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動けなくなったお話


「コショコショ話はダメだよ。嫌な気持ちになる人がいるからね。」
「わざとじゃなくても、相手に嫌な思いをさせたらごめんなさいだよ。」
「そういう強い言い方は相手や聞いている人も傷ついちゃうからやめようよ。」
「はぁ?↑じゃなくて、はぁ。↓の方がこの世の中生きてくときにうまく行くよ。先輩や上司にはぁ?なんて言ったら間違いなく次の日から気まずい雰囲気の中働く羽目になるよ。これ、人生の先輩からのアドバイス。受け取るかはあなた次第。」
なんて、ときには笑いを交えながら「伝える」ようにしている。

でも、上記に書いたこと、職員室では普通に行われるのはなぜだろうか。
教師をしてる以上、上記のことに自分達も気をつけるのは、「仕事の一部」だと私は思っている。綺麗事かもしれないが。

そう。資料ミスをした先輩がいて、「実際私は入りますか。抜ける形ですか。」と聞きに行ったら、「確かに資料は間違えましたよ。でも何?行くの行かないのどっち?明日配付のお便りに名前入れたから教えてよ。早く。」と逆ギレされた。私が担当になったことへの「何か」を話していたようで耳打ちしているところを見てしまった。自分が来たら話がピタっと止まったところに遭遇してしまった。帰ったと思われて、職員室の入り口から自分のことを言われているのを聞いてしまったのだ。これ、たった2日間の出来事である。

頭がくらくらして、家族に車で迎えを頼み、待っている間、管理職へ話した。話しながら涙が出ていた。
管理職は、個性として見てあげてとか、見方を変えれば相手のいいところ見つかるかもよ?みたいなことを言っていた気がするけれど、耳にも心にも入って来なかった。

そのあと教員人生で始めて、挨拶しないで帰った。どんなに嫌なことがあっても、挨拶は必ずするのがモットーだったけれど、言葉が出てこなかった。

家に着いて、明日授業ある。でも行けない。怖いと泣いた。

次の日、あんなに労務課から連絡しても電話に出なかった管理職が、わざわざ朝イチで労務課に電話して、労務課に行くように声をかけてくれと言っていると夕方に労務課から連絡がきた。

実はもうすぐ期限が切れる講師で残したい人がいるようで、私の枠に入れたいのだろう。
残酷だ。

子どもたちに会いたい。
でも動けない。涙止まらない。

そういう現状、現場からお伝えします。

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