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After4.55 moonlight

そこは、ずっと憧れていた場所だった。
小学生の頃から、ずっと挑戦してきた。
挑んでは敗れて、浮いては沈んだ。

高校2年。
進路を考える時期が来ていた。
これで最後。
そんな気持ちで参加したオーディション。
99%受からないと思ってた。
それでも残りの1%に夢を見た。

夢を叶えることに必死だった。
その分、叶った夢は愛おしくて。
けどそれは始まりに過ぎなくて。

誰からも愛される、可愛くて笑顔の似合うアイドルになろうって奮闘した。
与えられるチャンスは一つ残らず逃さないって寝る間も惜しんで向き合った。

けど、そう簡単な世界じゃなかった。
また、挑んでは敗れた。
その度、心が折れた。

苦しくて、悔しくて、悲しかった。
憎しみや恥じらい。
色んな感情が湧いて出た。

それでも、それを誰かに知られたくなかった。
そんなマイナスな感情は見せたくなかった。
それは私の“理想のアイドル”ではなかったから。

けれど時々、そんな仮面を被って、心にもないことを話す自分に自己嫌悪する。
そんな仮面を被っている私に、向けられる言葉に苦しむ時もある。

そういう日々の中、ドラマの撮影と体調不良が重なって、事務所から休養を提案された。

私はそれを素直に受け入れることが出来なかった。
休んでる場合じゃない。
グループの一員として、皆が頑張ってる中一人休むなんて。それくらいなら、ここにいたってしょうがない。休むくらいなら、引退すればいい。
そう思ってた。
何時だって笑顔で。
それが“理想のアイドル”だから。
そう思ってた。

〜〜〜〜〜〜

〇〇「山さん」
山下「…お疲れ」

去年から運営に仲間入りした〇〇。
4期生と同じタイミングでやって来た彼は、多くの時間を4期生と過ごしてる。
けど、私達3期生を尊敬する先輩と慕ってくる。

〇〇「…色々聞きました」
山下「…そっか」

後輩みたいな存在に、こんな姿は見せたくなかった。

〇〇「…お休みしませんか」
山下「…無理だよ」

譲れない。
それを譲ってしまうことは、私の中の私を否定することだから。

山下「休むくらいなら、やめるよ」
〇〇「……」

〇〇は俯いて、強く拳を握りしめる。
辛いな。
そんな顔、させたいわけじゃないんだ。
私は、私を見てくれる皆を笑顔にしたいんだ。
そのためにも、弱い所はみせるべきじゃないんだ。

〇〇「…ずるいですよ、そんなの」

意を決したように、〇〇は顔を上げる。
ほとんど泣きそうな顔。

〇〇「まだここに来て半年くらいの俺にも、あなたの覚悟の一端くらいはわかります」

珍しいなって思った。
こんな風に感情的になるんだって。

〇〇「あなたが自分の中にある理想のアイドルを持ってて、それを体現するために努力を惜しまない人だって、俺にもわかります。
そんなあなたを、俺はめちゃくちゃ尊敬してます。
俺がなんとなく持っていたアイドルってもののイメージをぶっ壊して、新しくこれがアイドルなんだって教えてくれたのはあなただったから」

〇〇はアイドルを知らないままこの業界に来たって聞いた。そんな人に、そう言ってもらえることは嬉しい。
だからこそ、頑張らないといけない。
期待に答えていかなきゃいけない。

山下「ありがとう。私、頑張るから」
〇〇「…違います、そうじゃなくて」

首をふる〇〇。

〇〇「あなたは凄いから、苦しいのも悲しいのも、人には見せないから。俺達は気付けないんですよ。あなたがどれだけ頑張ってるのか、苦しんでるのか、悩んでるのか」

ポトリと床に涙が落ちた。

〇〇「だから今、この瞬間だって、あなたの事が大好きな人達は、あなたを想って、幸せな気分でいるんです」

わかる。わかるよ。わかってるよ。

山下「だから! それを守りたいから! 頑張るって言ってるんじゃん!」
〇〇「そんなの守るって言いませんよ! 
今無理して頑張って、いつも通り振る舞って、その間はみんな幸せかもしれません。けどそのツケは絶対回ってきて、あなたは何処かでどうしようもない状態になって、不本意に活動を終えてしまうかもしれないんですよ!」
山下「私は、私を好きだって言ってくれる人達を、幸せな気持ちにしてあげたい!応援してくれる人達の期待に答えたい!それだけなの!」
〇〇「だったらやめるなんて言わないでくださいよ!」

