役所は地方に根付くのが自然。日記



 ここで取り扱うの役所という言葉は主に地方公共団体を指す。それから正しい知識を用いないので悪しからず。

 都心は把握し切れていないが地方でも「お役所仕事」との批判は日常茶飯事である。だから昨今の意識高い系統のコメンテーターがデジタル化云々と思弁するのを見て「事務作業」だけを仕事と捉えているんだろうなと感じる事がある。なので私はこの日記を書くに至っている。

 第1:人類史においての役所の誕生

 そもそも役所的な役割は意外かもしれないが現代人間社会では自然かつ普遍的な概念として存在している。理解が容易なのは日本に於ける寺社仏閣の歴史かもしれない。過去、寺社仏閣は各地に点在していて団体的な権力を後ろ盾に、冠婚葬祭を取り仕切る傾向が有った。しかもその勢いで戸籍管理のような仕事も行っていて、西洋でも教会が似たような振る舞いを見せる事がある。なので時の権力者もこれら団体との関係を良好にして、庶民の暮らしを把握する傾向が過去には顕著であった。また、特にこんにちの中央集権型の統治ではこれらの役割は政教分離の概念も手伝って宗教的な団体ではない組織を配置してこれらの業務を遂行している。

第2:地方公共団体と母体の分離

 第1を理由に一般には役所は最終的な権限を持つ母体組織がいるのだが、現状は物理的、精神的距離感の乖離から、実情に見合わない働きを命じられる上に現場からのフィードバックを母体組織が受け付けない事が多々有る。つまり成長も順応もしない権力機構が出来上がってしまっている。更に先述の通り利用者(民間人)の個人情報を取り扱っていながら、宗教団体とは違って顔馴染みや賄賂を理由に情報開示や業務の履行を悪用防止目的で法的に禁じられているので、利用者がパスワードのように決まった手続きを踏まざるを得ない軋轢が生じている。
 この場合、現代の民主主義の観点から見れば公務員の業務上の権限さえ民間人から得ているはずなので、本来情報開示を拒めるものではないのだが法律も同じく民主的に制定したという体をとってこれを相殺している。しかし周知の通り敗戦国である日本は歴史的に民間人が1から法律を民主的に定めて行った流れはほぼ存在しない。

第3:生活とマニュアルの分離

 第2を理由に実際に手を動かして業務を熟す人員は、個人情報を取り扱う権限とは別に民間人を適格か否か評価して社会資源へアクセスさせたりする一面があるのだが、昨今では現場レベルで明らかにアクセスが必要不可欠だったとしても評価を下すための必要書類や年収や家族構成を理由にこれを拒むという貧乏くじが存在する。これは国家が地方それぞれの平均年収や人口やその他条件を完全無視して規格を画一化する事の弊害であって役所の職員の不手際ではないのだが、民間人は普段そんな事は見ない。だからこれを揶揄するという流れがあるように私は観察している。
 しかし役所の職員はその業務次第で利用者の人生を大きく狂わせられる事実は否定できるものではない。しかも少し危惧しているのは「給料を良くして公務員を増やせば景気が良くなる」という実態を無視した風潮も散見されるがそんな事は無い。日本は確かに世界的に見ても公務員が少ないのだが第1を理解しないまま給料を餌に求人をだすと、第2、第3、の歪みは殊更に酷くなる。この応急処置には多大な代償が伴うだろうと私は見ている。


 この3つを理由にデジタル化して効率が上がるのは母体組織からの素っ気無い返事とクレームの速度くらいのもので、例えばベーシックインカムで役所の部署も減らせて良いだろう的な発想も時折見るが、定性に定量をぶつける典型例だと愚考する。(最低賃金を全体で上げろ、とかもそう。)



 こういう公の事を書くのは気が引ける。実際に業務を何日も見た訳じゃないし地元企業との繋がり方とかも知ってるわけじゃないから。どうも誤解を恐れて神経質になり過ぎる。日記にクオリティを求めるのも違うかもしれないけど。
いつか海外も含めて実際に調べたり研究したい。

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