生きるだけでもおっけーだけど…

お疲れ様です。
自分は精神疾患があります。精神科に入院した
事もあります。死のうとするタイミングも
何度かあったけど…

ちょっと昔話…
精神科を退院して
すぐにデイケアに通い体を慣らしました。

そこから割と早めに就労A型で働くように
なって、まぁ最初の方は、福祉の環境は
生ぬるいな…って思うほど、割と出来たと
仕事が出来たと思います。

そこから3ヶ月くらい働いていたら
○○さん支援員にならない?
って言われて、あまり深く考えず

給料が増えるみたいだったから
いいですよって言って支援員に
なりました。

支援員だった期間は8年くらい
ありました。

最初の方は支援に興味がなく
人なんてかわらないって安直に
思っていました。

そこから別の女性の支援員さんが

利用者さんで、すごく問題児で
就労施設にくる前の段階のような
方を毎日、毎日…丁寧に
教えて、いく姿を見て

そこまでやるんだな…って思っていました。

何ヶ月か経ってあることに気がつきました。
その利用者さんがちょっとづつ、穏やかになって
いって、問題が少なくなっていったことに
気づいたんです。

あの有名なサリバン先生が
ヘレン・ケラーを井戸の水を
手に当ててwaterのスペルを書いて
気づくシーンがありすべてが始まって
いきます。

自分も傍観者ではあったが
女性支援員さんがその子のやりとりの
何ヶ月間を見て、変化していくことに

すごく衝撃を持ったと同時に
支援に興味を持った。

そこから学んでいきました。
最初は何も出来なかったけど
自分自身もちょっとづつ学んでいきました。

やる気はめちゃめちゃあったし
めちゃめちゃ仕事したし
めちゃめちゃ学んだ。

だんだんと出来ることが増えて行って
人を支援するセンスみたいなものが
良くなっていったのかな…

どんどん支援の質が上がっていきました。

とにかく頑張っていたかな
毎日が修行のように、同僚は割と
教えてくれたり、自分も自己啓発みたいな
ことも必死でやったかな

とにかく必死だった。

そこから1日1改善という
事を自らに課し

年間でべらぼーの数改善していって
ちょっとづつ非凡になっていったんです。

実は管理職を目指していました。
でもなれなかった。

そんで彼女は出来たんです。

そこまでが統合失調症の支援員と
してのゴールのようなものですかね。

普通はそこで終わるんですけどね。
小説ならハッピーエンドですよね。

だけど

第二章に入り

結論からいうと

転職をして
一般企業の
障がい者雇用で働く傍ら

またいろんな事を学んで…不安を
乗り越えて、ボランティアとか
支援員の経験を活かしてやるようにしていったんです。

たまたま知り合った
双極性障害のお医者さんの方の友達兼
支援員みたいなことして、
上手く行った。自死したいって言ってたので
話を聞いた。家族のことや仕事のことが
上手く言っておらず、彼は一人で
追い詰められてた。自分を信じて彼に
寄り添ったかな。

その彼の力もあるが
彼の人生が軌道にノッたのよね。

お医者さんの力になれたことが
嬉しかった。

今度は福祉から出た、難しさにぶつかったん
です。

その会社である人に嫌がらせにあって
それでも、愛だと思って接していたら

一緒に仕事出来るくらいになりました。

そこからいろんな人にいいことをしたり

金銭をもらわない、いいことを続けて
いたら、ある日気づいたんです。

今までがマイナスの人生で
マイナスの返済をし続けていたが…

ゼロになったと気づいたんです。

それでもいいことを続けていたら

夢が持てるようになった。

理論ばっかり、人助けばっかりでは
なくて

俺の夢を持とう

夢を叶えよう。

夢が成り立つように生きていこう。

そう思ったんです。

僕の夢は…
パーカションニストです。

それも良い出会いがあり
師にも恵まれています。
神様のギフトかもしれません。

いいことをしていると
出会いが良くなる。

人生のマイナス負債を返済して

今度は自分の夢を持ってみよう
遠回りしたけど、お釣りの人生さ

もらった命、拾った命…

夢に生きる。憧れではなく。

夢を持ち、現実を生きる。

人助けをして
助けてその人が前に行ってもらって

自分も引き上げてもらえる

これが自分の人生。

濃いでしょ。以上です。