こんな風に自分をむき出したのは、どれくらい振りだろう。こんな風に人と向き合うのも、どれくらい振りだろう。今にして思えば、こんな大声出す〇〇を見るなんて、これが最初で最後だったかもしれない。そのくらい、必死だった。

〇〇「急にあなたがいなくなった時、今幸せを感じていたみんなは後悔するんですよ!? 俺達が能天気に推しを見て幸せだって思ってた時間も、きっと推しは悩んで、もがいて、苦しんでたんだって!
そんなことにも気づかず、なにやってたんだって!
そうなったらもう、幸せだった時間だって、後悔にしかならないんですよ!もっとああするべきだったこうするべきだったって!楽しかったはずの時間も、嬉しかった体験も、全部全部そうなっちゃうんですよ!」

涙を隠すことも、
拭うこともせず、
ただ叫ぶみたいに。

〇〇「そんな悲しいことないですよ…。あなたのことが大好きな人達に、そんな想いさせないでくださいよ…」
山下「……」

いつの間にか、理想のアイドルでいることが、自分へのルールになってた。

なんのためにアイドルになった?
もちろん、アイドルが好きだから。

なんのためにアイドルを続けてる?
もちろん、応援してくれるファンのため。

なんのために理想のアイドルを目指してる?
もちろん…、もちろん……。

山下「…待っててくれるのかな?」
〇〇「もちろん」
山下「…みんな頑張ってるのに私だけいいのかな?」
〇〇「お互い様です」
山下「…こんなとこ見せちゃってがっかりした?」
〇〇「…俺が素敵だなって思ったのは、山さんが理想のアイドルだからじゃなくて、理想のアイドルを体現する人だからです。あなたがあなたである限り、俺はあなたを応援しますし、尊敬しますよ…」
山下「……そっか」

〜〜〜〜〜〜

〇〇「やまさーん、着きましたよー」

その声に、自分が眠っていたことに気づく。

賀喜「珍しいですね」
山下「…はしゃぎすぎたかも」

車の後部座席、隣のかっきーの笑顔。
運転席の〇〇の笑顔。

山下「…懐かしい夢見ちゃった」
賀喜「子供の頃とかですか?」

車を降りる準備をしながら、呟いた言葉にかっきーが反応する。

山下「いや、そこまで昔じゃないんだけど笑」

チラリとバックミラーに映る〇〇に目を向ける。

山下「…〇〇が泣きながら私に怒った日の夢」
〇〇「…なんとなくあれかって心当たりあるけど、凄い勘違いを生みそうな言い方」
賀喜「…仲良しだなぁ」

いじけた様に唇を尖らせるかっきー。

可愛い後輩。
私を推してくれて、
憧れてくれて、
目指してくれて、
隣に並んでくれた子。

自分の事が大嫌いになりそうな時、
どれだけこの子に救われただろう。
自分の嫌なところばかり目につく時も、自分の不器用さをを卑下してばかりな時も、変わらず好きでいてくれる人の存在の大きさを思い知る。

どんな時でも厳しい言葉をかけてくる人はいる。
どんな時でも敵意を向けて来る人はいる。
けど、それと同じくらい、もしくはそれ以上に、
どんな時でも優しい言葉をかけてくる人がいる。
どんな時でも味方でいてくれる人がいる。

