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『「体育着貸して」が横行していた中学時代』

20240428


 僕がまだツルツルの制服を着て中学校に通っていたころ、忘れ物をした時は、ほかのクラスの人に借りるという方法が常套手段となっていた。
 
 
 僕は実直に学校に行っていたから、それほど忘れ物は多くなかったと思う。ただ、教科書や資料集を忘れてしまうことは何回かあったため、もちろん他クラスの友人に借りたことはある。


 
 しかし、僕の周りには、体育の授業の時に体育着を忘れてしまい、他クラスから体育着を借りている人が結構いた。

教科書や資料集ならまだわかるが、他人の体育着を借りる方も貸す方も少し勇気がいるような気が当時の僕はしていた。自分だったら、躊躇する行動であることは間違いない。
 
 なぜ他人の服をすんなりと着られるのか、それも体育着だ。

運動専用服なのだから、汗とかにおいとか気になりそうだが、そんなことよりも、体育の授業に出ることの方が当時の僕たちにとっては重要だったのかもしれない。
 
 僕のクラスには、常に誰かしらに物を貸している人がいた。

困ったらあいつの所に行けと言われる駆け込み寺の彼こそ、田中君だ。もちろん、体育着も平気で他人に貸していた。

 
 体育着には大きく名前が書かれていたため、もし体育着を忘れて他クラスの人に借りたとしたら、体育の授業の1時間だけは、貸してくれた人の名前を背負わなければならない。

そうなると、必ず周りのやつらから、中学生特有のニュアンスを含んだ「え、おまえ今日から名前変わった?」「うぇ~い、田中~」とからかわれることから逃れられない。
 
 
 田中君は体育着さえも他人に貸しまくっていたから、体育の授業の時だけ田中を名乗る人がほぼ毎日発生していたし、田中君は自分が体育の授業が無いときでも体育着を持参しているのではないかと勘違いされるほどだった。
 
田中君はとても良い人だったけれど、田中君の底なしの優しさは僕にとって恐怖の対象になってしまうほどだった。


 
 今、もし田中君に会ったら何を貸してくれるのだろう。

今まで何かを貸してばっかりの人生だっただろうから、今度は僕が田中君に何か貸してあげたい。

 「お金」とか言われたら困るけれど、消しゴムとか本とか爪切りとか、あとは、いらないTシャツをプレゼントしてあげよう。

あの頃の体育着の代わりに。



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