AIのデータ的越境について。雑記。

「日本はAIの法規制が遅れている」というのはAIイラストの論争でよく散見された主張だ。AIイラストについての文脈を採るなら法規制とは学習対象の取捨選択を意味する。他方で今回の私が書く雑文で法規制というと規制する目的が主旨になる。

はじめに明示しておくと私はAIの法規制については反対だ。如何なる束縛をも嫌う訳ではないが既に国家間での開発競争で周回遅れなのに追い打ちをかけるように規制すればほぼ間違いなく主要産業としては成立しなくなる。仮に海外の人間がAIを不正に利用して犯罪をしても、アプリ開発ですらCOCOAクオリティ且つ核も持たない弱小国家が辿る道は法規制すら適用してもらえずにリンチが妥当だろう。

ときに、現状のAIの金字塔はChatGPTになってしまっているが、最新版のやり取りを幾つかSNSにあがっていたスクショで確認したところかなり大きな壁にぶち当たっている印象を受けた。文章に余白を追加したようだが矢張り解決策の提示が不可能らしい。元からそれっぽいやり取りをするだけの機械と言えばその通りなのだが、ここで頭打ちとするか突破を狙うかで今後のAI業界を左右するのは間違いない。

そして素人の考えではあるがChatGPTに限らず、個人間のやり取りからイラスト、小説、将棋、画像診断、etc、あらゆるデータが今は個別に開発された企業や組織のAIの学習されている。だがいずれ国家的産業まで育てようと思えば学習された情報はほぼ全て1つのAIに統合されるような仕組みが求められると思う。

広く専門性を発揮できる器用さが出せるかが課題だとすれば、現状の段階で規制をかけたり学習を阻害する要素を設けたりして人間社会の情報を偏って学習させると最終的にデータ統合した後の描像がねじ曲がるのは必至だろう。

恐らく今後明らかになって行くのはAI産業の育て方は今までのように個人と組織で別れていては難しく、ある意味でオンライン上でという制限が付くにしても社会が一体となる事で初めて進むという特異性だろう。その為に強権を振るうか信頼を勝ち取るかは選択できるだろうが、一体化を僅かでも保てない法規制は単に社会分離法にしかならないので仮令AIが絡まなくてもあまり歓迎できない。

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