そんな人達に真摯に向き合っていたい。
そんな人達に一つ一つ恩返しをしていきたい。
そんなアイドル人生だった。

山下「…かわいいね、かっきーは」
賀喜「なんですか急に…。〇〇さんみたい」
山下「それはちょっと心外かなぁ笑」
〇〇「…失礼だなぁ笑」

車を降りると、〇〇がすぐ近くの建物を指差す。

〇〇「今日のお宿ですよ。まずお風呂入ってください。そのあと浴衣でお宿探検シーン撮影ですからね」
山下・賀喜「はーい」


〜〜〜〜〜〜

今日泊まっているのは古民家を改装した宿。
1日貸し切りで泊まっているのは私達だけ。
母屋と離れがあって、私とかっきーは離れに寝泊まりする。離れには小浴場、母屋には大浴場と設備も随分充実してる。小浴場って名前の割には複数人で入れる規模。大浴場はさらに大きいんだろうな。

賀喜「こんな風に一緒にお風呂なんて、なかなかないですよね」
山下「そうだね〜。ホテルじゃそう大浴場なんていかないしね」

広い浴槽に並んで浸かりながら、私達は他愛のない話をする。

山下「なんかホントにお仕事って言うより、旅行の気分」
賀喜「ホントに。仕事ってこと忘れちゃいそうです笑」

ニコニコと笑うかっきーは、確かにキラキラって言葉がよく似合う。今の私も、〇〇みたいな目をしてるのかな?

山下「…かっきー、自分から〇〇誘うなんて、勇気出したね」
賀喜「……不安だったんです。支えがないと、今日が楽しいはずなのに、さみしくなっちゃうんじゃないかって」
山下「…」
賀喜「〇〇さんが言ってました。美月さんが今を見てほしいって言ってたって。それが出来るか不安でした。どうしても先を、美月さんが居なくなった後のことを考えてしまいそうで。
けど、美月さんが卒業を決めたからには任せて大丈夫だって。そう思える私達でいないとって。…覚悟は決めました」
山下「…そっか、心強いね」

優しい子だから、きっと色んなことを考えたんだと思う。たくさん悩んだと思う。淋しい思いもさせたと思う。
それでも、こう言ってくれる。
そんな後輩を持てたことを、誇らしく思う。
そんな後輩に好かれたことを、誇らしく思う。

賀喜「美月さんみたいにはなれないけど、美月さんが守ってきた、愛してきた乃木坂は、私達で守っていきます。美月さんに後悔させないためにも」
山下「本当にかっきーはキラキラ光るアイドルだね」
賀喜「ありがとうございます。……大好きです。今までも、これからも、ずっと大好きです」
山下「ありがとう。……私も最後まで走り抜けるね。かっきーにも負けないくらい、キラキラ光ってみせるよ」
賀喜「はい。焼き付けます。最後の最後まで、見届けます」

〜〜〜〜〜〜

山下「はい、お宿探検は最後は台所でーす」
賀喜「すごい、なんかアニメとかに出てきそうな昔の台所って感じですね」
山下「羽釜だ。始めてみたかも」

浴衣に着替えて、お宿探検を収録中。最後の目的地、台所に到着。
そこでは予想通り、〇〇を中心にスタッフ陣による、今日の皆の夕飯調理が繰り広げられている。

山下「今日はスタッフさん達が夕飯作りをしてくれてまーす」
賀喜「ありがとうございます!」

羽釜から漏れる湯気、囲炉裏に立てられた魚、竃から溢れる熱気。

山下「全体的に使いやすいように手が入れられてるお宿なんですけど、台所は敢えて手を加えすぎないようにしてるんだって」
賀喜「確かに、雰囲気があっていいですね!」
山下「もうすぐ出来るみたいだから、私達も食器を準備したり、お手伝いしよっか」
賀喜「はい!」

