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静岡県の体罰について思うこと

今、話題になっている静岡県の小学校の体罰の件。某ニュースサイトのコメント欄には、下記の内容が多くある。

・昔は体罰なんていくらでもあった。先生がかわいそうだ。
・親の躾の問題だ。
・支援級に行けばいいのに。

以前、教師が漂白剤を給食に混入した事件のときに、「こうなる前に少人数担当や支援級の担任にすればよかったのに。」と支援級の担任は力不足の人が担任することを揶揄するようなコメントを見て、「支援級の担任は、専門的な知識が必要。そういう人を支援級担任にすればなんて、今頑張っている支援級担任、支援級のお子さん達、保護者様に失礼です。」と思わず書き込んだら、「綺麗事言うな。」「現実は一般級持てない人が行く場所だろ。」と多くのコメントを書かれた。確かに綺麗事かもしれないが、世論にグサっときた。

正直、今回の体罰教師も漂白剤を入れた教師にも、私は同情できるところなんか一ミリもない。
強いて言えば、離席のあるお子さんの支援体制を整えずに「強い」教師ならどうにかなるだろうと知識なく任せた管理職の責任はあると思う。

◯怒鳴れば子どもは変わるか?
→変わらない。怒鳴っても何を叱られているか「伝わらない」から。
まず、そのお子さんがどのようなお子さんかしっかり把握する必要がある。
離席するのには何か理由がある。離席の理由を聞く。もしかしたら理由なく本能的に離席していることもある。離席がやめられないないときは、「時間を決める。」「ここなら過ごしていい(歩いてもいい)場所を決める。」等配慮できることはあったはず。

◯怒鳴るのは子どもと信頼関係を結ぶ「方法」を知らないからでは?
→怒鳴る人の言うことを聞く、信頼したいと思う人はどれだけいるだろうか。大人だったらほとんどいないはず。子どもなら「恐怖」から言うことを聞く。ただそれだけが多数ではなかろうか。

信頼関係を結ぶには、「安心して話せる相手」だと認識してもらう必要がある。

私だって子どもを叱ることはある。でも、ルールを事前に伝えている。
・友達や自分以外の人を傷つけたとき。
・自分(子ども本人)を傷つけたとき。
・わざと危険な行為をしたとき。
・教師や友達、その他自分達に関わる人が大切な話をしているのに聞かなかったとき。
こういうときは、注意をすると伝えている。

でも、怒鳴らない。あまりにも危険なときは大きな声で制止するが汚い言葉は使わない。表情は険しいかもしれない。
でも、「どうした?」「どうしてそうなった?」と理由を聞いて、一緒に整理する。本来どうしたらよかったか一緒に考える。次からどうしたらよいか方法をいくつか一緒に考える。
相手がある場合は一緒に謝る。

◯発達障害等を教師も一般の人も勝手に「診断」してはならない。しかも親の躾が原因なことばかりではない。
これは、教師の中でも大前提だ。
誰だって得意不得意などの凸凹はある。
親も見極めて、家庭で出来ることはしなければいけないとは思う。
でも、大抵、親だって困っている。本人も困っている。誰に、どこに、相談したらいいか困っている場合もある。相談に行っても相談相手との相性に困ることがある。

市町村や教育委員会で体制は作ってある。ただ、ブラッシュアップは必要だと思う。もっと気軽に安心して相談できる場所に。

また、そういうところがあるということを発信していくのも学校の役割だと思う。

だが、本当にどこも人手不足だ。ましてや専門性の高い人をなんて本当に難しいと思う。

ただ、体罰を受けた保護者の言葉に、教師(きっともう辞めるけれど)、同じく子どもをもつ親として胸が痛んだ。

「先生がしたことは悪い。けれど、自分の子どもがみんなに迷惑をかけていることも事実だから申し訳ないと思っています。」

こういう言葉を発信している保護者に対しても、親の躾が原因で、先生がかわいそうと言えるだろうか。

私は、言えない。

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