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言葉と出会うとき

本に呼ばれる、のはあると思う。

先日、自分も参加予定だった研修にて「来るついでに手伝いをお願いしたい」と言われた。
受付なら出来そうかな…な~んて呑気に思っていたら、自分の担当場所には40人近く並び、一人ずつ集金と体調チェックと確認作業をすることに。参加者は私にとって初めましての方がほとんどで名簿から名前を探すのも一苦労、大勢の人からお金を預かることは滅多にないから既に緊張感が半端ない。金額を間違うことなく受付を終えた時点で(よくやった。もう帰りたい)の気分。
しかし自分も研修に参加しないと資格更新の権利は発生しないので息付く間もなく講師の話を聞く。
どうして講師の方ってユーモアに溢れながらも伝えなければならないところはしっかり話せるのだろう…。内容よりも話術に俄然興味が出てくる。何故ってこの後、私も班に分かれてテーマに沿った話し合いをする進行をしなければならないのだ。講師の方には申し訳ないが大事な話よりも(どうしよう、どうすればいい)と悩むほうに意識は傾く。しかし容赦なくその時間はやってくる。
事前に班分けされていた顔ぶれを見ると私より年上のみなさんにまず怯んだが、とりあえずマニュアルに沿って自己紹介をしてもらう。もちろん自分もするのだが順番がトリになってしまい、これまた熟練がなせる技のみなさんの自己紹介に打ちのめされ、華も飾れずたどたどしく終わる。その後も頼んではいなかったが仕切り上手な男性がほぼ進めてくれた。ありがたいやら自分は役に立ってもいないやら…。お昼は弁当がいただけたものの味を感じないくらい疲れていた。(ご飯を自分で準備しなくていいなんて幸せ。せっかくなら美味しく食べたかった)

午後は苦手な実技で毎度上手くいかない。前回やったのは4年前だったし…と言い訳は無用。本来は当たり前に出来ないといけないのだ。自慢にもならないが、この実技は自信を持ってスムーズに出来ることがないまま資格の役目を終えると思う。(この資格に年齢制限はあるのかは不明)
半ばペナルティのような(完全な被害妄想)試練の時間がようやく終わった。周りの人に「顔が疲れてるね~」と労われたが(いや、何なら全部疲れてますよ)と言いたいところ「はい…」と返すしか気力が残っていなかった。

さて、冒頭で「本に呼ばれる」発言をしたのは星野源さんが表紙になっているダ・ヴィンチ2017年5月号と目が合ったことにある。
この雑誌が発売された頃はまだ源さんとは顔見知り?程度だったため、最近雑誌を手にした。その中で源さんがいろいろなものに救われ、支えられたものへの恩返しに触れている部分があり、普段は何気ない言葉が今活字で読むことにより色濃くなる時がある。
今回受けた資格は本来私がやってみたくて取ったもので、その資格を取るためには研修や仕事の依頼は降ってくるものではなく、必要としている人がいることが前提となっていて、準備作業や手続きをする裏方の皆さんがいないと成立しない。与えられたものを当たり前ではないんだとあらためて気づく。今回は散々な結果となったけれど次こそは…次はなくてもいいかな…笑。恩返し、とまではいかなくても何かしら出来ることはやっていきたいと思ったし、誰かに「恩返し」的なことを言われるよりも源さんの言葉を読んだ方が腑に落ちるような気がする。
その後も雑誌を読み進めていくと、源さんの言葉や出来事に対して(それ知ってる~!聞いたことある!)と調子に乗る私はおかげさまで少し元気になった。
ありがとう2017年の源さん。

調子に乗ったところでもうひとつ。
雑誌の中にあった
いつか、いのちの車窓から《2》が出せるといいな…の思い
そろそろでしょうか…(*´꒳`*)



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