カメラが止まり、私達も食器の準備や配膳を手伝う。

山下「今日のご飯はなーに」
〇〇「羽釜炊きのご飯、イワナの囲炉裏焼き、豚汁、大根と白菜の浅漬ですね」
賀喜「〇〇さんの豚汁久しぶり〜!」
山下「確かに〜!」
〇〇「なかなかこういう機会がないと、お出し出来ないんでね」
賀喜「МVの撮影以来〜」
山下「懐かしの献立に、古民家で和食。これもエモいっていうのかな」
賀喜「なんかエモいって言葉でエモさが損なわれてるような笑」
山下「確かに〜笑」
〇〇「はいはい、盛り付けていくのでどんどん配膳してくださいね笑」
山下・賀喜「は〜い」

お盆にご飯とおかずが揃ったら、お膳へと運んでいく。1人1人にお膳がある感じも新鮮で楽しい。

〇〇「いや〜羽釜のご飯上手に炊けて嬉しい!」
山下「なんなら今日1喜んでる笑」

全員分の料理が揃った所で、再びカメラが回る。

山下「お料理が揃いました〜」
賀喜「やった〜」 
山下「それじゃあかっきー、挨拶よろしく!」
賀喜「はーい。それでは皆さん、手を合わせてください」

みんな揃って、両の手を合わせる。

賀喜「いただきます!」
一同「いただきます!」


〜〜〜〜〜〜

ワイワイと夕飯を食べて、もう一度お風呂に入って、布団を敷いて潜り込むと、かっきーはあっという間に眠りについた。
私はと言うと、宿に到着する前に居眠りしてしまったせいか、少しばかり寝付けずにいた。
薄く差し込む月明かりが目についたので、静かに部屋を抜け出して母屋と離れを繋ぐ渡り廊下へ。
渡り廊下はガラス戸になっていて、よく月が見える。そんな月を見ながら廊下を進んでいくと、母屋のすぐ傍のガラス戸が開いていて、涼しい風が吹き飛んでいる。
そして、

山下「〇〇…」
〇〇「あら…どうしました?」

そこに座り込んで、〇〇がお酒を飲んでいた。

山下「そっちこそどうしたの、ひとり酒?」
〇〇「月見酒です。最近マイブームでして笑」

ちょっと照れくさそうに言う〇〇。

山下「へぇ、何飲んでんの?」
〇〇「…ちょっと恥ずかしいんですけど」

傍らのお盆に乗せていた酒瓶をこちらに見せる。
白いラベルに山と、三日月。

山下「美月…」

チラリと視線を〇〇に向けると、ますます照れくさそうに月を見上げてる。

山下「好きすぎでしょ笑」
〇〇「違います〜。言葉遊びが好きなんです〜」

隣に並べてある酒瓶をこちらに向ける。

山下「遥香ね笑」
〇〇「並べたかったんです…。個人的に」
山下「誘ってくれれば良いのに」
〇〇「いや、普通に恥ずかしいでしょ」

ロマンチストというか、なんというか。

山下「しょうがないな〜、付き合ってあげるか」
〇〇「大丈夫です?お疲れじゃないですか?」
山下「車で居眠りしちゃったからね。ちょっと寝付けないんだ」
〇〇「…そうでしたか」

〇〇の隣に座る。

山下「私も飲もうかな」
〇〇「お猪口、取ってきますよ」
山下「わざわざいいよ」

私が手を差し出すと、察したようで。

〇〇「う〜ん…」
山下「いいじゃん、今日は間接キスくらい」
〇〇「…なーんでわざわざ言葉にしちゃうかなぁ」

差し出されたお猪口を受け取って飲む。

美月「お、飲みやすい。流石私」
〇〇「笑」

飲み干したお猪口に、徳利からお酒を注ぐ。

山下「はい、どーぞ」
〇〇「…ありがとうございます」
山下「それで、何で月見がマイブーム?」
〇〇「…セラミュきっかけですね」
山下「そっか、もう直前か」
〇〇「ええ。おかげでスケジュール調整的に楽なもんで、有給消化が捗ります」
山下「なるほどね。月を見るたびそれを考えてるわけだ」
〇〇「……」

