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家業があるということ


実家は曽祖父から3代続く家業があった。
早朝から機械が動きだし家族や従業員が作業を始める。作業場兼住居に暮らしていた私は機械の動く音で目を覚まし、朝食は用意されているものを各自食べ、家族や従業員に見送られながら登校する。人手が足りない時は私も学校に行くまで作業を手伝うことは日常だった。
我が家で生み出されたものはありがたいことにいろいろなところで愛されてきた(と思う)。
2代目の祖母は、はなから孫に家業を継がせるつもりはなかった。時代の流れもあるし、長年使っていた機械を新しく設備投資してまで事業を続けても採算が取れないと言っていたのもあり、漠然と両親の代で閉めるんだな…とずっと思っていたし、正直大人になると事情も分かってくるので継いだところで生活していくのは難しいと感じていた。

昨年、祖母が亡くなった。
コロナ禍だったにもかかわらず、葬儀にはたくさんの方が来て下さった。ありがたいことに弔辞を読ませてほしいと言ってくださった方がおり、その文章から家業がたくさんの方に愛されてたことや人の温かさが伝わってきて、あらためていろいろな方面から支えられていたことを知った。祖母の周りにはいつも人がいて、陽だまりのような人だったから家業も続けられていたのだろう。
祖母が生きているうちは家業を続ける、と介護をしながら規模を縮小して続けていた両親は昨年末で家業を廃業した。実家は片付けや手続きが進めばいずれ更地になり、場所を変えて新たな生活を始める。実家へ片付けの手伝いに行くと狭い作業場に置かれていた数々の機械が引き取られ、人の気配も感じられず静まり返っている。薄暗く、広く感じる作業場は寂しい以外の何物でもない。この場所には人の動きや活気、生活や日常が染み込んでいたのだ。

廃業してからも閉めたのを知らずに顔を出す方、労いの言葉や惜しむ言葉をいただいてる。作業工程などを聞いてくる企業もいるそうだが教えることはないという。3代続けてきた技術や経験を教えるのも体力のいることなのだろう。
後継者問題はそれぞれに事情があり、続けられているところはすごく努力されていると思うし、辞める決断をするのも並大抵のことではない。
長く続いてきたものを継ぐ勇気もないまま惰性で引き受けたらそれこそ失礼だと思う自分、その大きさを知るからこそ継がなくて良かったかもしれないと思う自分。どう考えても自分にとって都合のいい解釈しかできない。実際、手続きだけでもたくさんある上で受け継いだものを子どもに受け継がせずに廃業した両親の思いは想像を絶する。「辞めるなんてもったいない」との言葉を聞くと、継ぐことが出来なかったんだな…と虚しさとやりきれない気持ちになる。何が正しかったのかは答えとして分からないままだけど、ここのお家はそうしたんだな…くらいに周りの人には思ってもらえたら少しは気持ちが楽なのかもしれない。

先日、両親から日帰り旅行してきた話を聞いた。廃業は寂しかったけれど家業があったことで家族で出かけることもほとんどなく、ずっと仕事ばかりだった両親には自分への時間をたくさん持ってほしいしこれで良かったと思っている。また事業を引き継いでくれた関係者の方々には本当に感謝している。
不便な場所にあったお墓は寺の敷地に置かせてもらえることになった。母から「これからは近くなるから時々来てね」と言われ、私なりの『継ぐ』はこれくらいかなと思う。
家業があることで家には常に誰かがいるという安心感があり、騒がしくもありながら賑やかで尊い時間だった。
せめて大切な家業と守ってきてくれた家族や関係者のみなさんに感謝と労いの気持ちは忘れないで生きていけたらと思っている。

はじめてのnote



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