学生たちで賑わう。
喫茶チャイティーヨはこの駅から6分ほど歩いた路地にある隠れ家的な喫茶。






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ライナーノーツ
今回は喫茶もの。
1つの場所を舞台に群像劇を描くグランド・ホテル形式を書きたいけど、シンプルに登場人物増えると大変…。文量ばっか増えて中身が薄い…。

元々はずっと昔に妄想した喫茶ものがベース。
その頃は学校の先輩にまいやん、ななみん。
カフェで働く同僚になぁちゃん。
お客さんに飛鳥ちゃん、みなみちゃんという配役だったと思います。懐かしいね。

次回はちょっとした欠片を挟んでセラミュ絡み。
まだ見てない人は千穐楽配信を見ましょう。
舞台には魔法がある。
ライブとも、ドラマとも違う魔法が。
よろしくお願いします。

次のお話 


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