急に黙る〇〇。

山下「…なに、どうしたの?」
〇〇「……月を見るたびそれを考えると思ってたんですよね」
山下「……?」

〇〇は月から私へ視線を移す。

〇〇「……」
山下「……」

もしかしたら、そういうことなのかな。
そう思っていいのかな。

山下「……好きすぎでしょ」
〇〇「……ね。引いちゃいますよね」

いつもみたいに、否定してくれればいいのに。
いつもみたいに、ひねくれてくれればいいのに。

山下「……今日は素直じゃん」
〇〇「……ね。どうしちゃったんでしょうね」

今日の〇〇は確かにちょっと張り切り気味で。
どこかふわふわしてる。そっちがそんなだと、こっちも変な感じになっちゃうんだけど。

賀喜「〇〇さん、美月さん」

離れ側の廊下から、かっきーが歩いてくる。

賀喜「……今日ぐらい良くないですか?」

その言葉の意味が一瞬わからなかった。

賀喜「強がらなくても、いいんじゃないですか」

そんなつもりはなかった。

賀喜「2人共優しいから。私にも、お互いにも、そういうところ見せないようにしてるから…」

そんなつもりはなかったはずだった。

賀喜「私に気を使わなくていいんです。お互いへの気遣いだって、今はいいじゃないですか…」

けど。

賀喜「…悲しい時は悲しいでいいんです」

かっきーは目の前まで来ると、私達をまとめて抱きしめる。

賀喜「2人のお陰で、私も毎日前にちゃんと進めてるから。2人にもごまかさないで、ちゃんと今の悲しいと向き合って、越えていって欲しいんです…。
あの時ちゃんと言葉にしてたらって、後悔しないで欲しいから…」

すぐ耳元で聞こえるかっきーの声は、震えてて、見えないけど、きっと泣いてる。

泣かせたくなんかないのに。
笑顔で居てほしいのに。
出来るなら、2人にだけは。
理想のアイドル山下美月のまま、
卒業していきたいのに。

〇〇「遥香」
賀喜「…なに?」
〇〇「ありがとう」
賀喜「…どういたしまして」

するりと離れたかっきーは顔は涙で濡れていたけど、本当に素敵な笑顔で。
あぁ、2人はきっと何度もこうやって越えてきたんだなって。一緒に泣いて、悩んで、一緒に越えてきたんだなって。わかる。
私はそんな勇気がなかなか持てなくて。
長い間、見せないようにしてきた分、ようやく少しずつ見せれた弱さを、2人には見せられなかった。

賀喜「ゆっくり話してください。たくさん話してください」

そう言ってかっきーは離れへと戻っていく。
その背中を見送るしか出来ない。

今までだったら。

私は立ち上がって走りだす。

山下「かっきー!」

こちらを振り返ったかっきーを思い切り抱きしめた。

山下「ありがとうかっきー。私も大好きだよ」


〜〜〜〜〜〜


かっきーを部屋まで送って、私はまた廊下へ戻る。
〇〇はさっきと同じ場所で月を見上げている。
少しだけ深く呼吸して、私は〇〇の隣に座る。

山下「月を見るたび、私を思い出したりするの?」
〇〇「…します。それでさみしくなります」
山下「それでも、月を見るの?」 
〇〇「…見ます。思い出が沢山あるので嬉しくもなります」
山下「そっか…。でも今は眼の前にいるから、こっちみてよ」

そう言うと、〇〇は体ごとこちらを向く。
目には今にも零れ落ちそうなほど涙をためて。

〇〇「ほんと、お綺麗ですね」

どうしても我慢できなくて、私は〇〇の胸に飛び込んだ。遠慮がちに私の背に〇〇の腕が回される。

山下「ずっと、ずっと…、ありがとう。ぶつかってくれて、付き合ってくれて…」
〇〇「…こちらこそ、向き合ってくれてありがとうございます。帰ってきてくれて、最後まで走り続けてくれて…」

こうやって一緒に泣くのも、あの時以来。
でもあの時はぶつかりあって。
今は寄り添い合って。
それは私達が向き合ったからこそ起きた変化で。
そんな間柄でいられたことを嬉しく思う。
こんな風に別れを惜しめることは幸せだって。

