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長府城下町散策 ①

長府の歴史は西暦193年、仲哀天皇が忌宮神社近くに仮皇居の「豊浦宮」を置かれたところからの始まりです。

忌宮神社
豊浦宮皇后跡の碑


仲哀天皇は7年もの間、ここ豊浦に仮皇居を置かれ、新羅への侵攻の機会を待っていたのか…
秦の始皇帝の子孫、功満王の渡来(養蚕)もここ豊浦から始まる。
弓の名手だった仲哀天皇は、鬼(新羅の塵輪と熊襲たち)の襲来に会い、傷を負いながらも、ここで首を切り落とす事に成功する。
しかし、その戦いの時の傷が命取りとなり、逝去。
この忌宮神社近くに墓が存在する。

功山寺楼門


高杉晋作が奇兵隊を挙兵した「功山寺」の隣にある「笑山寺」は、藩主毛利家の菩提寺のひとつです。

笑山寺正門
本堂
十三重石塔


長府城下町は、碁盤の目のように小さな小路(こみち)があってとても風情があります。

古江小路
菅家

少し離れたところに串崎城(雄山城)跡があります。
海岸沿いの高台になっているので、敵国の船を見つける(追い払う)には、格好の場所だったようです。

天守閣の石垣
天守からの眺め

古代から続く争い、戦争の要衝…
長府に残るものは、戦争、侵略関係の歴史ばかりだけど、現代まで貴重な遺産として残されている。
新しい文化や、流行を払い除けるくらいの壁の高さを感じる町。

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