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『「こんな大人になりたい」を見つける』

20230813

 僕は22歳になってしまっている。
22歳はもう大人なのかもしれないが、僕は今でもどんな大人になりたいかと即座に聞かれたとして、すぐには答えられない。
「こんな大人になりたくない」なら沢山あるけど、「こんな大人になりたい」を探すのは難しい。

 僕は又吉直樹さんのラジオをよく聞く。
ピースの又吉さん、サルゴリラの児玉さん、パンサーの向井さんというかつて同居していた三人がやっているNHKのラジオ『あとは寝るだけの時間』という生放送の番組だ。

 この番組はリスナーの年齢層も様々で、もちろんお三方のお話もとても面白い番組である。
 そんな中、過去に女性の作詞家の方がゲストに来た回があった。確か、その日は好きな歌詞が入った曲を紹介するといった流れで、曲を流してトークを展開していた。この番組では曲を流した後、向井さんが「お送りした曲は、○○の□□でした」と言うのだが、一度だけ、曲を流し終わった後で、作詞家の方が向井さんの言葉に少し被って「ああ、いい曲」という声を漏らしてしまい、それが放送にも入ってしまって、スタジオでも少し笑いが起きるということがあった。そのゲストの方も少し恥ずかしそうにしていたが、ここで放った又吉さんのフォローの一言が凄まじかった。

又吉さんは、

「でもなあ、回らない良いお寿司屋さんに行ってさ、食事を終えて、大将の目を見て言う「美味しかったです」と、寿司を口に入れた瞬間につい出てしまう「美味しい」って、どっちがほんまなんやろなあ」

やっぱりこの人は信用できるし、好きだと思った。

 なんて秀逸な例えで、なんて完璧なフォローなんだと思った。
なにより、おそらく大将の目を見て言う「美味しかったです」も本当の気持ちのはずだ。しかし、どちらがより本当の素直な気持ちかという「ほんま度」を考えると、口に入れた瞬間に出てしまう「美味しい」のほうが「ほんま度」は高いと考えられる。この「ほんま度」をより高く示すこの言葉は本当に感銘を受けたし、なにより納得感の次元が一つ違うと感じた。

僕はこういうことを言える人になりたいと思った。
又吉さんみたいになりたいというよりも、こういうことをとっさに言える大人になりたいと思った。

 後日、又吉さんを見習って、いろいろと先行きに不安を抱えていた先輩と飲んでいるときに、「でもあれですよ、飛行機って追い風よりも向かい風のほうが飛び立ちやすいらしいですよ」と言ったら、「きめえ」と言われた。

「きもい」ではなく、「きめえ」だった。

僕の言葉は、誰にも響くことなく、「きめえ」という三文字によって一蹴されてしまった。


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