山下「〇〇」

ここまで来たから、最後まで。
心残りの無いように。
言葉にしておこう。

山下「今から冗談言うから、返事しないでね。
はいも、いいえもいらないから」

いつ頃から考えていたか、もう覚えていない冗談。

山下「…私についてきてくれないかな。
もちろん、今すぐじゃなくてもいいから。
5期生ちゃん達が落ち着いてからでもいいし。
4期生全員を見送ってからでもいい。
〇〇が納得行くまで頑張ってからでいいからさ」

冗談。
面白くなんともない、冗談。

山下「〇〇さえよかったら、一緒に行こうよ」

本当に、まったく、下るところの無い冗談。

〇〇「……」

律儀に沈黙を守りながら、少しだけ私を抱き締める腕に力がこもるのを感じる。
それが何よりの答えな気がして。
そうだよね、〇〇はそういうやつだよね。
って、どこか安心する。
少しだけ、胸がきゅんと切ないけれど。

山下「ありがとう」

ゆっくりと、〇〇の胸を押す。
それがどういう意味か察して、〇〇も私を離す。
離れた〇〇は静かにポロポロと泣いていて。
それを見ていたら、一緒に泣くのも悪くないなって、そう思えた。

〜〜〜〜〜〜

山下「…おはよう」
賀喜「おはようございます」

先に目が覚めていたかっきーに挨拶して、布団から出る。

賀喜「たくさん話せましたか?」
山下「うん」

かっきーの隣に立って、手を繋ぐ。

山下「これで心置きなく走れるよ」
賀喜「…はい!」

〜〜〜〜〜〜

顔を洗って、歯を磨いて、台所へ。
中には〇〇が真剣に羽釜から出る湯気の具合を眺める背中。
そっと近づいて耳元に口を寄せる。

山下「おはよ♡」
〇〇「わっ!びっくりした!」

驚いて距離をとる〇〇につい笑いがこみ上げてくる。

山下「驚きすぎ笑」
〇〇「も〜、びっくりしますよそりゃ…」

元の位置に戻って、米の炊けるのを待つ〇〇の背中にピッタリくっつく。

〇〇「やまさーん?いつも以上に距離が近いんすけど?」
山下「そう?いつも通りだって」
賀喜「…あの後何かあったりしてないですよね?」

私に続いて台所にやってきたかっきーが言う。

山下「何かって?」
賀喜「…その…へ、変なことしてないですよね?」 
山下「変なことって?」
賀喜「へ、変なことは変なことです!」

真っ赤になって怒るかっきー。
そういうの見ちゃうと、ついからかいたくなってしまう。

山下「なんにもなかったよ〜。ね♡」
〇〇「いかにもなんかありましたみたいな空気出さないでくれます?」
賀喜「〇〇さん!!」
〇〇「なんで俺」
山下「あーあ、旅行終わっちゃうの寂しいな〜」
〇〇「もう他人事みたいになってる」
賀喜「〇〇さん!ちゃんと説明して!」
山下「笑」



moonlight(moumoon) END…


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ライナーノーツ
山さんかっきーの卒業旅行後編。
Moumoonのmoonlightをテーマソングに。
月が綺麗ですね。

悩みに悩んだ山さん視点。
当初はかっきー視点の予定だったんですが、やはり書きたい部分を書くには山さん視点でないといけないと思いましてこの形。

冗談のくだりは正直蛇足かも。
と思いながらも、結局残すことにしました。
いつかなにかきっかけがあれば、その冗談を叶えるIFストーリーを書くのもいいかもしれませんね。

次回は実は未定。
久保ちゃん達ハイキュー好きとビーチバレーとか、
菅原さっちゃんの話も書きたいし、
実際書き出したら全然違う話かも。
内容固まってないし、とかとか。
更新に間が空いたらごめんなさい。そんな感じですが、今後もお付き合いください。




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