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いざ出産へ

結婚し苗字が変わったら色々な手続きがある。
クレジットカードの名義変更から免許証、健康保険証全て変えなければならない。
そんな事をしながらも、あと1〜2ヶ月したら里帰り出産のために里帰りしなければならなかった。
32週には帰省する様にクリニックからは言われていた。
ずっと逆子でもなく頭が下にあり順調に経過していたので、帝王切開になるリスクは無く予定通り32週に地元へ帰省した。
遅くとも34週には戻ってくる様に言われていたが、帰省する前に一度もの凄い腹痛に見舞われて不安だったので予定通りに帰る事にした。
しかも周りで30週で破水して33週あたりで出産した知り合いがいたので、いつ何が起こるかもうわからない状態なのだと認識していた。
早産になったら里帰りできない。
腹痛に関しては、子宮が捻れるような感覚で、陣痛が来たのかと思ったほどだったが、1時間ほどで消失。クリニックに電話しタクシーでその日のうちに診てもらったが異常はなかった。

帰省もお父さんが迎えに来てくれ、彼とはバイバイ。幸いにも彼が1ヶ月新しくできた産後パパ育休制度を使い休みを貰うことができたので、出産予定日に来てくれる手筈となっていた。
それでも約2ヶ月は離れ離れになる。寂しい気持ちはあったが、1ヶ月後に一度遊びに来てくれるとの事だったので耐えられた。
2泊3日で彼が来てくれ、その次は出産予定日に来る。もしかしたら、それまでに陣痛がきたら呼ばれる事になるかもしれない。

本当は育休制度は4週間のうち2回に分かることができたので、里帰りから戻り1人になるタイミングでとってもらいたかったが、その時期は休みが取れそうになかったので、予定日から1ヶ月の取得となった。
ただ予定日超過し、私の場合42週になる前日に促進剤を使いなんとかギリギリ産んだので、実際は赤ちゃんと過ごせたのは3週間。といっても産後退院してからお世話ができたのは2週間ほどだった。まさか半月予定日から延びると思っていなかったので、仕方のない事だが少し残念な気持ちも私自身あった。
このご時世、仕事を休んで産まれたばかりの我が子と過ごす時間を取れる人がどれだけ居るだろうと考えると、贅沢な話なのかもしれない。
融通を効かせる事ができる立場だったのがよかった。仕事も休む事が決まってから、早めに終わらせられる仕事は終わらせたり、人を雇って増やしたりと色々と頑張ってくれていた。

予定日まで特に音沙汰なく、彼が実家に来てくれた。それから産まれるまで、食後に吐いたり、臨月に入ってから恥骨が痛くなかなか動けていなかった私を散歩に連れ出してくれたり、とにかく陣痛がくる様に家でストレッチしたり一緒に頑張っていた。
おしるしも来ない、陣痛も来ない、破水もしない、、このままでは帝王切開になってしまう。
40週4日の受診で、羊水の減少が認められ、胎盤機能も時間の経過とともに衰えていくという先生の話から、その日のうちに入院し促進剤を使う事になった。子宮口は1cmほどしか開いておらず点滴は使えないとのこと。内服の促進剤から試すことになり、その日一度受診から帰宅し入院準備をして午後入院となった。翌日から内服開始していくと。
翌日はなんと朝の5時に陣痛室へ。お腹にNSTの機械を装着しスタート。1時間ごとに1錠飲んでいく。タイマーが置かれ、飲んだら60分タイマーを押す、鳴ったら飲むの繰り返し。6錠飲み終わったら終了となる。
飲み始めてから、以前よりお腹の張りは強くなったが陣痛は来ず。5〜10時に内服し、12時まで様子を見たが変わらず退院なった。
それから歩いてみたが陣痛と呼べるほどの強い痛みは来なかった。

そうこうしている内に、41週4日目に予定入院となった。8時に入院、8:15には再度内服の促進剤が始まった。子宮口が5cmほど開かないと天敵の促進剤は使えないらしい。
2度目の内服促進剤。前回は下痢が酷くなってしまったが、今回は大丈夫かと不安になった。
あとは歩いたり木馬に揺られるといいと助産師さんが説明してくれた。陣痛室の前はそれほど広くないため、木馬を用意してもらった。
ひたすら木馬の上でユラユラする。最初はテレビを見ながら、携帯で旦那とやりとりしながら、ご飯を食べながら、ひたすらユラユラ。
陣痛が来たのは夕食の17〜18時あたり。座っていると痛みがしんどかったので、ずっと立ってウロウロしていた。息も吐きながら、腰をさすりながら、立って痛みに耐える。
木馬の効果は絶大だった。その痛みも5分間隔できていた。夕食は完食、そこからが本番だった。。

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